「ほんまにどないしよ」
「せやから言うたほうがええってわたし言うたのに」
「完全にタイミングしくったわ。今更なんて言うたらええねん」

 頭を抱える治をぺしんと叩いてやる。まあ、気持ちは分からなくないけど。そう内心同意しつつ。口では「なんでもええけど宿題終わらさな部活できへんで」と教科書をとんとん叩く。全然夏休みの宿題が終わっていない、という治の面倒を侑に押しつけられた。仕方なく宮家に来て治と侑の部屋で勉強会をしているのだから終わらせてもらわないと困る。そうため息をついた。
 幼稚園からずっと一緒の治。と、双子の侑。母親同士が学生時代からの仲良しで、気付けばよく一緒に遊んでいた。宮双子は子どものころはどちらも元気いっぱいの悪ガキで、わたしはよくいたずらされて泣かされていたらしい。それでも仲が良いままだったから不思議だった、と母親はよく笑っている。
 年を重ねるごとに、悪ガキだった二人もじわじわ落ち着いてきた。まだ侑は昔の面影が残っているが、治はかなり大人しくなっている。悪乗りをすれば昔の治が顔を出すけど。ちょっと大人っぽくなったな、なんて思ったっけ。
 わたしも宮双子も無事稲荷崎高校に入学し、一年生のときは三人ともクラスがバラバラだった。けれど、治はよくわたしのクラスに遊びに来ていて。お昼ご飯もよく一緒に食べたし、部活が休みの日は一緒にも帰った。中学のときより顔を合わせる回数が増えたんじゃないかと思うほど、治と一緒にいる時間が増えていて。不思議に思っていたら、一年生の夏、治に告白された。ずっと好きやった、と言われた瞬間に頭を駆け巡ったこれまでの記憶。え、どこが? 素でそう返してしまったことを未だに治に文句を言われている。
 一年生の秋まで治からの告白に返事をしないままだったのだけど、ついに強行突破された。突然うちに来た治に「今すぐ付き合うんかフるんかはっきりせえ」と凄まれた。正直、これまで治のことをそういうふうに見たことはなかった、けど。そのときに掴まれた腕が妙にくすぐったくて。フったらこれまでみたいにしてくれなくなるかも、という不安も相まって「つきあう……」と答えている自分がいた。
 そんなふうにしてお付き合いがはじまり、もう少しで一年が経つ。特にクラスメイトの誰にも付き合っていることは言っていないままだ。クラスメイトや治の知り合いは、治に彼女がいることを知らない。そんなフリーだと思われている治に、三日前、告白をしてきた女の子がいたのだ。しかもバレー部の面々が見ている前で。治は「ごめん」と断ったらしいのだけど、その女の子がなかなか引き下がらず。治は咄嗟に「彼女おるからごめん」と説明したのだという。同じバレー部の角名くんや銀島くん、先輩や後輩の人たちはもちろん驚いていたそうだ。だって、誰にも彼女がいるなんて言っていないのだから。そして、その中で誰よりも驚いていたのが、侑だったという。

、ツムに言うてや」
「嫌やわ。自分らで解決せえや」
「絶対なんか言われるやん。ツム拗ねるとめんどいねん」
「それはわたしも知っとるっちゅうねん」

 治と付き合うことになったとき、「侑、どないする?」と確認したことを思い出す。一応報告したほうがいいのでは、という意味を込めて。治はそのときちょっと考えたのち「言わんでええやろ」と言った。恥ずかしいとか気まずいとかそういう考えだったのだろう。まあ、嫌でも気付くだろう。そんなふうに思っていたわたしを余所に、侑は近年稀に見る鈍さを発揮し続けた。侑のことだからちょっとの変化ですぐに気が付くと思っていたのに、これっぽっちも気付く気配がなかったのだ。さすがの治も参っていたことを思い出す。「でも自分から言うん嫌や」と謎の照れを発揮し続けた治。こっちが心配になるほどの鈍さを発揮し続けた侑。それがこの結果である。
 告白してきた女の子が立ち去ったあと、治はもちろん質問攻めに遭ったそうだ。「彼女誰?」「同じ学校?」「同級生?」とか普通の質問が飛び交う中、侑はぽけっとして立ち尽くしていたという。あまりにも魂が抜けたような様子だったので治が声をかけると、ぼそりと、「なんで言わへんねん……」とだけ言ったとか。

