「くっそ〜スマホ忘れたあ…………」

 がっくり項垂れる。お盆休みに母方の祖父母の家に来ているのだけど、鞄に入れたつもりだったスマホがとんと見当たらない。お父さんにスマホを鳴らしてもらってもうんともすんとも言わず。おばあちゃんに「おうちに忘れちゃったんじゃない?」と笑われて、今に至る。
 大した連絡は来ないだろうし、別にスマホがなくてもそこまで困らない。でも、ちょっと、気になることがあって。手元にないと思うと余計に気になって気になって、ため息が止まらない。そんなわたしをお母さんが「スマホ忘れたくらいで困らないでしょ」と呆れて言うものだから、がっくり項垂れたままでもいられなくて。二日間の帰省だから、まあ、いいか。できるだけ気にしないように努めるしか今はできないし。そう諦めた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「なんか二口、機嫌悪くねえ?」

 聞こえてるんですけど、鎌先さん。内心そう文句を言いつつ黙っておく。鎌先さんにそう声をかけられた青根も無言のまま頷くし、滑津も「明らかに悪いですね」とか言うし。ほっといてくれ。そうは思うが、まあ、表に出しちゃだめだよな。そう少し反省しておく。
 あいつ、なんで返信してこねえんだよ。文句を呟いておく。夏休み、どこでも暇だって言ってただろ。何が「連絡してくれたら遊んでやってもいいよ」、だ。既読すら付けてこねえじゃん。おばちゃんの実家に帰るとかなんとかは聞いたけど、既読くらい付けろよ。あいつの予定なんていちいち把握してないから知らないけど。
 休憩終了の合図。立ち上がって一つ伸びをする。茂庭さんに声をかけられて、どうにかあいつの顔を忘れることに努める。なんで俺があいつのことで悩まなきゃなんねえんだよ。イラつく。連絡寄越してきたら散々文句言ってやる。覚えてろよ。
 昨日の夜に送ったライン。「明後日何もないから遊んでやろうか」と送ってやった。あいつが勝手に寄越してきた気持ち悪いネコのスタンプと一緒に。大体暇をしているあいつはラインを送ると十分以内には返信がある。だから、部活の昼休憩まで返信がないなんてことは、今までなかった。向こうで遊んでいるとかなんとかだろうと思ったけど、それにしても既読さえ付かない。それが気になって気になって仕方なくて。
 いや、というか、え、なんで俺が気にしなきゃなんないわけ? そうじゃん、別に俺が気にする必要なくね? そうじゃん。そうじゃん。別にどうでもいいじゃん? 明後日は部活がオフで、何しようか考えていただけ。別にあいつと遊んでやる必要なんて元々ないし。一人でぶらぶらどっか行ったり家でのんびりすりゃいいじゃん。約束をしているわけでもないし。そうじゃん。なんで気にしなきゃなんないわけ?

「……ふ、二口、お前なんか悩みでもあるのか……?」
「はい?」
「夏休みの課題で困ってるとかだったら手伝うからな……?」
「や、別に困ってないですけど。手伝ってもらえるならお願いしま〜す」

 なんか知らんけどラッキー。茂庭さんに何手伝ってもらおっかな。そう考えつつコートに入った。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「あ〜〜やっぱり忘れてたあ〜〜!!」

 自分の部屋のベッドの上。充電器に差したままのスマホが悲しく置かれっぱなしになっている。二日ぶりのスマホ。チカチカと通知ランプが光っているから、メールとかいろいろ溜まっていそうだ。画面をタップして見てみると、思った通り。友達からのラインやダイレクトメールがたくさん来ていた。どれもこれも返信を急かされるようなものじゃないけど。そう思いつつスクロールしていった、先。「あ」と思わず声が漏れた。ライン三件。送り主二口堅治。それを急いでタップすると、わたしが祖父母の家に出発したその日に「明後日何もないから遊んでやろうか」という文章とともに、わたしがあげたネコのスタンプが送られてきていた。その後、今日のお昼に「ブス」と一言だけ。何こいつ、ムカつくんだけど。そう思いつつ嫌がらせで電話をかけてやった。ちょうど部活終わったくらいでしょ。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 部活終わり。Tシャツを脱ぎながら「クソ暑い、死ぬ」と呟いたら珍しく青根が小さく同意してくれた。さすがに今年の暑さはしんどい。こんな中バレーやってる俺らって割とマゾの才能があるんじゃないか。そんなことをうんざりしながら考えていると、バッグの中でスマホが振動していることに気が付く。半裸のまま手を突っ込んでみると、着信。は? 未読スルーかましといて急に電話かよ。意味分かんねえ。文句言ってやろ。タオルで首元を拭きながら電話に出てやった。

