合宿三日目の夜、夕飯を食べ終わったわたしたちに監督が得意げに「ええもんがある」と言って出したのが、手動のかき氷器だった。昔ながらのそれは監督が自宅から持ってきたものらしい。今時ふわふわのかき氷が作れる機械があるというのにレトロな昔ながらのそれは、逆に物珍しかった。
 氷の調達まで済ませていたらしい監督が「あとは好きにせえ」と得意げに笑って広間から出て行った。残されたのは部員のみ。合宿所の広間である和室に妙に馴染むかき氷器。それを前にして最初に口を開いたのは治だった。

「え、シロップは?」
「そこかい」

 笑いながら尾白さんが部屋から出て行った。得意げに去って行った監督にシロップの行方を聞きに行ってくれたのだろう。わらわらとかき氷器に集まってきた部員たち。「手動や」「はじめて見た」と言う人が半分、もう半分代表の北さんは「ばあちゃんちにあるわ。懐かしいなあ」と言った。
 尾白さんが帰ってきた。スーパーの袋に入ったかき氷のシロップを机に広げると、我先にと治が氷をセットした。ここは先輩に譲るところなのでは、と普通なら思う場面だけど、稲荷崎にそういう概念はない。食べ物ときたらとりあえず治が先陣を切ることが多い。

「俺メロン」
「練乳ないん?」
「贅沢言うなや」

 ガヤガヤと広間が騒がしくなる。さっきまでも騒がしかったけど。ガリガリと治が氷を削り出すと続々と注文が入る。治は「自分のは自分でやれや」と言ってやるつもりはなさそうだ。さっさと自分の分を山盛り削ったら食べることに専念し始めた。
 それを笑っていると、すっと隣に静かに北さんが腰を下ろした。「は何味にするんや?」と聞いてくれた。ちょっと輪から離れたところにいたから気にしてくれたのかもしれない。なかなかハードな日程だったからちょっと疲れていて、賑やかな輪に入る気力がなかった。見ているだけで楽しいし、と気にしていなかったのだけど。さすがは主将。少しの変化も見逃さない。

「……なんや、眠いんか? 寝そうやな?」
「眠いというか、ちょっと疲れました」

 情けない。そんなふうにへらりと笑ったら北さんはなんだかちょっと困ったように笑った。「疲れるんが普通や」と言ってわたしを咎めることはなかった。
 そんなわたしと北さんを遠目に見ていた尾白さんが氷を削ってくれたらしい。「二人、何味?」と声をかけてくれた。イチゴ、メロン、レモン、ブルーハワイ。定番の四つ。北さんが「イチゴ」と言ったので続けて「同じでお願いします」と言ったら尾白さんはけらけら笑って「、声へろへろやな」と言った。
 去年の合宿もそこそこキツかったけど、今年はさらにキツかった。何より気温。毎年酷暑だと言われているけど、今年もそれは変わらなかった。夏恒例の最高気温を記録、という話題はテレビから当たり前のように流れてくるし、実際去年より暑い気がする。暑さに弱い身としては勘弁してほしい。
 かき氷がウーバー角名によって届けられる。「料金千円です」と言いながらわたしと北さんに手を出した。北さんが「なんやねんそれ」と笑いながら角名の手を軽く叩く。角名は笑いながら「またのご利用お待ちしております」と言って二年の輪に戻っていった。一年生のころの角名では考えられない行動だ。ずいぶんしっかり稲荷崎に染まっている。そんなふうにちょっとおかしかった。
 北さんに眠そうと言われたからなのか、本当に眠くなってきた。イチゴ味のかき氷を食べつつちょっと瞼が重い。北さんの話をぼんやり聞いて相槌を打っているのだけど、北さんの声が余計に眠気を誘う。安心するというかなんというか。穏やかで澄んだ声。ずっと聞いていたいな、なんて、おかしなことを思った。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 こつん、と軽く衝撃があった。驚いて顔をそっちに向けるとが俺の肩で寝落ちしていた。が持ってるかき氷がまだ半分残っている器を回収してから声をかけてみる。けれど、反応はない。すうすうと規則正しい寝息を立ててぐっすり眠っている。よほど疲れたのだろう。去年もそうだったけど、今年も体育館の端から端まで、宿舎から体育館まで、宿舎の一階から二階まで、いろんなところを走り回っていたし。監督たちが話をしている間も眠たそうだったし、かき氷器が登場してからも隅っこでぼうっとしていた。なんとなく気になっていたけどやっぱり疲れていたのだ。風呂にはもう入り終わっているし、あとは歯を磨けば就寝。起こして休むように言おうかと思った、けど、あまりにもすやすやと気持ちよさそうに寝ているからなんとなく起こせなかった。
 両手に持っている自分のとの分のかき氷の器。下に置いたら水滴が畳につくし、倒しでもしたら面倒だ。かといって両手に持っていると食べられない。どんどん溶けていくかき氷と、どんどん濡れていく自分の手。誰かに回収してもらおうか、と思ったけど声をかけたら、当たり前だけどみんながこちらを振り向いてしまう。なんとなくそれが嫌だった。なぜかは分からないけど。
 ぽたり、と器から伝った水滴がズボンの上に落ちた。俺の手の温度で溶けるスピードが速い。早く起こさないとジュースみたいになってしまうだろう、けど。そう思いながら見たの口元が小さく動いたのが見えて、ちょっと笑う。夢でも見ているのだろうか。食べ物の夢かもしれない。なんとなく幸せそうな顔をしている。おいしいものを食べているのだろう。そう思ったら余計に面白くて笑ってしまった。



