※一年生のころの話。




 高校一年生、八月某日。稲荷崎高校男子バレーボール部は、山奥にある合宿所で夏合宿を行っている。毎年同じ合宿所にお世話になっているそうで、合宿所でサポートしてくれる人たちは「毎年大変やなあ」と笑っていた。そんな中の一人がわたしを見つけると「マネージャーさん入ったんや! よかったなあ」と監督の肩をバシバシ叩いていた。
 手伝いをしてくれる人たちと挨拶をして、合宿所の中を案内してもらった。わたしはマネージャーということもあり、台所や洗濯部屋のことも細かく教えてもらう。手伝いをしてくれる人たちは晩ご飯の準備が終わったら帰っていくので、食器の片付けや洗濯、お風呂掃除などはわたしの仕事になりそうだ。案内してくれた人に「どうすれば手際よくできるか」と聞いてみた。これを一番にしたほうがいいとか、こうしたら速くできるとか。そういうのを教えてほしくて。わたしの問いかけにその人は一瞬きょとんとして、バシンッ、とわたしの背中を叩いた。痛い。びっくりしているわたしを大笑いして「一人でせん、っちゅうのが一番のコツやな!」と言った。な、なるほど。そんなふうに呆気に取られつつも、少し納得してしまった。
 合宿所の中を一通り見終わって広間に戻ると、監督が「今日は練習午後からやで、それまでゆっくりしとき」と声をかけてくれた。部員たちもすでにそのことは聞いているようで、のびのびと過ごしている。それなら先に持ってきた部活の荷物を開けておいたほうが良さそうだ。広間を出て、ひとまず荷物がまとめて置いてある体育館へ向かう。山奥のこの合宿所はバレーとかバスケとか、そういう部活動のために作られたところだという。宿舎から体育館までは歩いて一分。屋根付きの外廊下で繋がっているから雨に濡れる心配もない。山の中すぎて夜は怖そうだけど、いいところだ。そんなふうに風景を見渡して思った。

「あれ、。どこ行くんや」

 外に出ようとしたところを、尾白くんたちに声をかけられた。みんなは合宿所の中をぐるりと回ってきた帰りらしい。これから部屋に戻るとのことだった。移動、結構長時間だったし休まなきゃね。そんなふうに思った。

「体育館にある荷物、出せるだけ出しとこうかと思うて。時間あるし」
「え、そんなんやったら俺らも行くわ」
「ええよ、道具箱とか救急セットくらいしか出さへんし」

 午後から練習で大変なんだから、と言えば尾白くんは「お、おう」となんだか少し微妙な反応をした。その隣の赤木くんも。でも、本当に手伝ってもらうほどの作業をするわけじゃないんだけどな。そんなふうに少し困ってしまう。「ほんまに大丈夫やで」と言ってみても微妙な顔をしている。その微妙な顔のまま尾白くんが、恐る恐るといった様子で「あの、もしかしてなんやけど」と言った。

って、俺らに、その~……あんま近寄ってほしないとか、そういう……?」
「え?!」
「あれか、汗臭いんか?! 消臭スプレー持ってきたほうがええか?!」
「いや、あの、」
、全員に〝くん〟付けやし、もしかしてなんかしたんか俺ら?!」

 そんな同輩の様子を大耳くんと北くんがけらけら笑い飛ばした。「そうかもしれへんなあ」と言うものだから焦ってしまって。そういうわけではない。本当に違う。どうしてそんな誤解が生まれてしまったのか。大慌てで否定して「近寄ってほしないことはないし、汗臭くもないし、なんもされてへんで」と苦笑いで言う。その、苦笑い、がだめだったらしい。

「めっちゃ気ぃ遣わせとるやんけ! そら本人を前にして汗臭いとは言われへんやろ!」
「どないしよ、俺普段から汗臭いんけ? 女の子に嫌われるやんそんなん」

 なんか、その掛け合いが面白くて。違うって言ってるのに。思わず笑ってしまった。「ちゃうってば」とお腹を押さえながら言うと、尾白くんが「お! 笑た!」と同じように笑ってくれた。

あんま笑わへんから貴重やな」
「えっ、そんなことないやろ」
「部活中いっつもしかめっ面しとるもんな。こんなふうに」

 赤木くんが自分の目を指できゅっと引き上げる。口を真一文字に閉じてじっとわたしを見ると、隣にいた大耳くんが吹き出した。ひどい! そんな顔してないし! 笑いながら怒ると「しとるって!」と余計に笑われてしまった。
 一年みんなのことを〝くん〟付けしない、というふうに勝手にルールを決められた。別になんてことはないのに、それだけでちょっと距離が縮まった気がして嬉しい。ついでに、少し調子に乗って尾白くんに「下の名前のほうが呼びやすいんやけど」と言ったら「ええで」と言ってくれた。アラン、って呼びやすいなって思ってたんだよね。そう言ったら「よう言われるわ」と笑った。
 結局、一年生みんなで体育館へ行き、大して出すものもないのにみんなで荷物を出した。一瞬で終わってしまったので時間を持て余してしまう。どうしよう。そう思いつつまた宿舎へ戻ると、コーチが「全員で何してんねや?」と不思議そうに聞いてきた。アランが話したらコーチは笑って「今年の一年は働きモンやな」と言いつつも「休めるときは休みや」と言った。
 広間のほうへ歩いて行きつつ、大耳が「そういや、宿舎での仕事どうなっとるんや?」とわたしに声をかけてきた。手伝ってくれる人たちが帰ったあとのことを言っているのだろう。もう自分の頭の中で仕事の順番は組み終わっている。大体何がどこにあるかも把握できているので、やってみてどうか、という感じなのだけど。

