※やわらかな青春の設定。最終話から少し経ってからのお話。
滅多に有休を取らない部下が、土日を含めて四連休になるように有休を申請してきたことがとんでもなく珍しかったらしい。上司はわたしの申請を二度見して「えっ?!」という声が部署に響き渡るほど驚いていた。昨今はいろいろと厳しくなっている。それを重々承知しているであろう上司が口を滑らせたように「え、何するの……?」と聞いてきたのはちょっと面白かった。
そんな有休を利用し、わたしは今現在角名が暮らしている街にいる。土曜日と日曜日の二日間は角名と過ごすことになっている。いつもこっちに来てばかりの角名を無理やり納得させて今回はわたしが来た、という感じだ。午前中は用事があってそれを終わらせてから来たのでもう辺りは薄暗い。丸二日間というわけでないから角名は少し残念そうにしていたっけ。
角名には四連休だとは教えていない。さすがにあまりに長くいるのはどうかと思ったし、平日は仕事と練習で当たり前に忙しないだろうと思ったからだ。予定がなさそうだったら話してもいいかと思っているけれど、一応このまま残りの二日間は気ままに一人で観光するつもりでいる。
駅の外に出て辺りを見渡す。車で迎えに来てくれている角名を探しているのだけれど、どんな車に乗っているかも知らないし人混みがすごい上に暗いからなかなか見つけられない。きょろきょろ探しながらトークアプリに「どこ?
車なに?」と送ってみる。すぐに既読がつくと、一枚写真が送られてきた。わたしが写っている。回りくどい。内心そう思いつつ、この写真を撮ったであろう方向へ体を向けると、しっかり角名を見つけることができた。
キャリーケースを引いて歩いていく。一応身バレを気にしているのか夜なのにサングラスをかけている角名を笑ってやりつつ、早歩きで角名に近寄ると「きょろきょろしててかわいかった」と開幕先制パンチを受けた。
「かわいないし。見つけとったんやったら声かけてくれたらええやん」
「見つけてほしかったんで。荷物貸してください」
けろっとかわいいことを言う。内心憎らしく思いつつ黙っておいた。おとなしくキャリーケースを角名に渡すと、角名はそれを持ち上げて「荷物多くないですか?」と不思議そうにした。そりゃそうだ。三泊四日のつもりで荷造りをしてある。一泊二日だと思っている角名からすれば倍の荷物なのだから不思議に思われても仕方がない。「女は荷物が多なんねん」と適当に誤魔化しておいた。
「そのサングラス何?
めっちゃおもろいんやけど」
「この前変な雑誌にいろいろ書かれてうんざりしたんで一応」
「大変やね〜お疲れ〜」
「他人事すぎません?」
車に乗り込む。運転席でシートベルトを締めつつ角名が「どうします?
何か食べたいとか行きたいところとかあります?」と矢継ぎ早に聞いてきた。特に行きたいところはないし、移動で結構体力を使ってしまった。角名の家で、と答えたら満足げに「分かりました」と笑われた。
「最近変わったこととかありました?」
「特になんもないなあ。そっちは大変そうやね。この前の試合めっちゃ調子悪なかった?」
「うわ見られてる……それ触れないでください。普通にダサくてへこむんで」
「高校のときからダサいところなんかいくらでも見とるわ」
角名は諦めたように「特に何が悪いっていうのはないですけど」とバレーの話をする。体調が悪いだとか怪我をしているだとかそういうものはなくて、単純になんとなくいろんなタイミングが噛み合わなかっただけ。そう淡々と言うから安心した。角名は冷静に自分のことを俯瞰できるタイプだ。その角名が断言するのだからきっと次にはもう大丈夫だろう。そう思って「せやったらええけど」とだけ返しておいた。
赤信号で車が停まる。角名はハンドルに両手を引っかけるようにして、わたしを覗き込むようにこちらを見る。前を見ろ。そう言っても笑うばかり。相変わらず角名のこういう感じに慣れない。未だに気恥ずかしくて、信号を見るふりをして目を逸らした。
