※「川西くん、こっち見ないで」設定。




「俺さ、ささやかな夢があるんだよね」

 一緒に食堂でお昼ご飯を食べていたときだった。川西くんが突然そんなふうに口を開いたものだから、うどんをすすりながら「ん?」と間抜けな声を出してしまった。川西くんはわたしの前でカツ丼を頬張って、口の中を空っぽにしてから「白いワンピース」と言った。

「へ?」
「白いワンピース、彼女に着てもらうの夢なんですよ、俺」
「……そ、そう、なんだ?」
「そうなんですよ。夢なんです」

 なんで敬語? 妙に圧を感じる敬語に少しだけたじろいでいると、川西くんは確認するように「夢なんですよ、俺」とまっすぐにわたしを見て言った。

「……き、着てきてって、こと?」
「いいえ、ただ俺の夢というだけの話ですのでお気になさらず」

 そんな言われ方をすると、気になっちゃうよ。そんなふうに笑ったら川西くんも笑って「本当、気が向いたらでいいのでお願いします」と言った。
 白いワンピース、と一口に言ってもいろんな種類がある。袖があるのかないのか。生成りなのか真っ白なのか。ゆったりしたシルエットなのかそうじゃないのか。川西くんが思う白いワンピースって、どういうものなんだろう。一応お伺いを立ててみたけれど「その辺りは任せます」という言葉が返ってきた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 川西くんの夢の話をしてから二日後、家庭科の調理実習中。わたしは同じ班になった女の子一人と白布くんを含む男の子二人とそれぞれ振り分けた作業をしていた。日本の家庭料理というテーマで選ばれたのは肉じゃがとお味噌汁。わたしは白布くんと二人でお味噌汁を担当している。
 ちなみに、肉じゃがを担当している二人はカップルだ。だからこういう組み合わせにしてある。そのほうが楽しいだろうと思って。二人は照れくさそうにしていたけれど、二人で楽しそうにしている。白布くんとわたしは材料を切りながら部活の話を淡々と続けていた。

「そういえば」
「うん?」
「太一と付き合い始めたんだろ」
「うっ」

 指を切るかと思った。動揺しているわたしを見た白布くんが呆れたように「太一、鬱陶しいくらいいろいろ言ってくるからバレー部ほぼ全員知ってるぞ」と言った。な、何を話してるんだろう。やめてって言っておかなきゃ。たじたじしつつ「そ、そうですか……」と返すしかできなかった。
 白布くん曰く、別にデートでどうだとか二人のときにどうだとか、そういう話をしてくるわけじゃないらしい。ひたすらに「かわいい」とか「にやける」とかそういうことばかり言ってくる、とうんざりした様子で言った。「の彼氏なんだろ、どうにかしてくれ」とクレームを入れられてしまった。ぜ、善処します。そんなふうに苦笑いをこぼしてしまった。
 豆腐の切り方で四苦八苦している白布くんが「そういえば、お節介だけど」と口を開く。豆腐を横から見つつ「あいつ、昔からよく言ってたことがあって」と言って、迷いに迷って包丁を縦に入れた。

「いつか彼女ができたら白いワンピースを着てほしいってうるさかったぞ」
「あ、そ、それ!」

 ちょうど今悩んでいることなんですが! わたしがそう言ったら白布くんはまた包丁を縦に入れつつ「何?」と首を傾げた。わたしがわけを話すと「あー」と声をもらす。

「白布くんが思う白いワンピースってどんなの?」
「俺に聞くのかよ……」

 今度は横に包丁を入れつつ白布くんが舌打ちをこぼした。「ミスった」と呟いてから「白けりゃなんでもいいだろ」と適当に答えられてしまう。なんでも良くないから相談しているのに。わたしが大根を切りながらそう嘆くと「いや、本当に」と粉々になった豆腐に頭を抱えつつ白布くんが言った。

「あいつ馬鹿だから。なんでも馬鹿みたいに喜ぶから大丈夫」
「ば、馬鹿って……」
「本当に馬鹿だから大丈夫。好きなの選べ。それより豆腐やばいんだけどこれ大丈夫か?」
「えーっと、豆腐は……大丈夫ではないかな……」

 苦笑い。白布くんは「まあ腹に入ったら全部一緒だろ」と言って、またしても豆腐を粉々にしながら包丁を横に入れた。げ、芸術的。止められないままに無残な姿になっていく豆腐を見つめた。
 なんでも大丈夫、かあ。わたしは少しふわふわしたシルエットの真っ白なノースリーブが好きだけど、川西くんはどうかな。シルエットがはっきりしていたほうが女性らしくて好きかなあ。迷う。どうしようかな。切り終わった大根を集めつつ一人でそんなふうに悩んだ。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 迷いに迷って、わたしより川西くんと過ごしている時間が長い白布くんを信用した。柔らかいシルエットのノースリーブのものを選んだ。パステルベージュのカーディガンと合わせて、髪の毛は前にかわいいと言ってくれた緩い編み込みにした。
 ちょっと、あざとすぎる気がする、なあ。一人で待ち合わせ場所に立って恥ずかしくなってきた。かわいいものが好きで、かわいい服を着るのも好きだけど、あんまりあざとくならないように気を付けているつもりだ。でも、今日は川西くんが好きそうかな、ということに重点を置いてしまった。今更恥ずかしくなってきてしまって困る。
 良い天気になってよかった。少し風が吹いているけれどいい陽気だし、どこからともなく鼻をくすぐるような香りが漂ってくる。花だろうか。どこかに咲いているのかも。辺りを見渡したときだった。視線の先に川西くんを見つけた。いつの間に来ていたんだろう。気付かなかった。
 それにしてもこちらに来てくれない。「川西くん?」と声をかけてみた。それでもぴくりとも動いてくれない。どうしたのだろうか。少し心配になって小走りで近付くと、川西くんがちょっと後退ったのが見えた。