「俺ら何したらええんや? その辺り、に聞いてって言われたんやけど」
「え、何したらって」

 特に、何も、ないんですけど。困惑しつつそうぽつりと言ったら赤木が「あかんわ……俺ら一欠片も信頼されてへんわ……」と頭を抱えた。そ、そういうわけではないのだけど。ちょっと慌てて否定したら北が愉快そうに笑った。

「晩飯準備し終わったら手伝いの人ら帰るんやで、とりあえずは皿洗いやろ」
「あ、せやな。確かに」
「風呂も掃除せなあかんし、洗濯もあるやろ。戸締まりの確認はするつもりやったんか?」
「え、あ、うん」
「せやったら東側と西側で分けようや。そのほうが速いし確実やろ」

 皿洗い班と掃除班、洗濯班といった具合にテキパキと仕事の分担がされていってしまう。あの、何もしなくて、いいんですけども……。わたしがそう思っていることが分かったらしい北がにこっと笑って「このほうが安心するで」と言った。メモ帳を拾ってくれたときの会話を思い出して、また自分で自分を追い詰めようとしていたことに気が付く。照れながら「お願いします」と言うと、北は「当たり前やろ」とだけ言う。そんなわたしたちの会話に北以外の一年生はハテナを飛ばしていた。
 結局、わたしも多少は仕事があるけれどほとんど全員で分担することになってしまった。いいのかな。だって、そうしたらわたしって何のためにいるのか分からないのでは。マネージャーなんだから雑用は全部やるのが普通なんじゃないのかな。ちょっと納得できずにいたけど、北の笑顔が妙に怖くて言えなかった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 皿洗い、風呂掃除、洗濯。一年生で分担したからわたしが一人でやる想定の時間よりかなり早く終わった。当たり前のことなのだけど、ちょっと驚く。一時間ちょっとで全部終わっている。わたしが一人でバタバタやるより丁寧に、確実に。ちゃんと完了していた。
 戸締まりはさすがにやらせてください、と実質決定権を握った北に言ったら、不思議そうにしていたけど「暗いし一応二人ずつやな」と言った。宿舎は結構広くて、基本的に使わない部屋は電気が消されている。北は近くにいた一年生二人に声をかけると「俺ら東見て来るで、西側頼むわ」と言った。二人とも嫌な顔一つせずに「皿割った挽回やな……」と言いつつ歩いて行った。え、皿割った? 今はじめて聞いたんだけど。報連相がなってないんだけど。内心そう思いつつ、「行くで」と手招きする北についていく。
 歩いて各所の窓やドアの戸締まりを点検していく。歩きながら話をした。北は監督に誘われてこの稲荷崎高校へ来たのだという。そっか、まだわたしにはそこまで分からないけれど、北はすごい選手なのだろう。そう思っていると「俺、中学のとき控えにも入ったことないんやけどな」と笑った。ちょっと驚く。声がかかる選手というのは中学で当たり前に活躍した選手なのだと思っていた。でも、北はそうじゃない。じゃあ監督はどうして北に声をかけたのだろう。普通、そう疑問に思うはずだ。けれど、わたしはあまりそこを疑問に思っていなかった。

「変わった人もおるもんやなと思うたわ。声かけられたとき」
「そうなん?」
「そうやろ。試合出てへんのやから成績なんぞ残しとらんし、何がお眼鏡にかなったんか今でもよう分からへんわ」

 小さく笑う。北はそう言うけれど、四月から一緒に部活に参加してきて、話すようになったのはごく最近だけれど、北という人が少し変わっていることはなんとなく察している。悪い意味ではなく、良い意味で。目立たないのに、必ず要るというか。人を自らまとめにいこうとするわけではないのに、自然と人が集まるというか。けれど、それをひけらかすことはない。不思議で、変わっていて、すごい人。そんな印象だった。

「わたしは、北はすごい人やと思うけどな」

 うまく言葉にはできないけれど。笑いながらそう言ったら、北はほんの少しだけ黙った。目の前のドアの鍵が閉まっているかを確認してから「もな」と笑う。わたし? なんで? スポーツなんてできないし、仕事もそう効率良くないだけの女子高生ですけど。首を傾げたら、北はまたおかしそうに笑った。


抱きしめられない君へ はつ恋 夏合宿

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