しまった。そう思ったときには時すでに遅し。一緒に来ていた人たちは人混みに紛れて消えてしまい、賑やかなのにぽつんと一人取り残された気持ちになった。
 おかしいな、さっきまで夜久の後ろをちゃんと歩いていたはずだったのに。ちょっと屋台に目移りしている間にみんないなくなっている。身長が高い人がいっぱいいるんだしすぐ見つかるでしょ、なんて思ったのにとんと目印になりそうな数人の姿さえ見つからない。リエーフ、とりあえずリエーフを探そう。滅多にいない190cm台の銀髪! きょろきょろと辺りを見渡して見るけれども、一発で分かるはずのリエーフの頭は見つからない。どういうことだ!
 急いでスマホを、と思ったけどすぐに手が止まる。最悪。わたしの荷物、黒尾が持ってるんじゃん。さっき射撃したときに持ってもらったまま忘れてた。というか、黒尾もわたしが忘れて持たされっぱなしになってるんだから文句言いなよ! 嫌な偶然が重なった結果の迷子。最悪だ。連絡も取れないし目印のリエーフも見えない。みんなもう花火が見える河川敷のほうに行ったのかなあ。とりあえずわたしもそっちに出てみたほうがいいかもしれない。屋台通りは人が多すぎて目が回る。一旦抜けよう。そう道から外れようとしたときだった。

「はいはい、回収〜」

 愉快な声とともに腕を掴まれた。びっくりして顔を上げると黒尾がにやにや笑って「高三にもなって迷子カナ〜?」と明らかに馬鹿にしている顔を向けている。ムカつく、けど今だけはほっとした。いつもなら嫌味で返しているところだけどぐっと堪えておく。「どこ行ってたの」と責任転嫁だけはしてみた。黒尾は笑いながら「いやいや、それこっちの台詞なんですけど」と言ってわたしの腕を引っ張る。人混みをするすると避けながら歩いて行った先は、混雑から抜けた端っこの空間だった。

「あ、鞄ごめん。ありがとう」
「それは全然いいけど、一つ残念なお知らせがあります」
「なに?」
「なんと、俺も迷子になってま〜す」
「馬鹿なの?」
「ひどくねえ?」

 けらけら笑いながら黒尾が鞄を渡してくれる。「連絡しても無反応だし、どうするかねえ」とのんきに屋台を見ながら言う。全然焦ってないじゃん。黒尾は夜久と孤爪くんに連絡をしたらしいけど、いずれも返信なし。他の部員にも連絡をしてみたけれど今のところ返信なしとのことだ。恐らくもう少しではじまる花火を見に河川敷へ向かっているだろうとのことだけど、人混みがすごいだろうしスマホを見ている場合じゃないのだろうとの見解だ。

「連絡が取れたとしても合流すんの難しいだろうし。諦めるか」
「あっさり諦めたね〜。まあ、そうだね。諦めよ」

 仕方なく二人で河川敷のほうへ歩いて行くことにした。運良く合流できるかもしれないし。花火は見たいし。そう言えば黒尾も「そうだな」と言って歩き始める。それにしても人混みがすごい。近所では今年初の花火大会だし、規模も大きいから毎年こんな感じだけどいつまで経っても慣れない。黒尾も「誘っても研磨は数年に一度しか来ない」と笑った。いや、ここに孤爪くんを連れてこられるだけすごいでしょ。数年に一度、が今日だったとのことだ。残念。人混みにうんざりする孤爪くんちゃんと見たかったな。
 ぞろぞろと人混みに紛れるように歩いて行くのだけど、みんながみんな同じ速度、方向に向かおうとしているわけはなく。合間に抜かしていこうとこちらを押しのけてくる人、人と合流するために横切ろうとしていく人。そんな人に遭遇するとどうしても進路を妨げられてしまう。黒尾の背中がほんの少し離れたところで声をかけようとしたけど、また横切ろうとする人がわたしの前を通り過ぎた。あ、離れる。そう思った瞬間に黒尾がこちらを振り返った。
 伸びてくる手を掴む。黒尾はわたしの手をぎゅっと握ると「はいはい、仕方ないな〜」と笑う。ちょっと、馬鹿にしたでしょ。そう睨んでやると「文句はあとで聞いてやるからはぐれんなよ」と前を向き直した。
 知ってたつもりだけど、黒尾って手が大きいなあ。背が高いし男の人だから当たり前だけど、実際こうして手に触れるとよく分かる。このままぐっと力を入れられたら握りつぶされそう。そんなことをのんきに考えていると、黒尾が人混みをゆるく横断するように歩き始めた。え、どこ行くの。戸惑いつつ手を掴まれているからついていくしかない。
 完全に人混みから抜けて、細い道に入ってく。階段をあがってどんどん高いところへ向かっている。最初はちらほら歩いている浴衣姿の女の子や親子連れがいるから、お祭りの会場に戻るのかな、と思ったけど方向が明らかに違う。「どこ行くの?」と黒尾の顔を覗き込みながら聞いてみると、「イイトコ」としか教えてくれなかった。花火いいのかな。ちょっと見たいんだけど。そう思ったけど、なんとなく口に出せなくて黙っておいた。
 ところで。いつまで手を掴まれたままなんだろう。そっちのほうが気になって仕方ない。もうはぐれる心配なんかないのに黒尾が手を離す気配はない。別にいいけど。そうぼそりと一人で喉の奥で呟いておいた。