「へこんでるんで慰めてくださいよ」
「全然へこんでへんやん。元気で安心したわ」
「彼女がつれない」
「はいはいかわいない彼女ですみませんね」
「いや、かわいいですけど。抜群に」
青信号。わたしがそう教える前に角名が顔を上げてアクセルを踏んだ。ちゃんと横目で見ていたらしい。なんかそういうところ、やっぱりむかつく。ちらりと横目で角名を見るともうしっかり前を見てハンドルを握っていた。
ちらりと見た右手に当たり前のように指輪がはめられていた。腹が立つ。誰にも知られたくないわたしが喜ぶポイントを、角名はまるで知っているかのように押さえてくる。それがむかついた。
喜んで何が悪い。角名はわたしの彼氏であり好きな人なのだから、ペアリングをはめてくれていることを嬉しく思って何が悪い。自分にそう言い聞かせるけど、やっぱりこのなんとも言えない恥ずかしさは消えてくれない。まあ、そんなわたしの右手にも、ちゃんと指輪ははめられているのだけど。
駅から車で十分ほど。駐車場で車から降りてすぐ。角名が住んでいるマンションの中へ入って、俄に緊張してきてしまう。なんだかんだで角名の家に入るのははじめてだ。これまでわたしから角名に会いに行ったのは、今年の二月の一度きり。次の日に仕事があったから泊まらずに帰ってしまった。いつか泊まりに来てとずっと言われていた中で今日という日を迎えているわけだ。
エレベーターを降りて角名についていく。一番角の部屋の前で立ち止まるとポケットから鍵を取り出した。ドアを開けながらわたしに「どうぞ」と言ってくれたので先に入らせてもらう。玄関、きれい。なぜだか悔しくなっていると、角名がドアを閉めてからスリッパを出してくれた。
キャリーケースは角名が持ってくれたまま部屋に上がらせてもらう。恐る恐る部屋を見渡していると角名が「借りてきた猫みたい」とおかしそうに言った。
「なんか……」
「なんですか」
「普通にちゃんとした男の部屋でむかつく……」
「なんですかそれ」
キャリーケースのキャスターが床に付かないように置くと、適当なタオルで拭いてくれた。そういうところもちゃんとしててなんかむかつく。ぼそりと言ったわたしに角名は「ちゃんとしてる彼氏でよかったって言ってくれるところじゃないんですか?」と褒め言葉をねだるようにちょんちょんと手をつついてきた。
ソファにどうぞ、と言われたのでおとなしく腰を下ろす。お茶を淹れてくれた角名にお礼を言って受け取って一口。長時間移動はやっぱり疲れる。温かいお茶にほっとしていると、隣に腰を下ろした角名がわたしの顔をじっと見た。
「何?」
「え、特に何もないですけど?」
「いや、めっちゃ見てくるやん」
「そりゃ見るでしょ。はじめて自分の部屋に彼女が来たんだから」
ため口。目を逸らしながら注意しておく。そんなの別に気にしていない。何か責められる箇所がないか探した結果、苦し紛れに出た注意というだけだ。角名もそれは分かっているみたいで「え〜先輩厳しい〜」とわざとらしくかわいこぶって言うだけだった。
じいっと見てくる。あまりにも熱烈なその視線に居心地が悪くなってきた。目を逸らしたままひたすらお茶を飲んでしまう。角名はきっとわたしが何を考えているかなんてお見通しなのだろう。今はきっとこの状況を楽しんでいるに違いない。
「……あの、突然こんなこと言うても困るかもしれへんけど……」
「なんですか」
「…………実は、その、わたし、今日から四連休、なんやけど……」
言うつもりはなかったはずだったのに、なんか、言ってしまった。たぶんこれはあれだ。浮かれているというやつだ。
角名は固まったまましばらく瞬きもせずわたしを見つめていたけれど、わたしが瞬きをした瞬間にソファの背もたれに倒れ込むように体を預ける。両手で頭を抱えるようにして「嘘でしょ」と呟いた。