「お前なんなの? 二日間未読スルーかましといて急に電話とか意味分かんねーんだけど。……は? スマホ忘れてった? ウケんだけど、馬鹿じゃねーの? あ、お前スマホ二日間ないくらいなんてことないもんな? 友達俺しかいないしな? カワイソ〜。仕方ねえから遊んでやるよ。明日暇だろ? あーはいはい、うるせえな、明日駅十時な。遅れてきたら勝手に一人で行くわ。ぼっち回避できてよかったな〜? あ〜俺すげー優しい〜。今日は感謝して寝ろ。あ? うるせーし。じゃあ明日な。遅れてくんなよ」

 電話を切ってバッグにぽいっと入れる。なんだよ、スマホ忘れてくかよ普通。馬鹿じゃねーの。本当昔からしょっちゅう物なくすわ忘れるわで困るんだけど、あいつ。そそっかしくて目が離せなくて困ってんだよこっちは。中学までは一緒だったからよかったけど、高校別だし。あいつ俺いなくてちゃんとやってんのか? 普通に心配しかない。人に迷惑かけてねーだろうなってよく思うわ。定期的に連絡してやってるから大体のことは把握してるけど。

「じゃ、お先で〜す」
「お、おう、お疲れ……」

 そそっかしかろうがドジだろうが、ま、別にただの幼馴染だし、あいつがどうなろうとどうでもいいけど。

「…………すげー機嫌良かったな、二口」
「ちょっと気味悪いくらい機嫌良かったな……」



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 暑い。家から駅まで向かうまでで結構汗をかいた。不快。今年の夏は不快だ。暑くなることはもちろん知っていたので、黒いノースリーブワンピースを選んだけど、それでも暑い。へろへろになりながら駅に到着すると、すでに来ていた目印の長身と目が合った。

「ウケる。へろへろじゃん」
「暑い……死ぬ……」
「てか暑いからって太い二の腕さらしてんなよ。目に毒だろうが」
「殴って良い?」

 堅治はけらけら笑いながら「じゃ、こっち」と歩き出す。ちょっと、そっちじゃなくない? 今日は駅近くの公園に来ている人気のクレープのキッチンカーに並ぶ予定だったでしょうよ。この暑い中ちょっとやだな、と思いつつちゃんと帽子も被ってきたのに。堅治にそう言ったら「いや、ついさっき映画の気分になった」とか言い出した。マイペースがすぎる。昔からだから慣れたけど。ため息をつきつつ「はいはい」と言えば、堅治は「てかお前、黒似合わないから白着たほうがいいだろ」とわたしのワンピースをじっと見る。うるさい。いいでしょ、黒が好きなの!

「ちょっとちょっと、どこ向かってんの? 映画館って上でしょ?」
「いや服見に行くけど? 映画の時間別に決まってないし」
「何買うの?」
「カーディガン」
「……え、暑くないの?」
「いや、お前の。金は自分で出せよ」
「ちょっと意味が分かんないんだけど」

 堅治って本当昔からよく分からない。それももう慣れたものだけど。言い出したら聞かないし、黙ってついていったほうが楽だ。何のつもりかは知らないけどさっさとお安いお店に入っていったのでついていく。当たり前のようにレディースコーナーをずんずんと進んでいくと、薄手のカーディガンがかけられているコーナーに辿り着く。その中から白いカーディガンを手に取ると「レジ行ってこい」と言ってきた。いや、選ぶ権利。しかもこれかなり大きめのサイズじゃん。

「やだよ、サイズ合わないもん」
「いやこれでいいって」
「そもそもカーディガン別にほしくないんだけど?」
「言っとくけど買わずに後悔するのはお前だからな?」
「なんで?」
「夏に映画館とか水族館とか、そういう室内系のところ行くと大体中盤で上着持ってくれば良かった≠チて言い出すじゃん。サイズもいっつもぴったりのやつ買ったらあとでもう少しゆったりしたやつにすればよかった≠チて着なくなるし。色だって白くらいだろ、持ってないの。他の色のカーディガンはほとんど見たことある」

