受験勉強に集中しはじめたわずか二十分後のことだった。一階のリビングから母親の声が聞こえてくる。来客があったらしい。さっき玄関のドアが開いた音がした。誰が来たんだろう、と少し気にしていると「、光太郎くん来たよ!」と聞こえて、思わず椅子から立ち上がった。光太郎が来た?! なんで?! 慌ててタンスを開けて何か着替えを、と思ったのにすでに軽快な足音が聞こえている。間に合わないじゃん! せめて髪の毛だけでも直したいんだけど! 大急ぎで手ぐしで適当に直していたら「ー!」と元気な声。きちんとノックがされてしまったので「何!」と慌てて返事をした。
 ガチャリとドアが開く。すぐに見えた顔は、昔から変わらぬ眩しい笑顔だった。

「いいもん持ってきた!」
「何、急に。どうしたの」

 スマホをいじっていましたよ、というふうを装う。そんなことには気付かない幼馴染の木兎光太郎は、にこにこと笑ってわたしの目の前に水色を掲げる。目をぱちくりさせて呆気に取られていると、「夏っぽいだろ?」と光太郎は嬉しそうに言った。いいものってラムネ瓶のこと? 別に、あの、大していいものではない、気がするのだけど。そんなふうに少しぽかんとしていると「一緒に飲もうぜ」と遠慮なくわたしの隣に腰を下ろした。
 言い出したら止まらないし、まあ、別に嫌じゃない。光太郎から受け取ったラムネ瓶のキャップシールを剥がして、取れた部品を使ってぐっとビー玉を落とした。炭酸が弾ける音。確かに夏っぽい。まあラムネもそうだし、それを見て楽しそうにしている光太郎の横顔も、なんか、夏っぽい。
 昔から夏がよく似合う人だなって思っていた。子どものころからだ。光太郎はいつもきらきらしていて、夏の光にきらめくビー玉みたいに、特別だった。誰とでもすぐに仲良くなって、誰からも好かれて、誰にでも笑いかける。教室の隅でじっとしているようなわたしにも、こんなふうにしてくれる。そういう人なのだ、光太郎は。家が近くて親同士も仲が良い。だから、こんなふうに仲良くしてくれるのだ。わたしなんかが相手でも。

「何してたの? 勉強?」
「さっきまでしてたけど休憩中」
「え、俺すげータイミング良くない?!」

 なんでもないことなのに、光太郎がこう言うととてもすごいことに思える。ちょっと笑って「そうでもないでしょ」と口では言っておく。正直、いつ来ても、すごくいいタイミングになるよ。光太郎なら。そんなふうに内心呟いてしまった。
 高校が別になってしまってからあまり会うことがなくなってしまった。光太郎はバレー強豪の梟谷、わたしは家から近い高校。光太郎はやっぱりすごい。何をやってもきらきら輝いている。でも、バレーをやっているときが一等きらきらしているから、わたしは光太郎がバレーをしているところを見るのが何より好きだ。今もこっそり試合を応援しに行っている。間違っても声はかけないし、気付かれないように気を付けているけれど。
 片思いなのだ。わたしのこの気持ちは。いつもきらきらして眩しい光太郎への、勝手な片思い。光太郎はわたしのことを幼馴染としか思っていない。だから、気付かれてはいけないのだ。
 ラムネ瓶に入っているビー玉みたいだな、なんてちょっと恥ずかしいことを考える。ほしいけど取れない。わたしの片思い。きらきらしているビー玉を眺めているだけで、手に入れることはできない。なんてね。一人で照れてしまった。

「え、もう飲み終わった?」
「喉渇いてたから。ありがとね。誰にもらったの?」
「自分で買った!」
「光太郎が? 本当に急だね」

 いつも突拍子もないことを言い出して振り回されているけど、そのどれもこれも楽しい思い出になることばかり。突然夜の散歩に誘ってきたり、突然朝方に海を見に行こうと誘ってきたり。たまについていくのが大変なこともある。でも、どれもこれも、見た景色をわたしは覚えている。光太郎のことが好きだからなのか、光太郎がすごい人だからなのか。どちらかは分からないし、どっちもなのかもしれない。でも、そんなことはどうでもいいのだ。

が好きそうだなって思ったから」

 こうやって、笑ってくれる。それだけでわたしにとっては今日も特別になる。手を伸ばしても届かない、取ることができないビー玉に触れたみたいな感覚。今日という日もわたしは忘れることはないのだろう。そんなことをぼんやり思う。いつか光太郎に大切な人ができたら、思い出が増えることもなくなるんだろうな。それが一番、寂しい。
 もうビー玉以外空っぽになったラムネ瓶をじっと見つめる。これ、大事にとっておいたら、気持ち悪いかな。バレなかったらいいかな。そんなことをこっそり思う。せっかくわたしが好きそうだからって買ってくれたのだ。そのまま捨ててしまうのはなんだか寂しい。やっぱりビー玉が取れれば良いのに。そんなふうにちょっと笑ってしまった。

「何? なんか変だった?」
「ううん。ビー玉取りたいなって思ったの」
「え、取れるじゃん。普通に」

 え、とわたしが声をもらしている間に、ラムネ瓶がするりと回収されてしまう。光太郎は自分のラムネ瓶を机に置くとわたしのラムネ瓶の飲み口を握った。ぐっと力を入れてぐるりと回したからびっくりしてしまう。あ、そんな、感じで取れるんだ? 呆気に取られているわたしの目の前。光太郎の大きな手の上に、ころりと、きらきらのビー玉が落ちた。光太郎は机の上に置いてあるティッシュを一枚取ってビー玉をきれいに拭いてくれる。それから、わたしを見て笑った。

