夏ど真ん中。そう言い表せるほどの炎天下。真っ青な空と入道雲。熱中症には気を付けましょう、とニュースでアナウンサーが言っていたことを思い出す。そんな中、わたしは汗だくになりながらひまわり畑を突き進んでいた。

「五色ー! あったー?!」
「ないです!」

 わたしの叫び声に応えた後輩の五色工は「もうちょっと奥見てきますー!」とまた叫んでくれる。わたしも五色がいた場所と被らないようにもう少しだけ奥に進んでみることにした。
 事の発端はつい十分前。白鳥沢学園男子バレーボール部夏季合宿、束の間に休憩中の出来事だった。合宿中に借りている体育館の外部扉を出ると、ひまわり畑が広がっている。それを横目にまだ動き足りないといった様子の五色とボールで遊んでいたのだ。バレーは体育の授業でしかやったことがない。そんなわたしに五色がいろいろアドバイスをしてくれながらアンダーでのパスを延々続けていた。それを見て山形が「お前ら元気なー」と笑っていたっけ。
 そう、わたしと五色はすこぶる元気だった。「これ取れますか?」と言って五色が軽く放ったスパイク。それをアンダーで受けるはずだったわたし。手に余る元気さが仇となり、思いっきりボールが飛び跳ねてひまわり畑に吸い込まれていった。「あーー!」と二人で叫んだところにコーチが登場。事情を察すると「休憩終了までに拾って来いよ」と苦笑いされて。なんでもこのひまわり畑は自由に出入りしていいものらしく、五色と二人でひまわり畑に入ることになった。ここまでが事の経緯。

「ねー五色ー!」
「なんですかー!」
「左に飛んでったよねー?!」
「え、右じゃなかったですか?」
「嘘、左でしょ?」

 この調子である。とんと飛んでいったボールは見つからず、わたしと五色は大声で話しながらうろうろしているだけだ。休憩もあとわずか。はじまっちゃったら五色は練習に行ってもらって、わたし一人で探さなきゃなあ。そう思っていると五色が「あ!!」と大きな声を出した。

「ありました!」
「やった! よかったよかった!」

 ひまわりたちはかなり成長していて、五色がすっぽり消えてしまうくらい背が高い。五色がボールを掲げてわたしに見せようとしてくれているらしいけど、背が低いわたしにはひまわりしか見えない。「見えないー!」と笑うと五色もどこかで笑っていた。視線を持ち上げても入道雲が爽やかに広がる空しか見えない。五色、どの辺りにいるのかな。そう思いつつ体育館のほうへ戻ろうと歩き始めた、けど。

「え、さん、そっちじゃないですよ!」

 わたしが動いているのが見えるらしい五色がそう焦りながら言う。探し回っているうちに方向がよく分からなくなっているらしい。ちょっと恥ずかしく思いながら「どっち?」と聞いてみる。五色はなんと説明すれば良いのか分からなかったらしく、「そっち行きます!」と言った。がさがさと音がする。わたしには五色の姿が全然見えないけど、五色はちゃんと見えてるんだなあ。背が高いって便利だ。そんな失礼なことを考えて待っていると、ひまわりを倒さないように避けながら歩いてくる五色が枝の隙間から見えた。それとほぼ同時にわたしの手首をきゅっと、大きな手が掴んだ。

「こっちですよ!」

 ぱっとひまわりが咲いたみたいに笑った。子どもみたいな笑顔。五色は背が高くて力も強いのに、なんだか子どもみたいでいつもかわいい。ついからかってしまうのだけど、そんなわたしにも嫌な顔はしない。いつも笑ってくれる。
 五色がひまわりを避けながらわたしを引っ張って行ってくれる。にこにこと楽しげな声が「練習始まる前に見つかってよかったですね」と言った。弾んでいるように聞こえるそれは、聞いているわたしも楽しくなる不思議なもので。五色は不思議な子だなあ、とぼんやり思った。
 それにしてもずいぶん歩いてきたんだな。五色に手を引かれてそこそこ歩いたのに、まだ体育館のほうに出られない。ボールを探して夢中でひまわり畑を歩いていたから知らない間に奥まで行ってしまったのだろう。目の前いっぱいのひまわりですっかり自分の場所を見失っていたなあ。
 そんなふうに反省していると「おーい」と声が聞こえた。後ろから。びっくりしていると五色が「ハイ!!!」と妙に焦ったような声で後ろを振り返る。声の主は大平だ。「もう少しではじまるから、ほどほどになー」と大きな声で言ってくれている。そうだ、練習。もうはじまる時間なんだった。五色が「戻ります!」と言って、なんだか恥ずかしそうに「あっちでした……」と元来た方向へ戻り始める。