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「はっ?!」

 一瞬寝落ちした気がする。自分が今まで何をしていたか思い出そうとぼやぼやしている頭を動かしていると、横から笑い声が聞こえた。そっちに顔を向けると北さんが顔を背けて笑っていた。なんで笑われてるんだろう。そう不思議に思ったけど、そういえば寝落ちする前は北さんと二人で話していたのだとようやく思い出す。「すみません」と照れつつ言ったら、ふと、北さんの両手にかき氷の器が握られているのが見えた。

「あ、わたしのやつ。すみません」
「すっかり溶けてしもたけどな」

 受け取ったそれはもうほとんどピンクの液体になっている。半分くらいしか食べられてなかったのに、こんなに溶けてる。どうやら自分が結構長い時間寝ていたことをそれで悟った。そして、北さんの手がびしょ濡れになっていることにも気が付く。ずっと持っていてくれたのだろう。北さんのかき氷ももうすっかり溶けてしまっている。

「……わたし、どれくらい寝てました?」
「三十分くらいやな」
「うわあ……すみません……」
「ええって。おもろいもん見たしな」
「え、なんですか?」
「秘密や」

 秘密にされてしまった。でも、なんか、ちょっと聞くのが怖かったのでちょうどいい。恥ずかしいところを見られていたら嫌だな。そんなふうに思いつつもう一度謝っておく。
 声をかければよかったのに。ちょっとそう言いかけた。びしょ濡れの北さんの手から察するに、ずっと両手でかき氷の器を持っていたことは分かる。たぶん下に置いて倒したらいけないから、と思ったのだろう。でも、誰かに声をかけて器を渡すなり、それこそわたしを置いて机に置きに行けばよかったのに。どうして全部溶けてしまうほどの時間、じっとしていたんだろう。溶けたかき氷をジュースみたいに飲みつつちょっと疑問だった。
 一回寝たら眠気が飛んだ。とはいえそろそろ解散になりそうな雰囲気だし、乗り遅れてしまったな。そう残念に思いながらふと視線を北さんに向けた。すぐ気付いた北さんが「なんや?」と首を傾げる。別に意味はない。なんでもない、と言おうとしたら、瞳が何かを捉えた。
 北さんが着ている白いTシャツの肩に、髪の毛。長いそれは北さんのものではない。バレー部で髪が長い人なんて一人しかいない。わたしだ。なんで北さんのTシャツについているんだろう。そう少し考えて、固まる。
 そういえばわたし、起きたとき、顔を上げたけど俯いて寝ていた感じじゃなかった。俯いていたらもっと首が痛いはずだ。なんか、横方向に、顔を動かした気がする。まさか。

「え、あの、北さん」
「ん?」
「わたし、北さんの肩、借りてました……?」

 北さんが目をまん丸にして固まる。ぱちくりと数回瞬きをしてから、大笑いした。その声に他の部員もこちらを振り返って「なんや、どないしてん」と首を傾げる。近付いてきた侑が「お前北さんに何したんや?」と肩を小突いてきた。こんなに大笑いする北さんは滅多に見られない。物珍しそうに侑は「めっちゃ笑われとるやん」とわたしを笑った。
 しばらく笑っていた北さんがようやく落ち着いてきた「いや、すまん」とお腹をさすりながら言う。そんなに面白いことがあったのだろうか。あまり思い当たる節がない。そうどぎまぎしていると、北さんはちょっと目をこすりながら咳払いをした。

「いや、まさかそこに気付いてへんと思わへんかったから」
「や、やっぱり! すみません!」
「何の話やねん」
「こっちの話やから侑あっち行って」
「ひどない?」

 しっしっと追い払うと渋々離れていく。北さんも落ち着いていつも通りの顔に戻ったし、他の部員たちは片付けをはじめた。なんとなく、気まずい。先輩の肩を借りてがっつり寝てしまった。しかも北さんだし。怒らない人だとは分かっているけど、だからこそ気まずい。申し訳なさでいっぱいになっていると、北さんが「ええって、そんくらい」と笑った。

「そのおかげでおもろいもん見られたしな」
「……あの、それが、どういうんかは……?」
「秘密や」
「で、ですよね〜」

 恥ずかしい。何を見られたんだろう。嫌だな、北さんに変なところ見られるの。そんなふうに顔が赤くなってしまう。二年の連中とかなら何も思わないのに。北さんにだけは嫌だな、とか、なぜだか思った。とんでもなく不細工な寝顔とか、とんでもなくくだらない寝言とか、とんでもなく汚いいびきとかだったらどうしよう。ああもう、北さんの記憶から消えてくれないかな、この夏の日が。


蹴り飛ばして、夏

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