近所にある神社が毎年行っている七夕祭り。祭り、と言っても出店が並んでガヤガヤするものではない。神社の中に小道があるのだけど、そこに短冊がたくさん飾られるのだ。もちろん神社に来た人なら誰でも短冊を書いてもいい。期間中に社務所前に置かれている木箱に短冊を入れておけば、七夕当日からしばらくその小道に短冊を飾ってもらえるのだ。わたしも子どもの頃はよく書きに来て、自分の短冊を探したものだ。色とりどりの短冊が風に揺れる光景はとても幻想的で、子どもながらに目が離せなくなった覚えがある。いろんな人の願い事が空を埋め尽くすように飾られている。なんて幸せな景色なのだろう、と。
 中学生になった頃にはもう短冊を書くなんてことはしなくなって。神社の七夕祭りにも縁遠くなった。出店がたくさんあるお祭りのほうが楽しいし、行った甲斐がある。そんなふうに思ってしまって。そんなふうに日々を過ごして、わたしももう大人になってしまった。短冊なんてもうずいぶん触っていない。帰り道に必ず神社の前を通るから、毎年色とりどりの短冊を目にはする。でも、足を止めて眺めたのももうかなり昔のことだった。
 高校二年生の七月。じめじめした嫌な暑さに思わず項垂れつつ歩いている。隣には幼馴染の佐久早聖臣。たまたま帰る時間がかぶったので一緒に歩いている。
 聖臣は愛想がなくて優しさの欠片もないやつだけど、これが意外とかわいいやつなのだ。気を許した相手にはガードが緩いし、無自覚にくっついてくる。聖臣がかわいくないやつだったら、帰りの時間がかぶったくらいで一緒に帰ろうとはならない。あまりにも自然に、当たり前のように二人で歩き始めたものだからちょっとおかしかった。
 時刻は午後六時前。少しずつ空が暗くなってくる雰囲気を感じる時間帯だ。夏の風物詩である蝉の鳴き声を聞きながら二人でくだらない話をしている。その途中、聖臣がちょっと上を見上げながら「そういえば」といつも通りの静かな声で呟く。

「お前子どものころ、ひぐらしの鳴き声が怖いってよく言ってたな」
「ひぐらしってどれだっけ?」
「今鳴いてる蝉」

 耳を澄ませなくても聞こえている。でも、そう言われてもピンとこなくて。「え、言ってたっけ?」と首を傾げてしまった。確かに虫はあまり好きではないけれど、この蝉の鳴き声が怖いなんて今では思わないけどなあ。よく分かっていないわたしに聖臣が「怖い怖いってうるさかっただろうが」と呆れたように言った。

「えー、なんで怖かったんだろ。変なの」
「俺が知るかよ。ビービー泣いてうるさかったのは覚えてるけど」
「ビービーって。失礼な」

 まあ、今より幾分か活発的だったし聖臣がうるさいと思っても仕方がないのだけど。昔の自分を思い出して少し恥ずかしくなってしまう。本当に元気な子どもだった。失敗を恐れず、好奇心だけで何でもかんでも飛び込み、何も怖いものなんてなかった。あの頃の自分が、少しだけ羨ましくもある。
 聖臣と仲良くなったのはわたしがそういう活発な子どもだったからだ。公園の隅っこで帰りたそうにしている聖臣を無理やり引っ張って遊びに誘ったのがきっかけ。幼稚園のときのことだ。わたしはあまり覚えていない。でも、母親から未だにその話をよく聞かされる。「あんた、聖臣くんのこと黙ってて変だからおもしろい≠チて言ってた」と何度言われたことか。まあ、子どもからすれば黙っている子は静かでつまらない、と思うのが割と普通だろう。でも、そのことは覚えていないわたしでも、聖臣がおもしろい人だというのは今でも分かる。聖臣はおもしろい。口数が少なくても、扱いが難しくても。一緒にいておもしろいやつであることに変わりはない。

「この蝉って夕方前くらいから鳴き始めるよね〜。なんか寂しい鳴き声だよね」

 夕焼けの声がする。ぽつりと呟いたわたしの言葉に、聖臣は一つ間を開けてから鼻で笑った。「なんだそれ」と、とても軽い声で呟く。今の軽い声は聖臣のものだから特別に思えるのだ。それが分かる人はこの世界にそう多くはいない。もしかしたらわたしくらいかもしれない。聖臣が今みたいな声で、軽く言葉を返してくる。それだけで自分が特別な存在になれたのではないかと勘違いしてしまう。聖臣はそういう人だ。すごい人なのだ、昔から。
 なんとなく分かった。ひぐらしの鳴き声が怖いと言った子どものころの自分の考えが。夕焼けの声がする。だから、もう帰らなくちゃいけない。まだ遊びたい。聖臣とまだ遊びたいのに。そんな子どもの駄々こねだったのだろう。我ながら恥ずかしいことをしていたものだ。誰にも気付かれていないのならそれでいいのだけど。
 二人でいつもの道を歩いていると、神社の前を通りがかる。小学生のときはここに立ち寄って、ランドセルを木の下に置いてよく遊んだものだ。聖臣も一応ついてきて、木の下でランドセルと一緒にじっとしていた。今思えば聖臣がそれについてきていたことに驚く。きっと楽しくなかっただろうに。聖臣は文句一つ言わずにいつもついてきていたっけ。
 何気なく神社のほうに目をやったら、七夕の短冊を入れる木箱が見えてしまった。懐かしい。そう思ったらすぐに向かう先が変わる。聖臣が「おい」と言うのも構わず神社に入る。鳥居の端で鞄を肩から下ろし、一礼。後ろで聖臣が「行くのかよ……」と呆れていた。