「五色も分かんなくなっちゃってたんだね」
「あ、う、はい……」

 くっ、と悔しそうな顔をした。それが面白くてけらけら笑っていると、五色がなんだか、ちょっと不思議な表情をしていることに気が付いた。なんとなく後ろめたいことがありそうな、というか。何か気にしていることがありそうな、というか。何か心残りでもあるのだろうか。ちょっと五色の顔を観察していると、くるっと五色の顔がこっちを見た。足を止めて「さん、あの」と言った声がとても緊張しているように聞こえた。

「謝らないといけないことが、ありまして」
「えっ、謝られるようなことあったっけ……?」

 きょとんとしてしまう。わたしの腕を掴んだままの五色は余計になんとも言えない表情を浮かべて、ちょっと目を泳がせた。何か五色にされた記憶はない。ボールを見つけてくれたのは五色だし、合流できなくて困ってしまいそうになっても五色が見つけてくれたし、今も迷わないように手を引いてくれている。五色も迷ってしまっていたけれど。別に謝られることなんかなかったけどな。そんなふうに首を傾げてしまう。
 五色はちょっと俯いてからそうっとわたしに視線を戻す。きゅっと握られた手首がじんわり熱い。なんだか言いづらそうな雰囲気にわたしも緊張してしまう。え、知らない間に何かとんでもないことが起こっていたのだろうか。そんなふうにどきどきしながら待っていると、意を決したらしい五色が口を開いた。

「わ、わざとです」
「…………え、何が?」
「方向を間違えたことです……」

 めちゃくちゃ恥ずかしそうに顔をそらした。今にも爆発しそうになっているから見ているこっちが心配になる。よく分からないままぼんやり五色の顔を見ていると、じわじわと五色の顔が赤くなっていく。余計に心配になる。熱中症になられたら大変だ。早く体育館に戻って水分補給をさせないと。マネージャーとして選手を心配するのは当然のこと。なかなか歩き出さない五色に「いいからとりあえず戻ろう」と声をかけて歩き始めようとした、けど。

「遠回りを、しようと、して」
「遠回り? なんで?」
「な、なんで分からないんですか!」
「え〜すごく理不尽だね……?」

 なんでわたしが怒られてるんだろう。そうけらけら笑っていると、なんだか悔しそうな顔をされた。わたしよりずいぶん背が高くて、いつも元気で。弟みたいでかわいいね。そう言ったときの五色の顔をふと思い出した。そのときもちょっと悔しそうな顔をしていたっけ。
 生ぬるい風が吹く。ひまわりたちが揺れるとどこからともなく黄色の花びらが数枚飛んできた。真っ黒な五色の髪が眩しく太陽の光を反射させると、つややかにきらめいた。

さんと」
「うん」
「もう少しだけ、ふたりで、歩きたくて」

 「わざと間違えました」ともうすぐに死んじゃうんじゃないかってくらい小さな声で言った。情けなく俯いた顔がさっきよりも赤くて、心なしかわたしの手首を掴んでいる手も熱い。照れていることは一目瞭然だ。
 弟、という存在にちょっと憧れがあった。きっといたらむちゃくちゃにかわいがって嫌われる姉になっていたことだろうと自分で想像できる。でも残念なことに一つ下の後輩には弟っぽい子がいなくて。みんなしっかりしててすごいね、なんて悔しがりながら言ったら「いや、全然褒められてる気がしないんスけど」と川西に笑われたっけな。
 頑張り屋さんだけどちょっとおっちょこちょいで、つい構ってしまう。そんなまさに理想の弟が今年の春、わたしの前に現れたのだ。それが五色。仲良くなってからはそれはそれは、もうかわいくて。ついつい贔屓してしまって、白布に呆れられることもしばしば。それでもかわいい弟みたいな存在であることに変わりはなく、今日まで来た。
 大きな手。改めてそう思う。わたしの手首なんてぎゅっとやったら潰せてしまいそうだ。そんな怖いことを考えながら五色の手を見てしまう。しっかり男の子なんだな、となんとなく思った。

「じゃあ練習終わったら散歩しに行こうよ。近くにきれいな川があるんだって!」

 かわいいことをしてくれる。言ってくれたらいくらでも付き合うのに。そんなふうにけらけら笑うと、なぜだか余計に悔しそうな顔をして「そうじゃないんですけど、散歩は行きます……!」と唇を噛んだ。変なの。そう笑って「あっちで合ってる?」と指を差す。五色が頷いたので、わたしが先を歩いて行くと大人しくついてきた。手首は掴まれたまま。
 目の前にひまわりしか見えない。ちゃんと体育館に戻っているのかよく分からなかったけど、今は五色の前を歩きたかった。ひまわりを倒してしまわないように気を付けながら小さく息を吐いた。体の中でくすぶる熱を逃がすように、ゆっくりと。


ひまわりに紛れて

top