 堅治は「はい、レジ」とわたしにカーディガンを持たせてぐいぐい背中を押す。たしかに。堅治に言われて納得してしまった自分がいてちょっと悔しい。財布を出しつつレジに並ぶと、堅治が「お前映画何観たい?」とスマホの画面を見せてきた。なんでもいいなあ。今は特に興味あるのないし。適当に「これ」と指を差したら「馬鹿かよ、お前怖いのだめじゃん」と却下された。
 レジの順番が回ってきて、店員さんにカーディガンを出す。財布を開けている間に堅治が「すぐ着るんでタグ切ってください」と言ってくれた。そっか、うっかり忘れてた。「ありがと」とお金を出しつつ言ったら「そろそろ幼馴染離れしろよ〜」と笑われる。なに、幼馴染離れって。わたしも笑ってしまった。
 買ったカーディガンは、堅治が言った通り映画館でチケットを買っているときにひんやりしてきて着た。それを見て堅治が「ほら見ろ、言っただろ」と得意げに笑うものだから「どうもすみませんね」とそっぽを向いてしまう。悔しい。しかもカーディガンを着たほうがコーディネート的にもかわいいし。ムカつく。というか元はといえば堅治が勝手に予定変えたから室内になったんじゃん。そんなふうに拗ねておく。
 今一番流行りらしい映画のチケットを買って、飲み物も買った。ちょうど開場時間だったので中に歩いて行きながら、最近の部活の話をしてくれた。堅治って正直爽やかなスポーツマンタイプじゃないのに、ずっと真面目にバレーやってるんだよなあ。なんか不思議。高校が別々になっちゃったから部活でどんな感じなのかは知らないけど。
 チケットを取った席に座って、鞄を膝の上に置いた。堅治が「今のうちにマナーにしとけよ。どうせ忘れるから」と肘掛けに頬杖をつきながら言ってくる。うるさいな、もう。それくらいちゃんとやるし。そう鞄を開けてスマホを探す、の、だけど。

「何? またなんか忘れ物?」
「…………スマホ忘れた」
「マジかよ。ウケる。お前そろそろヤバいな」
「え〜嘘〜なんでだろ。起きて充電器から抜いた記憶はあるのに……落としたのかな……」
「どうせリビングのソファだろ。テレビ見ながらいじってて置きっぱなしにしたんじゃねえの」

 そう言いながら堅治がスマホを操作する。何してるんだろ。不思議に思いつつ見ていると、誰かにメッセージを送っているようだった。落としたとしたら駅のところかなあ。鞄に入れたような記憶はあるけど。誰かに盗られてたらどうしよう。そう道順を思い出していると、堅治が「ほら見ろ」と呆れたように笑う。見せつけてきたスマホの画面には、わたしのお母さんとのラインのトーク画面。「久しぶり。突然だけどのスマホソファにある?」と聞いたすぐあとに「あるわよ。困った子でしょ〜」と汗マーク付きの文章。そのあとにリビングのソファの写メ。確かにわたしのスマホがぽつんとそこに置かれていた。本当だ。朝、着替えてからテレビ見てたときにスマホ鞄から出したっけ、そういえば。そのときか。「よかった〜」と胸をなで下ろしていると、堅治が「良くねえよ」とため息をついた。

「お前そんなんで大丈夫? 俺なしでやってけないじゃん」
「えーめちゃくちゃ不服だけどそうかも……自分の将来が心配になってきた……」
「付き合ってやってもいいけど」
「何に?」
「いや、彼氏になってやってもいいけどって意味」

 じっと顔を見られる。昔からそうだけど、やたら整った顔だなあ。これで背が高い運動部なんだからモテるだろうに。堅治に彼女がいたところって見たことないな、そういえば。なんとも不思議だ。引く手数多だろうに。バレー部の練習で忙しかったっていうのもあるかもしれないけど。

「お前そそっかしいし。俺くらいだろ、面倒見れんの」
「あー、なるほど! ん? なるほどなのかな?」
「なるほどでいいじゃん。じゃ、そういうことで」
「え? 何が? ちょっと会話のスピードについて行けないんだけど」
「俺お前の彼氏、お前俺の彼女。はい、Q.E.D.な」
「証明終了してなくない?」
「映画はじまるから黙れ。うるさい。とりあえずそういうことで」
「はいどうもすみません。分かりました」

