大学三年生の冬。なかなか全員の日程が合わずに開催が延期され続けていた井闥山男子バレー部飲み会がついに開催された。主催はわたしの代が二年生だったときの先輩で、とにかく当時のメンバー全員集めたいと情熱を燃やしていたことを覚えている。
 わたしの隣に座っている佐久早が眉間にしわを寄せている。じっと何かを見ているから何かと思えば、佐久早の前に置かれた取り皿に小さな水滴がついていた。何が原因でついたか分からないけれど気分は良くない。佐久早ならなおのことだ。

「はいはい。わたしのと取り替えるね」
「……何も言ってない」
「目が言ってた。ものすごく主張してた」

 けらけら笑いながら皿を入れ替える。ついていた水滴はおしぼりで適当に拭いておく。洗ったときの拭き残しだろう。拭いてしまえば何もないのと同じ。わたしはあまり気にしないほうだけれど、人によっては気持ち悪いとか汚いと思うことも理解はできる。そんなふうに思いながらきれいに拭いた皿をテーブルに置く。佐久早はじっとわたしの手元を見ていたけれど、わたしがおしぼりをテーブルに置くと同時にぼそりと「ありがとう」と言った。それに、ひっくり返りそうになる。

「え、今なんて……?」
「もう言わない。うるさい。黙れ」
「ちょっと、ちょっと古森! あんたんとこの聖臣くんが良い子になってるんだけど?!」
「騒ぐな」
「聖臣は前から良い子だよね〜」
「乗るな。鬱陶しい」

 近くで見ていた飯綱さんが大笑いして「保護者会みたい」とからかう。佐久早はそれをじろりと睨みつつ無言で抗議をしていた。
 佐久早は高校生のときからこんな感じの人だ。はじめこそ自分と見ている世界が違いすぎて戸惑ったけれど、まあ多少きれい好きなだけ、というふうに認識を変えれば割とすぐに慣れた。元々そこまで他人に興味を持たない性格だし怒ったり苛立ったりしてもどうしようもないという考えをしている。佐久早に合わせることはそこまで苦じゃなかった。驚かされることの連発でアップデートの頻度が恐ろしく高かったけれど。
 楽しい飲み会がはじまると、佐久早は嫌そうな顔をする瞬間もあったけれど、おおむね穏やかに楽しんでいる様子だった。賑やかなのは得意じゃなけれど、気の知れた仲間の輪にいることは嫌いではない様子だ。ちょっとほっとした。佐久早にも人間らしいところがあるんだな、と失礼ながら。
 ほっとしたら飲みたい欲が顔を出した。今日は飲むぞ、楽しむぞ! そう笑うわたしの隣で佐久早は眉間に皺を寄せて「騒ぐな。飲みすぎるな」と何度も言っていた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「なんで俺がこんな目に……」
「いや、連れて帰るって言い出したの聖臣じゃん」

 けらけら笑う元也を睨む。今更元也が動じるはずもなく、そのまま笑って「〜電車降りるよ〜」と眠りこけているの頬をつついた。それにイラッとして「触るな」と手を払ってやる。元也は余計に笑って「これは失礼しました」とおどけて両手を上げるポーズをした。
 飲み会で騒ぎに騒いだは、締めのデザートが出てくる前に俺の隣で眠りこけていた。酔うと寝るタイプだったらしい。そのうち起きるだろうと思って放っていたが、店を出る頃にも一切起きなくて。元也が肩を揺さぶったり軽く頭を叩いたりもしたけれど全く無反応だった。死んだんじゃないかと思うほどの様子に飯綱さんが焦っていたけれど、むにゃむにゃと寝言を言ったのを聞いてほっとしていた。
 誰もの家を知らないし、もちろん家族の連絡先も知らない。誰かが連れて帰るか起きるまで一緒にいるしかなくて、同輩が集まってどうするか話し合いがはじまった。その輪に入りながら、もやもやしていた。誰がを連れて帰るか。その話し合いだ。その結果によってはこの中の誰かがを家に連れて帰って一晩を過ごす。こんな、眠りこけて一切何も抵抗するわけがない状態のと。そう思ったら、舌打ちがこぼれた。そのあとすぐに「俺が連れて帰る」と口が動いていた。

「あのときのみんなの顔、面白かったな〜。驚きすぎて真顔だったもんな〜」
「うるさい」
「で、本当に大丈夫? 聖臣がいいなら俺もお邪魔するけど?」
「帰れ」
「言うと思った」