「ど、どうしたの?」
「いやちょっと待って……」
「川西くん?」
「破壊力……」
「え、何?」
「死にそう……」

 しゃがみ込んでしまった。慌ててわたしも隣にしゃがんで顔を覗き込む。川西くんは「勘弁して……」と呟いて、両手で顔を隠した。さっきからどうしたんだろうか。困惑していると、川西くんが指の隙間からようやくこっちを見てくれた。

「かわいすぎるんだけど、どうしよう」

 死んじゃう、と呟いたのちようやく顔を出してくれた。じっとわたしを見てもう一度「かわいい」と言ってくれた。じっとわたしを見つめながら立ち上がると、もう一度「かわいい」と言う。わたしが立ち上がってからも「かわいい、どうしよう」と笑った。

「も、もういいよ、大丈夫、わ、分かりました」
「横向いて」
「なんで?」
「横から見ても後ろから見ても前から見てもかわいいから」
「もういいってば……!」

 恥ずかしい。嬉しいけど、川西くんのかわいい攻撃には未だに慣れずにいる。
 とにかく。今日は晴れだったら動物園、雨だったら水族館という予定だった。きれいな青空が広がっている、つまりは動物園というわけだ。「バス来るから行こう」と逃げるようにバス停へ歩き始めたら、川西くんが「歩いてもかわいい」と呟いたのが聞こえた。

「川西くんってば」
「はい、なんでしょう」
「……は、恥ずかしいから今日はもう、それ、禁止ね?」
「やば、なにそれ、かわいい」
「だから!」
「だって俺言ったじゃん、かわいいとか全部言いたくなるタイプだって」

 言ってたけど。言ってたんだけど。こんなに言うと思わなかったから。バス停に向かって歩きながらぼそぼそと呟くと、川西くんが笑いながら「分かった。気を付ける」と言ってくれた。ついでに、部活の人に言うのもやめてね。そうお願いすると「えー」と言いつつも、最終的には気を付けると約束してくれた。
 川西くんはようやく普通にわたしの隣を歩きながら「はなんかないの?」と少しだけ顔を覗き込むようにした。なんか、とは。首を傾げると「俺みたいに白いワンピース着てほしい、みたいなさ」と言った。何かしてほしいことはないか、ということらしい。
 彼氏ができたら、なんてことを考えたことなかったなあ。彼氏にしてほしいこと、と急に言われるとちょっと難しい。こうやって一緒に出かけるだけで十分楽しいのだけど、じっとわたしを見つめて言葉を待つ川西くんを前にするとそうは言いづらくて。
 彼氏としてみたいこと。憧れかあ。バス停はもうすぐそこ。あと五分ほどでバスが来るはずだ。並んでいる人が数人見える。隣を歩く川西くんも「あんまり並んでなくてよかった」と言った。

「で、何かある?」
「急に言われると……そうだなあ」
「遠慮なくどうぞ」
「うーん……あ、じゃあ」
「うん」
「手を繋いでみたい、かなあ」

 まだ繋いだことなかったよね、と言ったら川西くんがフリーズしてしまった。ば、バスが来ちゃうから歩いて! 思わず腕を引っ張ったら川西くんが「なにもう……」と呟いた。

「かわいすぎて死ぬ、俺が保たない」
「い、いいよ別に嫌なら繋がなくても……」
「嫌とは一言も言ってません」

 笑いながら手をそっと握ってくれた。ずっとこっちを見ているのが分かる。川西くんのほうを見ないようにひたすらバス停のほうを見つめておく。川西くんはわたしの手を何度か握り直す。ちょっとくすぐったい。人と手を繋ぐって、こんな感じなんだなあ。自分のものじゃない体温をじんわり感じながらわたしも手を握り返した。


「うん?」
「どうしよ、めちゃくちゃかわいくてそれ以外何も出てこないんだけど」
「……あの、川西くん」
「はい」
「バスの中ではそれ言わないでね? 恥ずかしいから」
「えー」

 えー、じゃないよ。バスの中だと人に聞かれてしまうでしょう。やんわり釘を刺しておく。川西くんはまた「えー」と言いつつも、とりあえず「分かった」とは言ってくれた。


川西くん、こっち見ないで 川西くん、ちょっと黙って

back