ポラリス設定。アングレカム最終話より少し後のお話です。
※白布が医学部五年、主人公が社会人二年目です。
※主人公の宮城への異動が決まる少し前。




 社会人二年目を迎えたものの、うちの部署には新入社員が二人入ったがわたしにはそこまで関係はなく、これまで通り変わらない日々を送っている。忙しない四月を乗り越え、今年も無事にゴールデンウィークを迎えている。
 去年と同様地元に帰ってきたわたしは、最初の一日は実家に帰って家族水入らずで過ごした。久しぶりに帰ったからか好きなものばかり食卓に並ぶのは気恥ずかしいけれど嬉しい。残さないように結構無理に食べたけど、見かねた父親が「ほどほどに」と母親に苦笑いをこぼしていた。
 そして今日、二日目である五月四日。誕生日を祝うために白布と会ったら、なんだかちょっとやつれているように見えて驚いた。月に一度会えればいいという頻度でしか会えてはいなかったけど連絡は取り合っていた。もちろん忙しいことは聞いていたけれど、こんなふうになるほどだとは思っていなかったのだ。

「なんかものすごく顔色が悪いけど……?」
「大丈夫です。ちょっと、先月ハードで寝る暇がなかっただけです」
「だ、大丈夫じゃないと思う……」

 あんまりにも顔色が悪いから、出かける予定を全部変えることにした。白布は最後まで「いや大丈夫です」と言ったけれど、さすがにこの顔色の人を連れ回したいとは思わない。なかなか引かないから最終奥義である先輩権限を使い、ひとまず白布の家にお邪魔させてもらうことにした。

「それずるいですよ……」
「わたし、白布の先輩でよかったなあってこういうときすごく思う」
「俺はさんの後輩で毎回後悔します」
「言ったね?」

 わたしと白布が同輩だったり、逆の関係だったりしたらどうなっていたのだろう。同輩の白布はなんとなく想像ができるけど先輩の白布はいまいち想像がつかない。わたしにとっての先輩の白布といえば五色に対する感じだけど、異性に対しても同じではない気がする。とはいえ、怖い先輩、とは思っていたかもしれない。そんなことを考えてこっそり笑ってしまった。
 ほどなくして白布の家に到着。もう何度も来ているというのに、未だに白布と二人きりになるのはちょっと緊張する。いつまでも変わらない気がしてちょっと恥ずかしい。白布には内緒にしているけれど、いつか気付かれるんじゃないかとハラハラしている。

「とりあえず休んで。もしかしたら熱があるかもしれないし」
「いや、ないです」
「測ったんだ?」
「測ってないですけどないです」
「数字を見ないと信用できないかな……体温計どこ?」
「ないです」
「医学部生としていいのかな、それ」

 苦笑いをこぼしつつ、白布の腕を引っ張って部屋の奥に進む。部屋に置かれているテーブルには課題や何かの資料が置かれていて、ベッドにも本が数冊置かれていた。それを見るだけで相当ハードだったのだろうと察する。
 荷物を置かせてもらっていつものところに腰を下ろす。白布も隣に腰を下ろすと、小さく息をついたのが聞こえた。やっぱり疲れている。とてもじゃないけれど絶好調ではないし、できることなら休んでほしい、けど。白布の性格上、わたしが来ているのに一人だけ寝るなんて大人しく聞いてくれなさそうだ。
 どうしようか考えつつ、今日のメインである白布の誕生日を祝うことにした。もちろんちゃんと用意してあるプレゼントを渡し、白布の家に行くと決めた後に受け取ってきた事前に予約してあったケーキを出す。白布がとんでもなく恥ずかしそうな顔をした。「子どもじゃないんですけど」と耳を赤くして言うからかわいくて。ご機嫌にろうろくに火をつけ、店員さんに書いてもらったお誕生日プレートを飾り付ける。けんじろうくん、おたんじょうびおめでとう。全部ひらがなで書かれたそれを見て、さすがの白布も照れるより面白さが勝ったらしい。「なんですかこれ」と笑ってくれた。

