※一年生のころの話。
※モブ同級生が喋ります。名前はないです。




さん、ほんまに! お願いします!」
「この子恥ずかしがりやねん、ごめんやけど私からもお願いします!」

 放課後、部活に向かおうとしたら突然女の子二人組に腕を引っ張られた。人気のない階段の踊り場でそんなふうに手を合わせ続けられている。
 わたしに差し出されているのは、かわいらしいリボンが巻かれた赤い箱。決してわたしにあげようとしているわけではない。これを、わたしと同じクラスの大耳に渡してほしい、と言うのだ。今日はバレンタインデー。さっきからちらほらチョコレートのやり取りをしている子を見た。女の子同士で交換している子もいれば男子にあげている子もいて、なんだか甘酸っぱい雰囲気が学校全体に広がっている。
 せっかく準備したんだから自分で渡せば良いのに。そう言ったのだけどその子は大耳と話したことがないそうだ。いきなりバレンタインにチョコを渡すというのはハードルが高いようで、「無理やわ!」と真っ赤な顔で半泣きになられてしまう。その友達らしき子も何度も頭を下げて「ほんまに! 頼まれたって!」と自分のことのように必死になっている。仲が良いんだな。そんなふうに思ったらなんだか応援したくなってしまった。「ええよ」と手を伸ばしたら「神!」と二人ともわたしの手を握った。
 箱とお揃いの赤い紙袋に入れられたそれをしっかり受け取る。それから二人とそこで別れて部活に向かった。今日は今週末に控えている練習試合のメンバー決めが行われるはず。三年生の先輩が引退したので新チームになり、それからははじめての練習試合だ。アランは一年生から何度もスタメンに選ばれているし、わたしの予想では大耳も選ばれると思う。顔を思い浮かべてから、北も選ばれるといいな、なんてなぜだか思った。

「あ、。お疲れさん」
「お疲れ」

 更衣室に向かう途中でアランと赤木に会った。二人はなぜだかわたしを見て一瞬固まった。「なに?」と聞いてみたら「いやなんでもないわ」と声を揃えて言ったからなんとなく違和感があったけど、まあ知らんふりしてやることにした。それからもバレー部の人と会うたび同じような反応をされて、何か顔についているのかとずっと不思議に思ってしまった。
 部室の前で別れてわたしは更衣室へ。大耳と会えれば渡せたのにな。そう思いつつ着替えていく。体育館で渡したら荷物になるだろうし、終わりがけに渡したほうがいいのだろうか。でも、タイミングを逃してうっかり渡し忘れたらあの子に申し訳ないし。そう思ってやっぱり部活前に渡すことにする。準備中ならいくらでもタイミングがある。わいわいと楽しい部活なのでチョコの一つや二つにケチを付ける人もいないだろうし。そう思って、赤い紙袋を持って更衣室を出た。
 体育館に向かう途中、着替えが終わって体育館に向かう北と鉢合わせた。「お疲れ」と声をかけられたので同じように返して、少し小走りして北の隣に追いついた。そうしたら、北も先ほどのアランたちと同じように一瞬固まるものだから、余計に謎が深まった。さっき鏡を見ても顔には何もついていなかったけどな。髪型も別に変じゃなかった。「なに?」と聞いてみても「いや」としか返ってこなくて。そのあとは何事もなかったかのように普通に話し始めた。なんだったんだ、一体。不思議に思ったまま体育館へ入った。
 北と二人で体育館に入ったときにはすでに諸々の準備が終わっていた。一足早く来ていた一年生がやってくれていたらしい。「ごめん」と声をかけると、その同輩たちも北同様に一瞬だけ固まってから「これくらい普通やで」と言う。だからなんで固まる? よく分からなかったけど、心当たりはないし言われて気まずいことだと困るので知らんふりすることにした。後から来た二年の先輩たちも同じような反応をするから、本当に不思議だったけれど。
 一年生たちと仕事の分担の話をしていると、最後の集団と思われる部員たちが入ってきた。振り返ったらちょうど大耳が北に声をかけているところを見つける。ようやく渡せる。そうほっとして「大耳」と声をかけつつ二人に近寄った。

「お疲れ。なんや?」
「これ」

 赤い紙袋を大耳に差し出す。大耳はそれを見て目を丸くして固まった。まあ、そりゃあ女子の恋心が詰まったものだ。びっくりもするだろう。そう小さく笑っていると、大耳の隣にいる北も目を丸くして固まっていることに気付いた。