「これで相手がやって知ったらツム、ブチギレよるんちゃうか」
「そこ、綴り間違うとる」
「どれ?」
「これ」

 英文の真ん中あたりを指差す。治は消しゴムでゴシゴシ消してから、また間違った綴りを書いた。頭を叩いてやる。授業ちゃんと聞け。辞書を見ろ。そう言えば「おるでええやん」と悪びれる素振りなく言った。

「そういえば侑は? 出かけとんの?」
「知らんけど、買い物行くって昨日言うとったで出かけとんのやろ」
「知らんって。朝出かけてくとこ見てへんの?」
「起きたらおれへんかった。スマホもないし」

 ああ、治、今日わたしが来る直前に起きたって言ってたもんね。でも確かに。宮家はおじさんは仕事、おばさんは出かけていて静まりかえっている。いつもはもっと賑やかなのに。侑もいないんじゃそりゃ静かか。勉強するにはもってこいというわけだった。こちらとしては助かる。
 治の横からノートを覗き込みつつ「手、止まっとる」と言う。治は「休憩や」と言いつつ机に置いてあるお菓子を手に取った。この調子じゃいつ終わることやら。なんだかんだ宿題を残したことはないけど、毎年この時期になると手伝いを頼まれるのがちょっと憂鬱だ。わたしだってできることなら勉強とか宿題はしたくない。でもやらなきゃいけないのだから仕方なくやっているだけだ。それに、早く終わらせておけば、治と出かけたりできるかな、とか思ってたし。治はそんな気ないみたいだけど。そう内心拗ねておく。

「なあ」
「うん?」
「キスしたいんやけど」
「……嫌や」
「なんで?」
「いや、ここ、侑の部屋やし」
「俺の部屋でもあるんやけど」

 その通りではある、けど。そう目をそらすと治の手が伸びてきた。わたしの肩を掴んで、ぐっと押される。力で敵うわけはない。為す術もなく床に倒れてしまう。治がわたしを見下ろしながら「あかん?」と小さな声で言うものだから、これまた、敵わなくて。押し黙っていると「目」と耳元で言われる。瞑って、の意味。わたしの肩から手を離した治はさまよっていたわたしの手を握った。そうっと目を瞑ると、おでこに柔らかいものが当たった。次は瞼、次は頬、そして唇。いつもこんなふうにしてくるから、困ってしまう。ちゅ、とかわいらしい音を立てて唇が離れると、治がじいっとわたしを見つめていることに気が付いた。

「…………あかんよ、治」
「…………なんで」
「さすがに、それは、ほんまにあかん」
「触るだけ」
「いや、絶対それで終わら、って、ちょ、ほんまにあかんって、」

 わたしが言葉を言い終わるより先に唇を塞がれた。甘えるように唇を舐められると、またしても、わたしは治に敵わなくて。いけないことをしているような感覚に震えながら、ほんの少しだけ口を開けた。
 するすると首元に治の指が滑る。クーラーの温度、もっと少し下げてもらえばよかった。少しだけ汗をかいているのが分かる。その指が少しずつ下へ向かっていき、ブラウス越しにくすぐるように下着の紐をなぞった。

「ほ、ほんまにあかんでな? 治、ええ子やで我慢しよ?」
「ええ子ちゃうで我慢できへんな」
「あかん、ほんまにあかん、嫌やって。侑帰って来たらどないすんの」
「夕方くらいまで帰ってこうへんやろ。大丈夫や」

 首元に唇が触れる。甘噛みされたり舐められたりしているとどんどん体が熱くなってきてしまって、どうしよう、このままやっぱり、敵わないかもしれない。そう悔しくなる。せめて声が出ないように口を手で抑えた。治の右手がするすると体の輪郭をなぞって、太腿に辿り着いた。そのときだった。

