人生ではじめて告白をされたのは高校二年生の秋だった。相手は一年生のときに同じクラスだった人で、仲が良いわけでも悪いわけでもない、単なるクラスメイトの一人だった。少なくともわたしにとってはそうだったから、突然呼び出されて「好き」と言われて本当に驚いた。まだ昨日のことのように思い出せる。
わたしの中で恋愛は、一度振られたり嫌われたら試合終了、というものだ。そういう認識でいたし、たとえ試合終了でなかったとしても振られたり嫌われたりした相手に二度目を挑もうなんて思わない。そう信じて疑わなかった。
居心地が悪い。とても。電話を保留にしたつもりで相手をちょっと小馬鹿にしたら保留になっていなかった、みたいな居心地の悪さ。つまり、とんでもなく気まずい気持ちになっている。
アルバイト終わりの夜九時半。駅のホームで電車を待っている。そんなわたしの隣にいるのは古森元也くん。去年まで同じ高校に通っていた元同級生で、二年生のときわたしに告白してきた張本人だ。
「さん、どこの駅で降りるの?」
「えっ、あー、さ、三駅先、ですが……」
「そうなんだー。あの辺りお店いっぱいあって住みやすそうでいいなあ。俺はその二つ先だよ」
「ああ……うん……何もないところだね……」
「そうそう!
ほんっと何もない!」
古森くんはけらけら笑って「でも家賃ちょっと安いし一駅先にスーパーはあるから意外と平気だよ」と言った。物件事情は聞いていない。正直、一刻も早く解散できないものかと考え続けている。
実はこの古森くん、高校の卒業式で二度目の告白しようとしてきたのだ。その告白はわたしの華麗な回避もとい全力逃避によって現実にはならなかった。でも、なんとなく罪悪感が残ったままではあった。せっかく好意を持ってくれているのに無下にするのも、と。
告白したいと思ってくれたのだから聞くだけ聞けばいいじゃないか、と言う人もいるだろう。ただ、人からの好意を断るというのはかなりエネルギーを消費するのだ。「あなたのバースデーパーティーをするからこの日は空けておいて!」と楽しげに言われて「あ、そういうのいいんで。やらないでください」と躊躇いなく言える人はそういないだろう。わたしは言えない。迷いに迷って「ちょっとだけなら……」と断れないタイプだ。だから「好きです。付き合ってください」に「ごめんなさい」を言うのがとても心苦しい。一食分くらいのエネルギーを一気に消費する。まあ、言っても一食分だ。すぐに回復するのだけれど。
「大学楽しい?」
「まあ……人並みには……」
「さん、今もしかしてものすごく帰りたいなーとか考えてる?」
「かっ……考えてない、よ……」
「はいダウト〜」
楽しげにされるたびに追い詰められているような感覚になる。古森くんはどうしてわたしに声をかけてきたのだろう。高校時代の友達と偶然会った、なんてシチュエーションではない。告白して振られた相手であり告白しようとして避けられた相手だというのに。
部活終わりなのだという古森くんはやけにご機嫌だった。高校と変わらず大学も良いチームだとか、同じ学部に気が合う人が多くてよかったとか近況を続々と教えてくれる。聞いてないけど、とちょっと思いつつも相槌を打って聞いておく。
古森くんはとても良い人だとは思う。でも、わたしにとっては本当にそれだけというか。男の人として見たことがなくて、男の人とか異性というよりは、本当にただの同級生、というか。悪い印象はないのだけれど、今この瞬間はとても気まずくて早く解散したいという思いしかないままだ。
電車が来るまであと五分。恐らく同じ方向だから乗ってからも話が続くだろうから、あと十五分くらいの辛抱だ。そんな失礼なことを考えながら苦笑いをこぼす。わたしはこんなに気まずいのに古森くんはどうしてこんなにも普通なんだろうか。精神力の差があまりにも大きくて困る。
ふと、古森くんが黙った。他にも人がいる駅のホームはあちこちから話し声が聞こえてくる。決して静かな空間ではない。けれど、わたしと古森くんの間には確実に静寂が流れている。どこを見るでもなく黙っていた古森くんがわたしを見た。それから、小さく笑う。
「さんは優しいね」
「……え、急にどうしたの」
「俺のこと傷つけないようにしてくれてるでしょ」
「え、いや……特にそういうつもりはないけど……」
「じゃあ無意識だ」
傷つけないようにしているわけじゃない。相手が誰であれ人に嫌われたくないだけ。臆病なだけだ。古森くんはポジティブに捉えてくれたけれど、正直わたしは自分のそういうところがあまり好きではない。本当ははっきり断りたいし、嫌なものは嫌だと言いたい。今だって気まずいから一人になりたいと思っているけれど、そう言うと古森くんに嫌なやつだと思われてしまうから言えずにいるだけ。決して優しいわけじゃないのだ。
「覚えてる?