「短冊書こうよ」
「は?」
「七夕祭りの! 昔一緒に書いたじゃん」
「ガキのころの話だろ」
「今も立派なガキだから。書こう書こう」

 書くのはタダだ。別に書いてどうこうしたいわけではない。ただ、聖臣と二人で懐かしい短冊を書きたいだけだ。そう笑って言ったら諦めたようにため息をつかれてしまった。かわいくないやつ。
 もう締め切り間近ということもあり、残っている短冊は数枚。残っていたのは黄色やオレンジなんかの温かみのある色ばかりだった。青色や水色が人気だったようだ。黄色も爽やかな弾ける夏って感じがするけどなあ。そう思いながらわたしは黄色の短冊を手に取る。それを真似したのかただの偶然なのかは分からないけど、聖臣も同じ黄色の短冊を手に取った。

「えー、どうしよう。全国制覇とか書く?」
「書かねえよ。短冊に書いて全国制覇できるなら馬鹿が全員書くだろ」
「相変わらず言葉がきついね〜」

 短冊に書いて叶うのを願うわけじゃなくて、短冊に書くほど叶えたいものなんじゃないのかなあ。わたしはいくらでも書くけど。聖臣はそういうの信じなさそうだ。昔からやけに現実主義で、何よりも頭の中がお花畑みたいなタイプが苦手。そんな聖臣が短冊に何を書くのだろうか。
 結局書くことが思い浮かばなくて「聖臣が日本一になりますように」と書いた。それを見た聖臣が「人の名前書くのやめろ」とため息まじりに呟いた。でもちゃんと名前を書かなくちゃお願い事が意図しない人に降りかかるかもしれないから。そう言ったら「はいはい好きにしろ」と言われた。好きにします。元々わたしはいつも自分の好きにしているからね。
 聖臣はなんて書くのかな。そう手元を見ていたのだけど、聖臣が「見るな」とクレームを入れてきた。そんなのアリ? そう笑うわたしに背を向けて、聖臣がきっちりガードをしながら短冊に何かを書き始める。やっぱり井闥山学院男子バレーボール部全国制覇≠ニか書くんじゃないの? 恥ずかしいから見られたくないだけでしょ? かわいいやつめ。そんなふうに微笑ましく見ている間に聖臣が書き終えた。わたしに見られないようにしっかり手で隠したまま、木箱の中にそれを入れてしまう。

「えー、なんて書いたの?」
「帰るぞ」
「ちょっと〜教えなよ〜」
「お前のこと」

 あまりにも自然にそんなことを言うから、「あ、そうなんだ」なんて軽く受け流しそうになってしまった。聞き間違いかからかわれたのか。どっちにしろ、聖臣が言うにしては、らしくない冗談だった。
 固まっているわたしを聖臣が振り返る。ひぐらしの鳴き声。柔らかな夕暮れの風。燃えるような夕焼け。そのどれもこれもが、なんだか世界の終わりを告げるように思えてならない。なぜなのかは、よく分からないけど。

「お前のことを書いた」

 やけに丁寧に言うものだから、どきり、と心臓が音を立てた。なんでそんなこと急に言うの。聖臣は七夕なんかくだらないって言うタイプで、短冊なんて適当に書く人でしょう。それなのに、なんでそんなに真剣な顔をしてくれているのだろうか。
 わたしのおふざけに、聖臣は呆れながらも付き合ってくれることが多かった。それを見た周りの人が驚くほど、聖臣はわたしがどこへ行ってもついてきてくれたし、ヘマをしたら文句を言いつつフォローしてくれた。優しい人なのだ。なぜだか分からないけれど。

「……な、なんて書いたの?」
「知りたきゃ自分で探せ」
「え」
「七夕祭りで見つけられるもんなら見つけてみろ」

 小馬鹿にしたみたいな笑い方をされた。七夕祭りで飾られる短冊の量はとんでもないものだ。大きな竹がずらりと小道に並べられているし、高いところにあるものは読めない。聖臣はそれが分かっていた。どうせ見つけられないし読めないだろうと思っているのだ。だから、つまり、短冊に書かれているのは、わたしが知らない聖臣の、何かの真実というわけで。

「……意地悪は良くないと思いま〜す」
「いじめてねえよ」
「教えてくれたっていいじゃん!」
「喚くな。帰るぞ」

 くるりとこちらに背を向ける。それからすぐに歩き出した聖臣に駆け寄って、隣を歩く。教えてくれない。拗ねるぞ。そう睨んでみたけど「勝手に拗ねてろ」と言われるだけ。絶対知りたい。聖臣は自分のことをあまり話さないから、本音が知りたいのに。そもそも聖臣は本音しか話さない人ではあるけれど、なんとなくわたしに教えてくれていないことがある気が昔からしている。
 あんまりにも教えろとうるさいわたしに、聖臣が「見つけるまで毎年書いてやるから頑張れ」と薄く笑った。聖臣の横顔を見上げながら「なにそれ、むかつくんですけど」と笑いながら、ちょっと、拳を握る。
 毎年こうやって一緒に短冊を書きに来てくれるなら、見つけられなくても、いいかも。いや、見たいことには見たいけれど。そんな馬鹿みたいなことを一人で思って、誰も知らない呼吸をした。
 ひぐらしが鳴いている。もう帰りなさいと促すように。嫌だ、帰りたくない。子どものころのわたしが泣いている。きゅっと聖臣の手を握って。離したくなかった。昔も、今も。変わらずずっと。たぶん、これからも。


簡単に永遠を願うのね
黄色 × 佐久早聖臣 × ひぐらし

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