「侑くんずっとここにおんねんけどーーーーー!!!」





▽ ▲ ▽ ▲ ▽






 八月の上旬。夏真っ盛り。それにも関わらずこの部屋のクーラーはポンコツであまり効いていない気がする。いや、来たときは寒いくらいだったのだけど。そんな部屋のドアの前で正座している治の顔色が明らかに悪い。さっきからずっと俯いている。
 出かけていったと治が思っていた侑は、治と同じく今日は寝坊助だったらしい。二段ベッドの上で頭まで布団を被ってスマホを握りしめたまま眠りこけていて、起きたときにはすでにわたしがいたそうだ。はじめは「ああ、宿題の面倒見に来よったんか」と気に留めず、眠たかったこともありそのまま放置していたらしい、の、だけど。わたしと治の会話の雲行きが怪しくなり、ついには事に及ぼうとしたためさすがに声を上げられずにはいられなかった、としくしくと語ってくれた。

「俺の! 気持ち! 考えたことあるんか?!」
「いや、おるんて知らんかったし……」
「おらへんかったとしてもすんなや! 俺の気持ち考えろや!!」
「侑、あの、ごめんな。絶対もうせえへんから」
はええねん! あかんとも嫌やとも言うとったやんけ! サムお前や! 俺が憤っとんのは! な〜にがええ子ちゃうで我慢できへんじゃボケェ!!」
「あの、それ、聞かれとったんほんまに恥ずいんやけど……」
「しゃーないやろずっとそこにおったんやから! 聞こえるっちゅうねん!!」

 めちゃくちゃに怒鳴りつける侑をなだめつつ、治に「早よ謝ろ」と促す。もうさっきから何度も謝ってはいるけれど。侑の気が治まるまでは謝るしかない。どうしようかと二人の中間に立ちつつあわあわしている。

「なあ」
「なんやねん!」
「俺とりあえずトイレ行ってもええ?」
「秒で済ましてこいや!!」

 こんなに怒っている侑を目の前にしてもペースを乱さない治、相変わらず強い。そう苦笑いをこぼしていると、侑が大きなため息をついてドカッと床に座った。「ごめんな」と苦笑いのまま言うと侑は「ほんまにな」と呆れたような声で呟く。そそくさと隣に座ると、侑はぼそりと「いつからなん」と言った。

「一年の秋くらい」
「嘘やん。全然気付かんかった、っちゅうか言えや」
「それもごめん。せやけど、わたしは言うたほうがええって治に言うとったで」
「サムあいつほんまに殴る」

 ハア、とまた一つ大きなため息がこぼれる。侑はじろっとわたしを睨んだかと思えば、突然デコピンをかましてきた。地味に痛い。おでこを押さえつつ「何すんの」と控えめに笑っておく。侑はわたしの顔をじいっと眺めてから、ふいっと目をそらした。それから「ムカつくで、一個ええこと教えたる」と独り言のように言う。

「小学五年のとき、お前隣のクラスのヤツに告られたやろ」
「あー、ショウくんな。そんなこともあったなあ」
「それ聞いた治、めっちゃ号泣しとったで」
「……なんで?」
ちゃん取られてしもうたらどないしよお、ちゃん取られたないぃ′セうて」
「声真似せんでもええやろ」
「え、似てへん?」
「地声のほうが似とるわ」

 「えー嘘やん」とようやく笑った侑にほっとしたけれど、ちょっと動揺している自分がいる。なにそれ。取られたらどうしようって。そんな感じ、本当に今まで全然出してなかったくせに。気付いてないわたしが馬鹿みたいじゃん。なにそれ。小学五年って。ずっと好きだった、とは、言われたけど。そんなにずっと前からなんて聞いてない。

「まあ、彼女できたって聞いて、お前のことやろなとは思ったけど」
「なんで? わたし治のことそんなふうに見てへんかったのに」

 不思議に思ってそう口に出したら、侑はとんでもなく衝撃を受けたように目を見開いた。その数秒後に口が開いて「はあ?」とこぼれる。治がまだ帰って来ていない部屋にその間抜けな声が転がり、わたしは頬杖をついていた腕をずるりと滑らせてしまう。え、そんなに驚くこと? 侑は未だ間抜けに口をあんぐり開けていて、目玉が落ちそうになったままだ。その表情の意味が分からなくて思わず「え、なんなん?」と聞いてしまう。そんなに驚くことじゃないでしょ。そういう意味を込めて。
 侑は「あーあーあーあー、嫌になってきたわー」と言いながら、ごろりと床に寝そべる。この世の何もかもが憎い、と呟いてから「お前のソレ=A無自覚なんか〜い」と長い足でわたしの太腿をちょんっと蹴った。