「そういうの先に言っといて……」
「いや……なんか図々しいかと……」
「……仕事休ん、」
「それはあかんやろ。社会人なんやから」
「言うと思った……」
ソファに体を沈めたまま黙ってしまった。手で顔を隠しているから表情も分からない。呆れている、わけではなさそう。怒っているわけでもなさそう。そんな様子に照れてしまう。
つんつんと太腿を軽く指で叩く。角名がその手を掴むと、指の腹で優しく肌を撫でた。
「まさかと思いますけどホテルの予約とかしてます?」
「まだしてへんよ。角名の都合もあるやろうし、明日考えるつもりでおったけど」
「もししてたらさすがに怒ってましたよ。さんがドン引きするくらい」
「なんとなく想像つくわ」
深いため息をつきながら体を起こした。わたしの手を何度も何度も握り直しながらじっと見つめてくる。未だにこの視線には慣れない。まだたまに後輩の顔がちらつくからだ。なんだかいけないことをしている気持ちになってしまう。角名に言ったら拗ねるから言わないけれど。
わたしの手を軽く持ち上げる。指先を軽く掴んだままじっと手の甲を見つめていたかと思えば、そのまま顔を近付けてそっと口付けを落とした。あんたは王子か。思わず手を引っ込めると、角名が不満げにこっちを見た。
「なんですか」
「いやそれこっちの台詞なんやけど……サブイボ立ったわ……」
「ひどくないですか?」
こういう恥ずかしいことを平気でしてくるからたまに困る。ぽつりと呟いたわたしに角名が小さく笑う。引っ込めた手をまた掴まれて、ぐいっと引っ張られてしまう。
「さんが回りくどいからですよ」
「……何が?」
「もっと一緒にいたいってストレートに言ってくれたらいいじゃないですか」
ぐうの音も出なかった。取るつもりのなかった有休を取ったのは、できればもう少し一緒にいたいと思ったから。本当は月曜日だけ取るつもりだったのに欲張って火曜日まで取ったのは、もっと一緒にいたいと思ったからだ。角名の言う通りどれも言葉にしたことはない。言うのが恥ずかしかったからだ。そういうキャラじゃないし。
「俺のこと大好きなくせに」
「は?」
「大好き倫太郎って言ってくれたじゃないですか。もう一回お願いします」
「知らん知らん覚えてへんそんなん。空耳やろ」
「真っ赤な顔しててかわいかったですよ」
「知らん」
「そんなこと言わずに」
指を絡めるように手を繋いでくる。きゅっと糸を結ぶように握られた手がじんわりくすぐったい。その手をさらに引っ張られ、反対の手が腰に回る。こんな丁重な扱いをされるとどうしても目を逸らしてしまう。慣れない。いつまで経ってもこの分かりやすい愛情が恥ずかしくて仕方がない。
そっと耳に唇が触れた。びっくりして耳を押さえつつ顔を向けた瞬間に唇を奪われて、さっきまでの優しい手つきとは違ってぎゅっときつく手を握られる。腰に回っていた手が撫でるように背中を通り、最終的に後頭部を添えられた。その指がかすかに髪を撫でる。思わず角名の手をわたしも強く握り返す。それから嘘みたいに優しく唇が離れていった。はじめてキスをした日の夜を思い出させるそれに顔が熱くなる。
「これくらい真っ赤になってて本当にかわいかったですよ」
「……めっちゃむかつく」
唇に息がかかる。少し顔を傾けるだけでキスしてしまいそうな距離感。言われなくても分かる。角名は待っているのだ。わたしが言葉にするのを。辛抱強い人だ。言わなかったらいつまでもこのままでいるに違いない。
目を逸らそうにも顔が近すぎて動けない。動いたら唇が当たってしまいそうで、じっと角名を見つめ返すしかできなかった。角名の手の熱さに意識を持っていかれてしまって、怖いくらい呼吸が震える。涙が出そうなくらい熱い瞳の奥は、角名にはどんなふうに見えているのだろうか。そう考えると降参してしまいそうになって、やっぱりむかついた。