「お、こっちも結構人いるな」
「公園?」
「そ。ここからも花火見えるんだよ。地元のやつもほとんど知らないけど」
「そうなんだ! 知らなかった」

 公園の至る所にぽつぽつと家族連れやカップルがいる。まだ空いているベンチが一つあったのでそこに座ることにする。「ほどほどに見えればいいだろ」と言う黒尾に頷いておく。こんないいところ知ってるなら孤爪くんたちにも教えてあげれば良かったのに。見渡しても夜久たちの姿はない。黒尾が教えていないからみんな人混みに揉まれながら河川敷で待機しているんだろう。
 ベンチに腰を下ろす。まだ、手が離れない。わたしってそんなに子どもっぽいのだろうか。さすがに黒尾を置いて一人で走り出したりはしないんだけど。そう思っていると黒尾がちらりとわたしを見た。それからぽつりと「手、何も言わないですけどいいんでしょうか」とちょっとわざとらしい作った声で言う。

「いいんでしょうか、っていうかなんで離さないんだろうな〜と思ってたところ」
「マジかよ」
「マジだよ。何? わたしってそんなにそそっかしい?」

 黒尾は少し黙ったのち、また「マジかよ」と言った。え、何、わたしがおかしいの? そういう意味を込めて眉間にしわを寄せておく。理由を話しなさいってば。そう繋いだままの手で小突いておく。黒尾はそれに「マジで?」と笑った。

「結構、露骨にしてるつもりなんだけど?」
「何が? 心配性?」
「ちょっと傷付くわ」
「だから何がってば!」

 わたしがそう笑いながら言った瞬間、ドンという音のあとにパッと光。思わず空を見上げると花火がきらきらと舞っていた。時間ぴったりに花火大会がスタートしたようだ。周りの人たちも空を見上げて「きれいだね〜」と話している。ここは人混みもないし、ベンチに座ってゆっくりできる。黒尾やるじゃん。そう思って空に向けていた顔を黒尾に向けた、ら。
 黒尾がじっとわたしを見ていた。花火はじまってるよ。そう言っても「そうだな」としか言わない。空を見ずにわたしのことをじっと痛いほど見つめてくる。その間にもう一発打ち上がった。でも、花火を見たほうがいいのか黒尾を見たほうがいいのか分からない。なんでそんなふうに見つめてくるんだろう。そう不思議に思ったのはほんの一瞬だけ。その前の会話と合わせてみれば、理由は、恥ずかしながら思い当たるものがあった。
 ドン、とまた花火の音。光が視界の端で美しく瞬いたように見えたけど、目は向かない。ただただ黒尾の瞳を見つめ返していた。そういう顔もするんだ。のんきなわたしはそんなことを考えて、ぼけっとまぬけな顔をしていることだろう。それでも黒尾は笑わずにわたしを見つめている。いつもならからかってくるのに。

「……花火、見なくていいんですか、サン」
「……それ、わたしの台詞なんだけど」
「俺は別に見なくていいし? は見たそうにしてただろ」

 見たかったよ、そりゃあ。かなり大きい花火大会だから、毎年凝った花火が打ち上がる。テレビの取材が来たりネットで話題になったりする有名な花火大会だ。一見の価値はある。今日を楽しみにしていたし、写真も撮るつもりだった。さっきまでそのつもりだったのに。誰のせいだと。そう睨んでやると黒尾はけらけら笑って「熱烈な視線をどうも」と言った。ムカつく。

「で、改めて聞くけど」
「……何」
「手、このまま繋いでていいでしょうか」

 また花火が上がった。どうやらお花の形をしていたらしい。近くの親子連れが空を指差しながらそう言ったのが聞こえた。すっごくきれいだって小さな女の子がきらきらした声で言ったのも聞こえた。わたしも見たかったな。見られなかったじゃん、黒尾のせいで。


花火が見えないだけ

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