、何かと治優先やったやんけ」

 そう言われてきょとんとしてしまう。床に寝そべったままの侑をじっと見て黙りこくっていると、またしても太腿をげしっと蹴られる。痛いんですけど。そう文句を言うけど侑は「治贔屓、治優先」とぶつぶつ言うだけ。なんかごめんなさいね。全然自覚ないけど。
 侑曰く、双子が喧嘩をしたときにわたしは必ず治の味方をしていたという。治が悪くても、どちらにも非がなくても。できなかったことができるようになったときにも治のほうをよく褒めていたとか、話を聞くときにも治相手だと最初から最後まで優しく聞いていたとか。そう忌々しそうに語る侑には悪いのだけど、一つも身に覚えはなかった。

「はよくっつけや〜って思うとった俺の気持ちを考えろや……」
「……なんかすみません」
「ほんまやぞ! 隣でおんなじ顔と幼馴染がいちゃいちゃしよるんしんどいでな?!」
「いちゃいちゃしてへんわ!」
「しとったわ! 無自覚かい! アホか!!」

 ようやく体を起こした侑が「もう嫌やこいつら!」とわめき散らかす。うるさい。近所迷惑だからやめなってば。そうなだめていると、階段をあがってくる音が聞こえてくる。治が戻ってきたらしい。「どんだけ処理に時間かかっとんねん」と侑がドアの向こうに聞こえるくらいの声量で言った。ガンガン、と足音が乱暴になると、すぐにドアが勢いよく開く。治が「うっさいねん」とバツが悪そうな顔をしつつのしのしと部屋を歩き、わざわざ侑とわたしの間に腰を下ろした。

「で、ツムいつ出かけるん?」
「この状況で出かけるわけないやろうが!」
「侑は宿題終わったん? わたしももうちょっとで終わるんやけど、どうせなら一緒にやる?」
「え〜……」
「おいサムお前ほんまにどつくで」

 侑が立ち上がると、自分の机の上に置いてあるプリントを手に取った。それを見た治が「ほんまにやるんかい……」と嫌そうに呟くので侑の代わりにわたしが叩いておく。机に広げてある治のノートとわたしのプリントを少し動かしてスペースを作った。そのスペースに侑がプリントを広げると「ちょうどええわ。これ分からへんかってん」とシャーペンでプリントを指す。それを覗き込んで「あーそれな」と説明をはじめると、明らかに治が拗ねはじめた。

「子どもかお前は」
「やってお前ら昔から二人で楽しそうにしよるんやもん。ムカつくやん」
「はあ? それこっちの台詞やねんけど」
「なんでやねん。こっちの台詞や。盗んなや」
「いやいやお前アホかっちゅうねん。俺の台詞やわ」
「なんでもええから宿題やれや」

 ぺし、と治の頭を叩いておく。今のは治が悪い。侑は普通に宿題を進めようとしているだけなのに、勝手に拗ねて嫌な態度を取ったのだから。そんなわたしを、治がびっくりしたような顔で見ていた。頭を押さえてじっとこっちを見ている。え、何。そんなに強く叩いてないけど。そう動揺していると侑が愉快そうに笑った。

「今日は俺贔屓でごめんな〜?」
「……うっさいねん」
「せやからどっちも贔屓してへんって」
これ分からん」
「お、やる気出して気引く作戦やな?」
「ツムほんま黙っとけや。どっけ行け」

 ちょっと、安心している自分がいる。治と付き合うことで、侑とはどうなってしまうのだろうと思っていたから。気まずくなったり距離を取られたりするのかな、なんて思っていたのだ。治は彼氏になったけど、大事な幼馴染であることに変わりはない。もちろんそれは侑も同じで。できれば仲が良い幼馴染のままでいたいな、と思っていた。だから今目の前にある光景がとても嬉しくてたまらない。いいとこ取りしちゃったな、なんて。とても贅沢な気持ちになった。


dazzling finale

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