 なんかうまいこと言いくるめられた気がする。ん? わたし堅治の彼女になった? いいのかな? それとも冗談かな? まあ、堅治のことだし冗談か。わたしのこと異性として見てる感じないし。前に好きなタイプ聞いたら「お前以外」って言ってたし。失礼だよね、本当。ちょっとへこんだことは一生の秘密だ。あとでからかわれても嫌だから浮かれないようにしとこ。冗談冗談。堅治の冗談でも、まあ、彼女って言われたのは、ちょっと嬉しかった。それも秘密だけど。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「途中寝てたでしょ。ガクンッてなってた」
「マジ中だるみ半端なかった。ラストはよかったけど」
「わたしは結構好きだったなあ」
「お前頭すっからかんだしな」
「うるさいなもう!」

 映画のポスター記念に写真撮っとこ、と思って鞄を開けて思い出す。そうじゃん、スマホ忘れてきたんだった。映画見たらポスターの写真を撮るのが恒例だったのに。ちょっと残念。そう思っていると堅治が「おい」とわたしの腕を引っ張った。さっき観た映画のポスターの前に並んで勝手にインカメラで写真を撮った。

「何?」
「映画観たらいっつもポスター撮ってんじゃん」
「自分は入らなくていいんだけど」
「いいじゃん。記念にしとけば」
「何の記念?」
「………………」
「え、何? 何で怒ってるの? 情緒おかしくない?」

 なんかとんでもなく下等なものを見るような顔をされた。本当に何? 今日の堅治は特によく分からない。首を傾げつつ「ご飯行くんでしょ。何食べる?」と館内図のところへ歩いて行くと、堅治もついてきた。歩幅がわたしより断然広いからすぐ追いつかれたし、追いつかれてすぐ手を掴まれた。え、なんで? 迷子の心配されてる? 小学生じゃないんだし、さすがに迷子になったことはないんだけど。あ、スマホ忘れてるし、万が一はぐれられると面倒だからか。面倒見が良すぎるのも大変だねえ、なんて、他人事みたいに思った。でもさすがに大丈夫なんですけど。そう言おうと堅治の横顔を見上げたら、なんか、いつもと違っていて。館内図の前で立ち止まっても、ぼけっと堅治の横顔を見てしまう。

「何食べんだよ。言っとくけど冷たいもんは却下な。どうせあとで寒い寒いって喚くから」
「あ、うん」
「なんだよそのアホみたいな返事、って……なんだよ」
「いや、なんで手繋いだのかなって。さすがに迷子は経験ないと思うんだけど」
「はあ?!」
「え、ごめん? あったっけ?」

 堅治はわなわなと震えて「マジで最強の馬鹿かよ」と呟いた。失礼すぎる。繋がれたままの手をぎゅうっと力一杯握ってきた。痛い、痛い、痛い。体格差がすごい上に運動部男子の握力を受け止めるだけの能力はわたしにはない。普通に「痛い」と声にしたら堅治に睨まれた。いや、睨みたいのわたしなんだけど。
 ぱっと堅治が手を離した。「もういいわ。で、何食う?」とため息をつく。え、なにそれ、ちょっとムカつくんだけど。勝手に完結しないでくれる。そう堅治の背中を叩いたら「痛えなやめろブス」とまた睨まれた。ブスじゃないし。ブスって言われないように、一番好きな服着てきたし。速攻で似合わないとか言われたけど。なんなの。そう言うならかわいい女の子の友達でも誘って映画くればよかったじゃん。
 もういいや。なんかムカついてきたから帰ってやろ。無言のまま堅治に背中を向けてエスカレーターに向かっていく。堅治が「は? おい」と言いながらついてくる。知らんふりしてやる。このまま家に帰るし。もう堅治に誘われても来ないし。ラインも全部未読スルーしてやる。もう知らない。

