合同合宿は毎年しんどい。正直人見知りなわたしにとっては他校生との会話は気を遣うことばかりで疲れるし、楽しい気持ちもあるけれど一日中気を張るのは結構しんどい。そんなふうに小さくため息をついたら大滝先輩に笑われてしまった。
 森然高校で行われている合宿。梟谷グループに加えてなぜだか宮城の学校も参加することになった。知らない人が増えてしまった。そう怯えていると大滝先輩が「大丈夫だよ」と宥めてくれたけど、大丈夫じゃないんです、これがちっとも。そんなふうに嘆いていてしまう。マネージャーの人たちとはそれなりにしゃべれるけど、選手とはまったく。去年なんて大滝先輩にくっついているのに必死でほとんど選手とはしゃべらなかった。すごい人たちばかりで圧倒されて、自分だけ場違いに思えてきて知らない間に体を小さくしてしまう。今年もそうなんだろうな。そんなふうに緊張してしまう。
 結局ほとんど誰ともしゃべらないまま。差し入れでもらったスイカを切りつつため息。梟谷のマネージャーさんが「大きいため息〜」と笑った。烏野のマネージャーさんも微笑ましそうに見ている。
 こんなふうにため息をついているのにはわけがある。しゃべってみたい人がいるのだ。去年はじめて参加したこの合同合宿で、重たい荷物を運んでいたのを助けてくれた人。慌てて変なお礼を言ってしまったのに笑って「これくらいいいって」と言ってくれた、音駒高校三年生の夜久先輩。今年話しかけられなかったら、来年はもういない。だからどうしても話しかけてみたいのだけど全然勇気が出なくて。それに勇気を出したとして、なんて声をかければ良いのか。夜久先輩はいつも周りに誰かがいるし、ちょっと、ハードルが高すぎる。無理かな、たぶん。そんなふうに諦めようとしている。
 切り終わったスイカをマネージャーさんたちに配って、選手たちにそれぞれ配りに行く。大体自分の学校に持っていくと、大滝先輩が「あ」と言った。

ちゃん、音駒に持って行ってくれる?」

 びっくりした。あまりにびっくりしすぎて言葉を失っていると「あ、私が行こうか?」と言われた。いや、いやいや、行きます! チャンスだ。ここしかない。こんなとびっきりのチャンスがあっさり目の前に落ちてくるなんて。そんなふうにびっくりして言葉を失ってしまっただけ。慌てて人数分のスイカをお盆に載せて「行ってきます!」と言う。大滝先輩は「そんなに気合いを入れなくても」と笑っていた。
 そろ〜っと音駒高校が固まって座っているところを見る。誰に声をかけたらいいんだろう。主将さんかな。スイカどうぞ、でいいのかな。変に思われたらどうしよう。いろんなことを考えながらももう行くしかない。近寄っていきながら「あ、あの」と声をかけた。今年一番勇気を出したわたしの呼びかけに反応したのは、主将の黒尾先輩だった。

「あ、スイカどうもです〜」
「皆さんでどうぞ」
「音駒ー、スイカ有難くもらえー」

 アザース、と運動部特有の元気な声。ちょっとビクついてしまったけど誰も笑わなかった。よかった。そうほっとしていると「夏といえばスイカだよな」と夜久先輩が言いつつ手を伸ばす。何か、何か。そう考えてはいるのだけど、とんと何も出てこない。声も出てこない。でも、ここを逃したら、もう一生しゃべる機会はない。
 お盆を握る手に力が入った。きゅっと小さく唇を噛んでから、ゆっくり、口を開く。

「あの、夜久先輩」
「ん?」
「……え、えっと、あの」
「うん?」

 やっぱり何も出てこなかった。じわじわと話しかけなければよかった、と後悔に変わっていく。不思議そうにわたしを見る夜久先輩は「どうした?」と首を傾げている。変に思われる。どうしよう。そうちょっとずつ視線が下を向いていくと、背の高い銀色の髪の毛の人が「あ、夜久さん」と夜久先輩の頭に手を伸ばした。