「大耳かい!!」

 アランの馬鹿でかい声が体育館に響く。それに続けとばかりに二年の先輩が「俺らには?!」と騒ぎだし、赤木が「本命にしかやらんっちゅうことなんか?!」と床を叩いていた。ちょっと、わけが分からない。いや、これ、人からの預かり物なんですけど。内心そう思いつつ大耳に視線を戻すと、赤い顔をして「いや、なんちゅうか」と口ごもっていた。
 はっとした。わたし、これのこと、人から預かったものだと一言も言っていない。自分の中ではそれが当たり前だったからその前提でいただけ。それを部員たちが知るわけがない。人気のないところで受け取っていたし、見ている人なんていなかった。ただの平日なら借りたものを派手な紙袋に入れてきただけなのかと思われたかもしれない。でも、今日はバレンタインデー。こんな派手で小さめの紙袋を、女子が男子に渡すなんて、中身は一つしかない。誰だって簡単に想像できることだった。部員たちがわたしに会って一瞬固まっていた理由が分かった。わたしが、チョコレートが入っているであろう紙袋を持っていたからだ。誰に渡すのだろうと気にしていたからに違いなかった。

「ちゃ、ちゃう、ちょっと待って! めっちゃ誤解!」
「何がやねん?! どう見てもチョコやんけ!」
「全員分にしては小さいで誰にあげんのやろうと思うとったら! 大耳かい!」
「わたしが大耳にあげるわけちゃうし全員分なんか持ってこおへんわ!」

 ここ最近で一番大きな声が出た。わたしの発言に二年の先輩が「どういう意味や?」と首を傾げた。いや、ここで言ったら大耳のことを好きな女の子がいる、と大発表してしまうことになる。どうしよう。そう迷っていると「やっぱラブやんけ」とアランが指を差してきた。違う。ラブじゃない。まっすぐライクだ。そう思いながら、仕方がなかったので、もちろん名前は伏せてとある女の子から預かったものだと白状した。それを聞いた赤木が「紛らわしいわ!」と大笑いした。
 全員に笑われて恥ずかしい思いをしつつ、大耳に渡し直す。「中に手紙が入っているそうなので読んであげてください」と言えば大耳が「なんでここで渡すんや」と赤い顔で苦笑いをこぼした。確かに気が利かなかった。素直に謝罪しておいた。
 わたしのせいで大耳が先輩たちにからかわれつつチョコをひとまず靴入れに置きに行った。やってしまった。本当に大耳の言うとおりだ。もう少しこっそり渡すとか、あとで呼び出して渡すとかすればよかった。まだ赤い顔を手で押さえつつため息がこぼれる。そんなわたしをじっと見ていた北が「は」と口を開いた。

「誰にもやらへんのか?」
「え?」
「チョコ」

 なんとなくこういうことに興味なさそうな北が聞いてきたのが少し意外だった。「誰にもあげへんよ」と返したら北は「そうか」とだけ言ってからボールかごのほうへ歩いて行った。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「ついにカップル誕生かと思うたのにな」
「うっさいねん、ごめんってば」

 同じ方向のアラン、北の二人ともうすっかり暗くなった帰り道を歩く。結局今日は一日大耳とわたしのコンビはずっとからかわれっぱなしだった。監督とコーチにまで話が行ったらしくて「清い付き合いにするんやで」と面白がられてたじたじだった。違う。付き合ってませんし告白もしてません。「めっちゃ恥ずいねんけど、どないすんねんこれ」と大耳も参っていた。申し訳なさしかない。今度何かお詫びをします。そう謝ったら「ほんまやで」と笑ってくれた。
 アランは「めっちゃおもろかったわ」と言ってから「ほな、また明日な」と言って分かれ道を歩いて行った。一つ大きなため息をこぼすと北が「ぐったりやな」と笑った。