「おいってば!」

 エスカレーターの手前で手首を掴まれる。他の人の邪魔になる。堅治を引きずって下りエスカレーターに乗った。「なに、怒ってんの?」とわたしの顔を覗き込む堅治は、「怒んなって」とバツが悪そうな顔をした。
 ずっと横で「なあ」「何、どれに怒ってんの?」「どこ行くんだよ」「飯いいのかよ」とずっと話しかけてくる。どうせ力では叶わないから手を振り払うことは諦めている。ずんずんと外へ出て堅治を待ち合わせた場所も通り過ぎる。堅治がようやく「え、お前帰ろうとしてる?」と気付いた。ほらほらさっさと離しなよ。本当にわたし帰るからね。一人で楽しくお買い物すればいいじゃん。わたしなんかいなくても堅治は一人で大丈夫でしょ。そう思うのに、堅治は「なあ、怒んなってば」と言ってついてくるだけ。
 その状態のまま歩き続けて、いよいよ家が見えてきた。堅治そろそろ離してくれないかな。いい加減鬱陶しい。いいじゃん、別にわたし一人怒らせたくらい気にしなくて。怒らせたくてあんなことばっか言ってたんでしょ。そう思っていると家の前に停まっているはずの母親の車がないことに気付く。父親は出勤しているから朝から車はなかった。ということは誰も今いないのか。鍵開けなきゃなあ。そう思いつつ片手で鞄の中を探る。

「おいってば。何? どれ? どれに怒ってんの?」
「……」
?」
「……家の鍵、忘れた」

 堅治が黙る。絶対馬鹿にしてる。だって、だって! 今日お母さん出かけるなんて言ってなかったし! 鍵は学校の鞄につけてるから、言ってくれなきゃ持ち歩かないんだもん、いつも!
 内心そう文句を言っていると、堅治がずっと掴んでいたわたしの手首を離した。はいはい。呆れて物も言えないっていうやつでしょ。いいよ、呆れてくれれば。玄関の前で待ってるくらいなんでもないし。そんなわたしの横を通り過ぎて、堅治はうちの玄関のほうに歩いて行く。え、何? 鍵ないから開かないってば。そう言うけど無視されてしまう。
 玄関の前に置いてあるネコの置物。堅治はそれの裏側を手で探る。「お」と小さく笑うと、何かがベリッと剥がれた音がした。

「ん」
「…………か、鍵だ」
「前におばちゃんがここに鍵隠してるって言ってた」
「え、わたし知らない……」
「いや、俺お前がおばちゃんに言われてるの横で聞いてたんだけど?」

 全然覚えてない。少し驚きながら鍵を受け取ると「これで許してくれる?」とバツが悪そうに言われる。その前に、わたしより先に怒ったの堅治じゃん。忘れてたけど。なんで怒ったの、と聞いたら堅治は「それ蒸し返すのかよ」と嫌そうに呟く。

「……お前、好きなやつとかいんの」
「なに、急に。なんで?」
「いるのかいないのかどっちなんだよ」
「…………い、る」
「ふーん。じゃあもういいわ」
「ちょっと、何? どういう意味?」
「好きなやついるならもう用ないからいい」
「何その言い方! ムカつくんだけど!」

 堅治はさっさとうちの敷地から出て行くと、自分の家に向かって歩いて行こうとする。ムカつく。このまま帰してたまるか! そうダッシュで追いかけて、歩幅の広い堅治にどうにか追いついた。鞄をがしっと掴むと「危ねーな」と睨まれた。

「何? どういうこと? なんでわたしに好きな人がいたらもう用ないの?」
「なんでもいいだろ。そいつに連絡でもしとけよ。ま、お前のドジをフォローできるやつだとは思わないけどな」
「で、できるし!」
「へえ? できるやつなんだ?」
「……」
「何?」
「…………できるの、一人しか、いないじゃん」
「いや、知らねえし」
「お、俺くらいだろ、って、言ったじゃんか……!」

 ムカつく! 思いっきり足を上げて蹴飛ばしてやる。「は?!」と堅治が素っ頓狂な声を上げて地面に手をついた。その隙にダッシュで家に戻る。堅治が見つけてくれた鍵をガムテープから剥がして鍵穴に入れる。ガチャン、と音を立てて鍵が開いた、のに、ドアが開かない。え、なんで?! 開いてたのかな?! でもお母さん、出かけるときはいっつもちゃんと鍵かけるのに! 鍵をもう一度差してガチャン、と音がするまで回す。けれど、やっぱりドアは開かない。なんで?! 軽くパニックを起こしていると、恐ろしいほど静かに、とん、と後ろからドアに手をつかれた。