高一のときにバレーの話になったときのこと」
古森くんが言っているエピソードの記憶がすぐに出てこない。考えているわたしを見て古森くんは「覚えてないよね」と、なんでもないふうに笑った。
「クラスのやつがさ、俺にリベロは小さいやつがやるあんまりかっこよくないポジションなのに≠チて言ったんだよ」
「……そんなことあったっけ……?」
「覚えてなくて普通だよ。ただの世間話だったし」
「あー、うん。ごめんね」
「いいえ。全然大丈夫です」
古森くんはわたしから目を逸らして、星が見えない夜空を見上げる。電車が来るまであと三分。横目で時計を見て、ほんの少しほっとした。
「俺は全然気にしてなかったんだけど、さんがそのときにエキスパートってことでしょ。かっこ悪くないよ≠チて言ってくれたんだよ。バレーのルールはあんまり知らないみたいだったけど」
そのときのことは覚えていない。でも、たぶん今その場面が起こっても自分がそう言っただろうとは分かる。面と向かってそんなことを言うなんて信じられないし、言われた側は嫌な思いをしただろうと思うから。フォローに回ろうと自分なら思うはずだ。
でも、どうしてそんなことを急に蒸し返したのだろうか。わたしにとってはなんてことないシーンの一つだ。だからこそ覚えていないわけで、懐かしむエピソードとしては弱い気がする。
「そのときに、優しい子だなあって思った。みんなに優しいんだろうなって」
「優しいというか気にしいなだけだと思うけど……」
「人のことを気にしてる時点で優しいじゃん」
ちょっと照れてしまう。こんなふうに面と向かって人に褒められることなんてあまりないし、古森くんが嘘を吐かない人だと知っているからだ。
待合室にいた人たちが続々と列を作る。わたしと古森くんの後ろにも数人並んでいて、話し声が先ほどよりも近くで聞こえている。それでもやはり、わたしと古森くんの間にはときおり静寂が流れる。
ホームにアナウンスが流れる。わたしたちが乗る電車が停車する駅名がいくつか聞こえてきて、ついに遠くに電車のライトがぼんやり見えてきた。古森くんが電車が見えてきたのを確認してからわたしを見ると「もう来ちゃうね」と笑った。
「いい子だなーって見てたら好きになっちゃった。困らせてごめんね」
電車がホームに滑り込んできた。ぶわっと突風が肌にぶつかって、髪の毛がとんでもない勢いで揺れる。毛先が肌に当たるたび刺さるように痛くて、何度も瞬きをしてしまった。
電車が規定の場所にきっちり停車した。古森くんが真ん中からわたしのほうに寄ると同時にドアが開く。どっと流れ出るように人が降りていく列。夜ということもあり家路を急いでいる人が多い。その人たちにぶつからないように古森くんが前に立ってくれていた。優しいのは古森くんのほうなんじゃないだろうか。自分を振った相手のことも気遣って。こんなふうに話しかけてくれて。感じが良いわけじゃないわたしに嫌な顔せずにいてくれて。こっそりそんなことを考えた。
わたしは、古森くんのことを何も知らない。ぼんやりとした一番外側のことしか知らない。優しそう。良い人そう。友達が多そう。運動が得意そう。同じクラスじゃない人でもなんとなく分かることしか知らないのだ。
降りる人がいなくなってから古森くんが電車に乗り込む。それに続いてわたしも乗り込むと、古森くんが空いている席の前に立って「ここどうぞ」と言ってくれた。空いているのは一席だけ。乗り込む人はそう多くはない。ちらほら空いている席もあるけれど、わたしはすぐに降りるし疲れてもいない。「わたしは立ってるから古森くんどうぞ」と言いつつしばらく開かないドアの前に立つと、古森くんも移動してきた。古森くんが譲ろうとしてくれていた席には仕事帰りらしいOLさんが座った。
「座らなくてよかったの?」
「疲れてないし、さんが座らないならいいかなって」
ドアが閉まり、電車がゆっくり動きはじめた。ドアにもたれて古森くんの顔を見上げる。不思議と気まずい気持ちは薄れていた。
「部活っていつもこんな遅くまであるの?」
「今は大会前だから余計にかな。部室でだらだらしてた時間も長いけど」
「仲良いんだね」
「さんは?