「慣れへんことはするもんやないわ」
「せやけど、人から頼まれたんやろ? 相手の子は感謝しとると思うで」
「まあ……せやったらええか」

 ようやく普通に笑えた。無事に任務は全うしたわけだし、まあ過程が少しアレだっただけだ。結果オーライということにしておいた。
 それから二人で話をしながら歩いていると、ふと北が黙った。どうしたのだろうと声をかけてみると「ああ」となんとなくぼんやりした言葉が返ってくる。何か気になることでもあるのだろうか。考え事をしているのなら話しかけるのも悪いか。そう思って黙って隣を歩くことにした。北とは別に沈黙してもそこまで気にならない。たまに話すことがなくなると二人とも黙っているし、別に変なことではないのだ。北もわたしも、本当はそこまで口数が多いほうではないから。
 北が立ち止まった。びっくりして二歩前で立ち止まって振り返る。「どないしたん?」と首を傾げたら、北が、まっすぐにわたしを見た。それから「ごめん」と小さな声で言ってから、少しだけ子どもっぽい笑顔を浮かべた。

「俺、のこと好きやわ」

 静かな声が夜空の下にぼんやり響く。ろうそくの火のように穏やかで温かい声だった。びっくりして目を丸くしていると、笑ったまま「ごめんな」とまた言った。

「大耳にチョコ渡しとるとこ見て、自覚してもうたわ」

 だから、あれは誤解で。思わずそう言いそうになったけど北が「分かっとる」と笑いながら言った。「それでも、俺やったらよかったのに、って思うてしもうたわ」と恥ずかしそうに言う。北はゆっくり歩き始めてわたしより前に行ってしまう。びっくりして動けずにいるわたしを振り返って「行くで」と優しい声で言う。まぬけな声で「あ、うん」と返してから、そそくさと北の隣まで追いつく。

「正直、はじめは変な子やなって思うとったんや。ちゃんと仕事できとんのにいっつも思い詰めた顔して、メモ帳が真っ黒になるまでようけなんか書いとって」

 マネージャーが一人になってすぐの頃、ミスをしたことやどうしてミスをしたのかをメモ帳に書き留めていた。やらなくてはいけない仕事も箇条書きで書いていた。それを北が拾ってくれて、声をかけてくれたことを思い出した。今となっては同輩が手伝ってくれるからミスもなくなったし、メモ帳に書かなくても同輩が声をかけてくれる。もうメモ帳とペンを持っていなくても大丈夫になった。でも、あのときあのメモ帳を北が拾ってくれて、声をかけてくれたことが、きっと今のわたしになるためには必要だったのだろうと思う。

「人に気遣ってなんか自己評価が低いからなんか知らんけど、全然人に頼らへんしそれが当たり前やと思うとるし。人に褒められても不思議そうにするくせ、人のええとこは簡単に見つけるし」

 夏合宿、宿舎内の仕事を一人でやるつもりだったところを北が仕事の分担をしてくれた。みんなで分けてやったらすぐに終わったし、何一つ取りこぼしはなくて。身にしみて人に助けてもらうことの大切さを知った。わたしが一人で頑張らなくても、少しくらい頼っても、周りの人はそう嫌な顔をしない。それを知ることができたのは北が声をかけてくれたから。だから、北のことをすごい人だと思った。それを素直に口に出したときのことを思い出す。

「内心嫌やって思うとるやろうに、人のことをないがしろにできへんし」

 文化祭、北と二人でご飯を食べた。わたしは友達に無理やりつけられた猫耳カチューシャと、勝手に着崩された制服が居心地悪かったっけ。でも、外さないでって言われたし、恥ずかしかったけど友達がやったことだし。そう思ってそのまま校内を歩いていた。そんなときに北に声をかけられてカーディガンを貸してもらったことを思い出した。一人だとちょっと恥ずかしかったけど、北がいてくれたからそんなことも忘れられて純粋に会話を楽しめたっけ。お互い騒がしいのは得意じゃないけどたまにはいいかなって思った。何より、北と一緒にいたから、普通に楽しかったのだ。わたしは。

「当たり前にできへん人が多いようなことも、なんのこっちゃみたいな顔して当たり前にするし」

 元旦、北と神社で会った。甘酒を北に渡して、そのあとたまたま会って二人で少し歩いたことを思い出す。落ちていた紙コップを拾ってごみ箱に捨てようとしただけなのに、北がなぜだか笑ったことが不思議なままだった。そのあとで、好きやなあ、と言ってくれたことを思い出して、やっと顔が熱くなった。二人で歩いて、摂社でお参りをしたときに、神様に感謝したことを思い出した。バレーボールとの出会いとバレー部の部員との出会いに感謝した。それも感謝したけど、わたし、北だけ、分けて思った。北に出会わせてくれてありがとうございます、と喉の奥ではっきりと呟いたのだ。そのときは何も思わなかったけど、今となってはどうして北だけ分けたのか。それと同時に、どうして北に会ったときだけどきどきしたのか。それが、とても不思議で。でも、今この瞬間、どこかに隠れている答えが出てきそうになって、きゅっと自分のコートを握ってしまう。