「馬鹿かよ。おばちゃん、出かけるときは上と下両方鍵かけてくだろうが、いっつも」
「……あ! そうだった!」
「マジで大丈夫かよ。……で、お前パンツは白なのな」
「へっ、変態! 最低! ばか!」
「いや、勝手に見せてきたのそっちだろ」

 するりとわたしの手から鍵を取っていく。右手に鍵、左手にわたしの肩を掴んだまま鍵を開けていく。ドアノブの下のほうの鍵を開けるときもわたしの腰辺りを左手で掴んでくるから、逃げ場がなかった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「お前マジで今度はスマホちゃんと持ってこいよ。起きたらまず充電器から抜く、一回鞄に入れたら出さないか出したら忘れる前に入れろ。ソファの上と机の上は出る前に必ず確認しろ。あとお前、洗面所でヘアアレンジ動画かなんか見てんだろ。そんときも忘れんなよ。あと明日おばちゃんもおじさんもいねえだろ、鍵絶対忘れてくんなよ。メモしろ。チェックリスト作れ。夜確認するからそれまでに準備しとけよ」

 ピ、と電話を切った。結局あれから二回、あいつ何かしら忘れてきやがった。ここまで来ると才能だな。おばちゃんにそのたび俺が連絡してどこにいるとか何時には帰すとか報告をしている。面倒を見るこっちの身にもなれ。もう慣れてるから別に苦ではないけど。スマホを忘れたくらいならそこまで困らないけど、あいつ肌弱いくせに日焼け止め塗り忘れてきたり、またカーディガン忘れてきたりするんだよな。なんで俺の鞄に日焼け止め入れなきゃなんねえんだよ。夏が終わればそれも入れなくていいけど、季節が変わったら変わったで別のものを持ち歩かされそうだ。困る。

「二口って」
「なんスか」
「ちっちゃい妹とかいたっけ? すげー心配性じゃん」
「あー違います違います。よくスマホとかいろいろ忘れるやつですよ」
「え、彼女?」

 にや〜と先輩が笑ったのが分かった。変に言い逃れするほうが面白がられる。うんざりしつつ「そうですけど〜彼女がいない先輩方〜」と言い返しておく。

「マジかよ。趣味悪いなその子……」
「失礼すぎません? ちょーいい彼氏してますからね、俺」
「嘘つけ」
「あんなポンコツ、面倒見れんの俺くらいなんで」

 自分で言っといて、ちょっと照れてしまった。クソ、やらかした。案の定鎌先さんが「照れてんじゃねーか!」と全力でからかってくる。最悪。部室で電話すんのやめよ。別に電話してもいいって言われてたから気にしてなかったけど。今後聞き耳を立てられる可能性しかない。囲まれて写真を見せろだの付き合うまでの経緯を話せだのと言われる。誰が言うかよ。とりあえず適当に誤魔化して、さっさと退散してやった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 暑すぎ。夏無理。家から出て少し歩くと、曲がり角で堅治を発見。迎えに来てくれたらしい。声をかけたらわたしの顔を見るなり「日焼け止め塗ったか」と聞いてきた。塗ったってば。ちょっと拗ねつつ言うと「この前真っ赤になったから心配してやってんだろ」と呆れられた。
 堅治はじいっとわたしを頭からつま先まで見ると、「ふーん」と言った。なにそれ。ふーん、って。どうせまた似合わないとかなんとかでしょ。はいはいブスでごめんなさいね。曲がりなりにも一応、あなたの彼女ですけどね。内心文句を言いつつ「何」と睨んでおく。

「かわいいじゃん。やっぱお前、白似合うな」

 くるりと体の向きを変えて「行くぞ」と言った。さりげなく手を握って。
 なにそれ。別に堅治が白が似合うって言ったから着てきたわけじゃないし。白もたまにはいいかなって思っただけだし。ムカついたからぎゅうっと手を握ってやった。痛がれ痛がれ。そう念じたけどちっとも痛いと言ってくれなかった。

「そういえば、昨日の夜に送っといたやつ見たか?」
「あ、見たよ! ちゃんと時間もスマホのメモ帳に入れたし……」
「あ? 何?」
「…………」
「なんだよ。どうした?」
「……堅治、ごめん」
「は? 何?」


「スマホ忘れた」

top