 電車が停車する少し前。の腕を掴んでぐいっと引っ張るけど、当然ながらぴくりとも動かない。その様子を見た元也が「はいはい」と言って席から立ち、の荷物を持った。今にも前に倒れ込みそうなの上半身を起こして、両腕を自分の肩にかける。そのままの太ももの下に腕を入れた。元也がの背中を支えながら「せーの」と言ったのを合図にを抱え上げる。バランスが取れたのを確認した元也が手を離すとほぼ同時に電車のドアが開いた。

「一人でいける? 家までついてこうか?」
「いい」
「了解。気を付けて〜」

 の荷物を受け取ってから電車を降りた。完全に寝ているの体重がしっかりかかっているが、正直そこまで気にならなかった。
 元也がのICカードを出しやすいようにしておいてくれたのが分かる。相変わらずそういうところによく気がつくやつだ。のICカードを取り出してから、自分の分もどうにか取り出しながら改札口へ向かう。ICカードを二枚持って改札を通ろうとしたとき、駅員が気を利かせてたのか話しかけてきた。まあ、正直なところ二枚別々にタップするのが難しい状況だった。白手袋もしているし、と確認してからICカードを預けて改札を通らせてもらった。その駅員が笑って「彼女さん途中で起きるといいですけどね」と言う。それに適当な返事をしてから、内心で思う。途中で起きられてたまるか。そんなふうに。
 駅から家までは歩いて五分ほど。が起きることなく無事に家についた。鍵を出すのに少し苦戦したが、の腕がしっかり俺に絡みつくようになっていたから落ちる心配はなかった。鍵を開けて部屋に入り、ようやく深く息をつく。
 正直なところ、他人を自分のベッドに寝かせるなんてこと、本来の俺なら絶対にしない。酔っ払いを家に連れ帰ることもしない。絶対にしない。それなのに、だと思うと、自分でも理解できない感情が勝手に生まれてしまった。今でもよく分かっていないままだ。
 そっとをベッドに下ろす。のんきに眠りこけている顔を見てると、イライラしてくる。
 こんなにも。こんなにも俺は、お前のせいで意味の分からない感情が渦巻いているのに。のんきに寝やがって。お前のそういうところが高校のときからムカつくんだよ。
 笑ったり喜んだりする顔を見せられるたび、その感情が大きくなる。いっそのこと他のやつらみたいに気味悪がったり面倒くさそうにしたりしてくれればいいのに。何度そう思ったか分からない。
 が寝返りを打つ。ごろんと横を向いてから小さな声で笑った。寝言だ。何か楽しい夢でも見ているのだろう。俺の家にいるとも知らずに。
 ふと、自分の寝るところがないことに気付く。それにため息をつきつつ、とりあえずベッドに寝かせてしまったものはどうにもならない。幸せそうに眠るに布団をかけて、またため息をつきながら風呂に向かった。
 上を脱いでいるときだった。部屋のほうから思わず肩が震えるくらいの叫び声が聞こえた。起きたらしい。思ったより早かったな。内心でそう呟きながら、パニックを起こしているであろうに状況説明をしてやるために部屋に戻る。は俺を見るなり布団を抱え込んでまた叫び声を上げた。

「近所迷惑だからやめろ」
「え、えっ、えっ?! 佐久早?! まさかの佐久早なの?!」
「大きい声を出すな」
「やっちゃった?!」
「何を」
「いや、だから、ほらあの、裸だし……男女のそういうやつを」
「やってねえに決まってるだろ馬鹿か。そもそも裸じゃないだろ」
「ですよね〜?! よかった〜! 将来のバレー界の宝に傷を付けたかと思った!」

 何を思ったか帰ろうとするに「帰るな。動くな。俺が出てくるまで待ってろ」と睨んでやる。は「でも今なら終電が」と首を傾げる。誰がこれ以上言葉をくれてやるかよ。「いいから待ってろ」とだけ言って風呂場に戻る。部屋に戻らなきゃよかった。もうしばらく勘違いをさせておけばよかった。ほっとした顔しやがって。ムカつく。現実にしてやろうかと思うくらいにはムカついた。
 酔っ払った状態で部屋に連れ込まれているんだから軽蔑した顔の一つでもしてみろよ。そんな顔一つ見せず、ベッドに入ったままでいるなよ。本当に、ムカつく。何度も何度も頭の中でそうぶつくさ呟く。どうせ一つもに伝わることはない。それに舌打ちをこぼして、普段なら絶対しないのに洗濯物を乱暴に洗濯機に投げ入れてしまった。
 とっくに傷は付いてんだよ、馬鹿が。これものせいだ。高校生のときからずっと、全部のせいでしかないのだ。

月にもそっぽ向かれたい

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