いつもこんな遅くまでバイトしてるの?」
「稼げるうちに稼ごうかなって」
古森くんが笑う。どこでアルバイトをしているのかとか何かほしいものがあるわけじゃないのかとかいろんなことを聞いてくれる。どれもこれもわたしに興味を持ってくれているのだとストレートに伝わってきて、なんだか少しだけ嬉しい。
わたしも古森くんのことを聞いたり、同じクラスだったときのことを話したりしているとあっという間に時間が経った。あんなに気まずくて一人になりたいと思っていたのに、今ではちょっと名残惜しい気がしてしまう。高校生のときにもっとちゃんと古森くんと話をしたら仲良くなれていたのかも、なんて思った。
「さん」
「何?」
「連絡先交換してって言ったらしてくれる?」
「え、うん。いいよ」
ちょうどわたしが降りる駅に着いてしまった。スマホを取り出すと同時にドアが開いてしまってあわあわする。とてもじゃないけど交換する時間がない。
どうしようか迷っているわたしの腕を古森くんが掴んだ。そのまま古森くんに引っ張られて電車から降りると、当然だけれどドアが閉まって電車は出発していった。
「古森くんあと二駅先でしょ?!
よかったの?!」
「さんと連絡先交換するほうが大事だから」
はい、スマホ出して。古森くんはなんでもないふうにそう言ってスマホをわたしに向ける。わたしと連絡先を交換するほうが大事。そう言ってくれたことが、素直に嬉しかった。
「あの……もしかして卒業式の日に声をかけてくれたのって……」
「うん。連絡先聞こうと思ってた。でも避けられてショックだったな〜あ〜思い出したら胸が痛いな〜」
「え、ご、ごめん!
てっきりまた告白されるものだと思って!」
「それもそれでショックなんだけど」
「あ!
ごめん!」
「まあそうなんだけどね。そのつもりでした。見事に逃げられちゃって聖臣……佐久早に鼻で笑われたな……」
スマホを操作しながら苦笑いをこぼす古森くんが「なんかごめんね」と風の音に紛れるくらいの声で呟く。それになんと返すのが正解なのか分からず「ううん」と曖昧な声色で言うしかできない。
古森くんの連絡先が登録されたスマホをぼけっと見つめる。卒業式の日、逃げなきゃよかった。逃げなければ連絡先くらい交換していたし、今日古森くんがわざわざ電車を降りる必要もなかったのに。
高校生のときの古森くんを思い出した。今の古森くんと変わらない。制服を着ているか着ていないかの違いしかない。わたしは一体何から逃げていたのだろう。そんな引っかき傷のような後悔を覚えた。
「せっかくだし送ってくよ」
「え!
いやいやそれはさすがにいいよ!
あと五分で電車来るし……」
「さんと話したいだけだよ」
スマホをポケットにしまって「ほら行こ行こ〜」と茶化すようにわたしの背中を押す。背中に触れた古森くんの手がとても大きくて、恥ずかしくなるくらい心臓が音を立てた。