「はい」
「あ、ありがとう。取れると思わなかった」
「なんで? 俺子どものときから取らなかったことない!」

 瓶を割るしか取る方法がないと思っていた。昔おばあちゃんの家で取って、とごねたときも割るしかないから危ないと言われたことを思い出す。最近のラムネ瓶はキャップが回転式になっているのだろう。知らなかった。
 簡単に、わたしの手の中にきらきらのビー玉が転がる。眩しい光を集めて輝くそれは、まるで、本当に光太郎みたいで。取れちゃった。心の中でそう思う。手が届くはずかない、叶うはずがない片思い。それにたとえたビー玉がこんなにもあっさりと。
 ビー玉をきゅっと握りしめる。きれい。宝物にしよう。そんなことをこっそり思っていると光太郎も自分のビー玉を取り出した。それをちょっと眺めてからわたしを見ると「交換しようぜ」と言った。え、なんで? ちょっとびっくりしつつそう言うと「ユニフォーム交換みたいなノリ」と笑う。な、なるほど。ビー玉交換か。願ったり叶ったりだけど。内心少し困惑したままお互いのビー玉を交換した。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「あ、木兎お守りの中になんか入れてる」

 梟谷学園男子バレー部の部室内。小見が木兎のスポーツバッグを見下ろしてそう言った。付けられているのはマネージャーお手製のお守りだ。中にはそれぞれマネージャーからの有難い言葉が書かれた紙が入っていた。けれど、木兎のお守りは少し膨らんでいる。飴でも入れたのかと思うくらいの膨らみだ。小見の声に反応した鷲尾も覗き込むと「膨らんでいるな」と首を傾げる。木葉も続けて覗き込んで「飴でも入れてんのか?」と不思議そうにした。マネージャー様お手製のお守りを飴入れにするなんて度胸がある、と言い出しそうな苦笑いである。
 木兎は現在監督に呼ばれて不在。猿杙が「誰が開ける?」と周りを見渡した。木兎のことだからどうせしょうもないものを入れているのだろうけど、と大して期待はしていない。けれど、見つけたからには興味がある。そんなふうに。ロッカーから鞄を出した後輩の赤葦も「どうせ大したものではないですよ」と呆れてはいるが、興味はあるらしい。止めようとはしなかった。
 見つけた小見が代表してお守りに手を伸ばす。お守りを指で摘まむと「なんか硬い」と言った。木葉が「絶対飴だって」と笑い、鷲尾も頷く。猿杙もけらけら笑いながら「非常食のつもりじゃない?」と言う。飴一つが非常食になるのか、と赤葦は疑問に思いつつも静観している。どうせ大したものじゃない。飴か飴と同等レベルのものだろう。そんなふうに。
 小見がリボン結びされているお守りの紐をほどいた。指を入れて丸くて硬いそれを摘まんで、中から取り出す。そうしてきょとんとした。

「ビー玉だ」
「なんでだよ。子どもかっつーの」

 木葉がけらけら笑うと着替えに戻っていく。やっぱり大したものじゃなかった。そんなふうに一同が解散していくので小見もビー玉を中に戻して「なんだ」とちょっとつまらなさそうに言って着替えを再開する。
 そんなところに木兎が戻ってきた。「明日午後からになったー」と言いつつしょんぼりしている。他の部活との兼ね合いで練習時間が短縮されたらしい。あとで正式に監督から連絡が回ってくる、と伝えながらTシャツを脱ぐ。自分のスポーツバッグから着替えを出しているところに、「そういえばさ」と木葉が声をかける。

「お前なんでお守りにビー玉入れてんの? 子どもかよ」
「……えっなんで知ってんの?!」
「さっき小見が見つけた」
「飴かと思ったのに。ビー玉って」
「ちゃんと戻した?!」

 大急ぎでお守りを確認する木兎に一同は目が点になる。何をそんなに慌てる必要が。もちろん勝手になくしたり捨てたりするわけはないのだけど、なくなったとしてもそこまで慌てるものじゃないだろうに。そんなふうに思ったからだ。

「なんか大事なやつ?」
「大事なやつ!」
「ただのビー玉にしか見えないんだけど? なんか貴重とか?」
「貴重っちゃ貴重!」

 ハテナ。一同は首を傾げる。先ほど小見が取り出したビー玉を思い出してみても特に変わったものではなかった。何か特徴があるわけでもないし大きさも普通。むしろ透明なだけのビー玉は大して貴重には見えなかった。そんなふうに思っている。
 でも。ちゃんとお守りにそれが入っているか確認するように中から取り出して、ほっとした木兎の顔。それを見たら木兎にとっては本当に貴重なものだとすぐ察した。勝手に見たことを小見が素直に謝ると、木兎は「戻してくれたならいい!」と咎めはしなかった。

「なんで貴重なの?」
「きれいだから」
「は?」

 またしてもハテナ。きれいだから、とは。何の変哲もないただのビー玉にしか見えなかった。小見が首を傾げつつも「おう?」と一応の同意を示しておく。木兎と共にバレーをしてきた彼らにもまだまだ分からないところはある。セッターを務め何かと木兎の世話を焼いている赤葦でさえも首を傾げていた。これは迷宮入りだな。鷲尾は内心そう思う。木葉も首を傾げてまたよく分からないことを言い出したな、と思っているし、猿杙もまあとりあえず大事なものなんだな、と思うに留めている。
 ビー玉。部室の明かりでもきらきらと光っている。木兎はそれをじっと見てから大事にまたしまった。ビー玉は簡単に手に入るのにな、と、ちょっと悔しく思いながら。


眩しい光を握りしめたい

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