「めっちゃ葉っぱついてますよ!」
「マジで? さっき寝転がったときかな」

 ぱさぱさと夜久先輩の頭を銀髪の子が払う。夜久先輩はそれにお礼を言ってからわたしを見て「あ、教えてくれようとしたんだ?」とわたしを見て笑った。違う、けど、そういうことにしておこう。ほっとしながら「はい」と言ったら「ありがとう」とまた笑ってくれた。罪悪感。でも、ちょっとだけ、話せた。それが嬉しくて他はどうでも良くなっていた。
 全員がスイカを取ってくれたのを確認してから、逃げるようにその場を後にした。音駒高校の皆さんに背を向けてからちょっとだけ口元が緩んだ。自分で分かるくらいしっかりと。気持ち悪いな、わたし。そうぐっと口元に力を入れながら戻る。その途中ですれ違った小鹿野先輩に「顔どうした?」と心配されてしまった。
 大滝先輩のところに戻って、マネージャーさんたちとスイカを頬張る。緊張した。そう一息ついていると、少し離れたところにいる夜久先輩の笑い声が聞こえてきた。何か面白いことがあったらしい。いつの間にか他校生たちもその周りに集まっている。いいな。ちょっとだけそう思っていると、ふと、夜久先輩がこっちを見た。慌てて視線をそらしてスイカを見つめる。別にスイカなんて見つめたいわけじゃない。でも、今目の前にあったのがスイカだったから。真っ赤なスイカはとても瑞々しくておいしそうなのだけど。今はそれどころじゃなかった。
 見てたのバレたかな。一瞬そう心配になったけど、そんなわけないかと笑う。だって結構離れているし去年も今年もほとんど一言しかしゃべっていない。他校の無口なマネージャー。そんなふうにしか思っているであろうわたしのことを見るわけがない。我ながら恥ずかしい勘違いをしてしまった。そんなふうにスイカを一口。しゃく、と噛んだら口の中で水分が弾ける。甘くておいしい。夏の爽やかな味がする。そう少し顔がほころぶと同時に「あ」と梟谷のマネージャーさんが声をもらした。それからすぐに「夜久くんお疲れ〜」と言ったものだからびっくりして。思わず振り返ってしまう。

「お疲れ。スイカまだある?」
「あるよ〜。どうぞ」
「サンキュー」

 わたしの目の前に夜久先輩の腕が伸びる。それから、スイカを掴んだ。そっか、さっきスイカのおかわりがほしくてこっち見てたんだ。やっぱり。恥ずかしい。ものすごく自意識過剰な人になってしまっていた。一瞬とはいえ自分のその失態が恥ずかしくて、ちょっと視線を俯かせる。
 夜久先輩の腕が視界から見えなくなった。もう戻っていっちゃう。そんなふうに勝手に寂しく思っていると「ん?」と声がした。夜久先輩の声だ。誰かに声をかけに行くんだろう。そう思いつつ視線を俯かせていると、少しだけ、髪を引っ張られた感覚があった。びっくりして顔を上げたら、バチッと目が合った。夜久先輩はまん丸な目をわたしに向けたまま「あ」と声をこぼす。

「えーっと、ごめん、ちゃん」
「えっ」
「いや、ごめん、下の名前で呼ばれてるとこしか記憶になかった。ごめんな!」

 照れくさそうなのが半分、申し訳なさそうなのが半分。そんな様子で夜久先輩がわたしに笑っている。なんで。というか、名前で、呼ばれてしまった。赤くなる顔をどうにか堪えながら思わず頭を押さえると、夜久先輩が色鮮やかな葉っぱをわたしに見せてくれた。

「これ、頭についてた」

 なんてことはない、夜久先輩の笑み。きっとわたし以外の人には特に変わったものでもないし、普通にものだったと思う。でも、わたしにとっては。
 頭を押さえたまま「ありがとう、ございます」と小さく頭を下げる。夜久先輩は「さっきのお礼」と言って葉っぱを茂みに放った。お礼を言われるようなことはしていない。葉っぱがついていることを教えたのは音駒の人だったし、取ったのも音駒の人だった。わたしは、夜久先輩に話しかけたくてあわあわしていただけだ。
 「じゃあ」と言って夜久先輩がスイカを持って元の場所に戻っていく。行っちゃった。夜久先輩の背中を見つめて見送るしかできない。きれいな笑顔だったな。瞳に色濃く残ったままの夜久先輩の笑み。きっとしばらくこの瞳に残ったまま取れないのだろう。そう思うとちょっと、切なかった。


瞳に咲く

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