「そんな変な子やけど、そういうとこ、好きやわ」

 ぽろっとこぼれ落ちた。花が咲いたみたい、とか、何かが破裂したみたい、とか、そういうのじゃなくて。ぽろっとどこからともなく答えが落ちてきたように感じた。目の前で笑っている北の顔を見ていたら、そのぽろっと落ちてきた答えがじんわりと熱を持って、わたしの中に根付こうとしているのを感じる。
 わたし、北のこと、好きなんだ。だから、影も形も姿を見ていないのに北のことを思い浮かべるし、目の前にいるだけでどきどきするし、北と出会えたことを奇跡だと思ってしまうのだ。
 北は良い意味で変わっている人だった。別に怖いことを言うわけじゃないのになんとなく圧があって怖いし。失礼な話、明確な理由はうまく説明できないのにすごい人だと分かるし。一緒にいると知らない間に心が落ち着いて冷静になれるし。なんでも、素直に、口にするし。たくさん変わっているな、って思うところがある。北がわたしに思うように、変な人、って内心思っているところがある。でも、わたしは、北のそういうところが、好きだった。
 熱い顔が冷たい風を弾く勢いのまま、鞄を開けた。北が不思議そうにこっちを見ている。それに気付かないふりをしつつ奥を漁ってようやく見つけた。昨日買ったチョコ。自分で食べるために買ったミルクチョコレートだ。箱にたくさん入っている、何の可愛げもない金色の包み紙にくるまれたチョコ。友達にあげたりしたから残り少なくなっている。かわいい箱も、リボンも、紙袋もない。ないけれど、バレンタインデーという今日の日付はそれだけでチョコをラッピングしてくれるはずだから、それで勘弁してもらうしかなかった。

「……こんなんしかないけど、あげる」
「……くれるん?」
「……あげるって言うとるやん」

 北が手を出した。金色の包み紙のチョコを北の手の上にちょこんと乗せると、あまりにもみすぼらしくて笑いそうになってしまう。バレンタインに、人気お菓子メーカーの定番品とか。つくづくわたしは格好が付かない。そんなふうに思っていると、北が「これ」とチョコを見たのちわたしに視線を戻した。

「バレンタインやって思うてええんやんな?」
「……ええよ。そんなんでええんやったら」
「ははは」

 なんで笑う。いや、笑われて仕方ないことは分かっているけど。恥ずかしくなりながら目をそらす。一応、チョコを男の子にあげたのは人生ではじめてだ。小学生のころももらうよりほしい、とかなんとか言って友達に笑われたし、中学でも特に好きな人ができなかった。これが正真正銘、はじめてのバレンタインチョコだった。

「こういうとこも好きやで」
「…………わたしも、好きやで」
「ん? よう聞こえへんかったな?」
「絶対聞こえとるやん」

 顔を覗き込んでくる北から逃げるように距離を取ろうとしたら、「道の中央に出たら危ないやろ」と言って腕を引っ張られた。真面目。こんなときにも正論しか言わない。変な人。でも、まあ、そういうところも、好きだ。ぽつりと喉の奥で呟いていると、北が金色の包み紙を開いてチョコを一口で食べた。けらけら笑って「おいしいで」と言う。そりゃあ、有名お菓子メーカーの定番チョコですから。そんなふうにそっぽを向いたら「そらそうやけど、それとはまたちゃうおいしさやな」と笑った。
 あと少しで二年生に進級する。部活には後輩が入ってきて、北たちは後輩の指導に忙しくなることだろう。まあ、北ならそつなくこなすだろうし、何なら後輩に恐れられて一瞬で掌握するだろうな。そんな想像をしたらちょっと面白くて笑ってしまう。ちょっと楽しみだ。笑っていることに北が気付いて「何がおもろいねん」と首を傾げた。


抱きしめられない君へ はつ恋 バレンタインデー

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