激しい天気雨だった。一瞬だけ降った雨に慌てて引き返して昇降口で途方に暮れていたのだけど、なんとか止んでくれた。よかった。これで帰れる。これからはちゃんと置き傘しとかなきゃなあ。そう反省しながら昇降口から出ると、ちょっと、動きが止まってしまった。
 希望者のみを対象に行われた夏期講習終わりに、ちょうど部活が終わって帰るところだった赤葦と鉢合わせた。赤葦はジャージ姿でバレー部の人たちと正門へ向かう途中らしい。何人かが傘を持っていたらしく、赤葦も人の傘に入れてもらっていたようだ。わたしが気付いたときはちょうど何人かが傘を畳んでいるところだった。昇降口から出てすぐに気が付いたはいいけど、なんとなく声をかけづらくて。気付かなかったふりをしてしまおうかな、と思ってそうっと目をそらす。
 そんなわたしの気持ちに気付かずに「あ」と声を上げたのは、赤葦がぼくとさん≠ニ呼んでいる先輩だった。若干恥ずかしいのだけど、赤葦が所属しているバレー部の人たちには赤葦の彼女として認知されてしまっている。ぼくとさん≠ヘ「サンだ!」と言いながら赤葦の背中を押して「じゃーな!」と他の人たちを連れて帰って行ってしまった。
 取り残された赤葦はバレー部の人たちの背中を見ながら「ものすごくお節介ですよ」とちょっと恥ずかしそうにする。聞こえたらしいマネージャーの人が「良き青春を〜」と笑う。赤葦は余計に恥ずかしそうにため息をついて、ちらりとこちらを見た。

「夏期講習終わり? 遅くない?」
「結構みんなが質問するから長引いちゃって。ちょっとだるかったよ」
「お疲れ」

 ちらりと赤葦の視線が正門のほうに向く。あ、やっぱり部活の人と帰りたかったかな。そう思って謝ろうとしたら、赤葦がちょっと大きい声で「帰るなら早く帰ってください」と言った。敬語。あ、もしかして。正門のほうに目を向けて見ると、門に隠れてバレー部の人たちがこっちを見ていた。「バレた」「怒ってる怒ってる」と笑いながらようやく帰っていく。赤葦はため息をついて「ごめん、いっつもああいう感じで」と言った。仲が良いんだね。そう笑ったら「そうかな」と照れくさそうに笑ってくれた。
 二人で並んで正門へ向かう。赤葦は部活のこと、わたしは夏期講習のことをお互い話して歩く。その途中、ふと赤葦の視線がどこかに向いた。まあ、別段気にすることではない。何も聞かずに話を続けていたのだけど、赤葦の視線が明らかに泳いだ。ちょっと戸惑っているというか、悩んでいるというか。さすがに気になって「え、何?」と聞いてみた。赤葦は「あー」と言ってから「うーん」と目をそらした。

「何? 気になるんだけど」
「いや、あー……意外だなあ、と」
「いやだから何が?」

 突然言われた言葉にハテナが飛ぶ。主語が一切なかった。一体何のことだろう。そう素直に聞いてみたけど「いや、別に?」とはぐらかされる。いやいや、別に、はないでしょ。そう苦笑いをするわたしに赤葦は「ヒント、色」といつも通りの落ち着いた声で言った。
 色? 余計に訳が分からなくなった。色のついているもの、何か見えるところに持ってたかな。今持っているのは片手にスマホ、肩にいつものスクールバッグ。以上。別に意外なものなんて一つもないけど。そう首を傾げつつ自分が持っているものを確認していくけど、やっぱり何も思い当たるものがない。

「ヒントその二、ピンク」
「え? ピンク? わたしピンクのものなんて持ってないけど?」

 赤葦には一体何が見えているのか。赤葦には見えるけどわたしには見えないもの。そう考えてひらめいた。「リップだ!」と思わずポケットから一昨日買ったばかりの色つきリップを取り出して、赤葦を見せつけるように出してみる。これまで色なしかオレンジくらいしか買ったことがなかったけど、ちょっとかわいいかなと思ってピンクにしてみたのだ。色つき、とはいってもほんの少し色が乗るくらいなのに。赤葦よく気付いたなあ。そう感心していると「いや、違う」と言われた。

「えー、わたし化粧もしてないし……何? 教えてよ」
「怒らないなら」
「怒るようなことなの? 怒らないから教えてってば」
「ブラウス」
「ん?」
「透けてる」

 赤葦がいつの間にか鞄から出したTシャツをぽいっとわたしに投げた。顔でキャッチしつつ「早く言ってよ……!」と顔が熱くなる。赤葦は「いや、言おうかどうしようか迷って」と目をそらした。
 さっきの突然降った天気雨。あのときだろう。ちょうど正門まであと少し、のところまで行ったときに降ってきたんだった。昇降口に戻る少しの間だけでも結構しっかり濡れてしまった。さっきまでは昇降口の屋根の下で影になっていたから気付かなかったのだろう。暑かったし、夏期講習だけですぐ終わると思っていたのでキャミソールも何も着てこなかったのが仇になってしまった。恥ずかしくなりながら赤葦のTシャツをブラウスの上から着させてもらう。
 見られた。唯一持っているピンクの下着。買ったときはかわいいな、とノリノリで買ったのだけど、いざ付けてみるとかわいすぎて。結局あまりタンスから出されることはないままだった。今日はたまたま、本当にたまたま、なんとなく、久しぶりに引っ張り出しただけだったのに。見られた。しかも赤葦に。

「……あっつ」
「……夏だしね」
「いや、まあ。そうだね」

 分かりやすく照れられるとわたしまで照れてしまう。知らんふりしておいてくれればいいのに。そうちょっと恨めしく思ってしまった。
 赤葦のTシャツ。ブラウスの上から着ているのにぶかぶかで落ち着かない。この炎天下で二枚も着ているのは本当に暑いのだけど、これは仕方がない。我慢してこのまま帰るしかなさそうだ。手で顔を扇ぎながら歩いて行く。赤葦もわたしの隣で独り言のように何度も「あっつ」と呟いて、少し視線を下に向けたまま歩く。
 見られるならせめて、もっとこう、かわいすぎない色のときがよかったな。赤葦ってなんとなく大人っぽいからピンクとか好きじゃなさそうだし。そう少しへこんでしまう。どうせ似合いませんよ、と一人で勝手に拗ねてそっぽを向く。帰ったらこれ、絶対タンスの一番奥に封印してやる。もう二度とうっかり付けてこないように。捨てるのはちょっと、あれなんだけど。だってかわいいなって思って買ったし。お小遣いで買ったやつだし。そう頭の中でごちゃごちゃと捨てない理由を考えておいた。

「ごめん、これだけ言わせてもらっていいですか」
「……なんでしょう、赤葦くん」
「そのとき、は、それでお願いします」

 「それだけ」と赤葦は付け足して「この話はこれで終わり」と勝手に完結させた。そのとき、って。一人で勝手に喋って勝手に終わらせないでよ。そう言葉にはしないまま赤葦の背中を思いっきり叩いておく。赤葦は「いや、ごめん。ちょっとどうしても言っとこうと思って」と視線をそらしながら呟いた。
 どうやら、本当に捨てなくて良い理由ができたらしい。タンスの奥にはしまい込んでおくけど。恥ずかしくなりつつ、もう一度赤葦の背中を叩いておいた。


染まりゆく夏より

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