「食べられる? 食欲はあるの?」
さんが思っているほど体調は悪くないです。大丈夫です」

 ぽつぽつと教えてくれた。一つ一つの課題が難しいわけではなく、講義も難しいとは思っておらず順調に学生生活は送れているのだとか。ただ、出される課題の量が多く、そこに実習が重なっていることで余計に時間に追われてしまっているそうだ。その中にグループで行う課題があるそうなのだけれど、他の人と少し折り合いが良くないのも原因の一つなのだとか。仲が悪いとかではなく、ただ課題に対する意識の差や単純な学力の差が割としんどい、と珍しく素直に弱音を吐いてくれた。

「ごめん、わたしと世界が違いすぎてなんて言えばいいか……聞いといて申し訳ない……」
「いや、いいです。むしろすみません。聞いてもらっただけで十分です。こういう話、その、あまり人にしてこなかったので」
「確かに白布ってしんどいとか大変とか、そういうこと言わないよね」
「言ったところで結局は自分の問題なので」
「出た、白布のドライな一面」

 笑いながらろうそくの火を消すように促すと、白布はちょっと照れたままふうっと吹き消した。全部消えてからぱちぱちと拍手をして「おめでとう」と言う。白布は「ありがとうございます」と困ったように笑った。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 ふと目が覚める。二回瞬きをしてから、隣で寝ていた白布の姿がなくなっていることに気付いたけれど、すぐぼやけた視界の奥に背中を見つけた。テーブルに向かって何かをしている。右手で何かを書いて、左手にはライトがついているスマホ。傍らには画面がついているノートパソコン。ちゃんと見なくても大体察する。わたしが寝たあとに課題をはじめたのだろう。わたしが起きないように部屋の電気は付けずに。
 カーテンの隙間から差し込む月明かりが白布の右半身をゆらゆらと照らしている。白布の肌が発光しているのかと思うほど、美しい光に見えた。同じようにきらきらしている髪がかすかに揺れている。どうやらほんの少し窓を開けたみたいだ。心地良い風の香りを静かに感じた。
 疲れているときはちゃんと寝たほうがいい。そう無理やり丸め込んでいつもより早い時間にベッドに押し込んだから安心していたのに。人の気も知らないで。ぼんやりした瞳で白布を見つめたままそう思う。とてつもなく気が早いことを言う。長生きしてほしい。健康で、痛いところも苦しいところもないまま、しわくちゃの顔のおじいちゃんになってほしい。こんなことを口にしたら白布は絶対に「気が早いですよ」と言うに決まっている。けれど、ふとした瞬間に思うのだ。
 無理はしないでほしいと常日頃から思う。忙しくしている姿を見ると何かしたくなる。でも。所詮わたしには何もできないわけで。白布が言った通り言ったところで結局は自分の問題≠ネのだ。あの発言はほんの少しだけむかついたけれど、白布の言うことは間違いではない。わたしだって白布に話していない仕事の悩みは多くある。話さないのは白布では解決できなことだから。わたし次第だから。白布だってわたしと同じように考えているだけ。咎めることはしなかった。
 でも、わたしは、この頑張っている背中が好きだと思ってしまう。無理はしないで、と思っていても、頑張っている背中が好きだ。高校生のときからずっと。たぶんこれは一生変わらないのだろうと思う。
 ぶわっとカーテンがめくれ上がる。強い風はテーブルに置かれているプリントを何枚か飛ばすほどの勢いで、白布が思わず目をやっている。強い風に揺れる白布の毛先が星屑みたいに光っている。きれいだと思っていたら、不意に白布と目が合った。

「すみません、起こしました?」
「ううん。なんか起きちゃっただけ」

 はっとした様子で左手に持っているスマホのライトを消した。テーブルにスマホを静かに置きながら「何か飲みます?」と聞いてくれた。そのまま立ち上がろうとする白布に手を伸ばし、がしっと乱暴に右手首を掴む。白布は間抜けな顔をして中腰のまま動きを止める。その格好がなんだか不格好でおかしくてちょっと笑ってしまった。

「大丈夫。わたしのことは気にせず続けて」
「……早く寝ろって怒られるかと思いました」
「そりゃあ寝てほしいけど。ぎりぎりまで言わないって決めたの」

 頑張っているところが好きだから。そこまで口には出さなかったけれど、白布はなんとなく意味を察してくれたみたいだった。ちょっとだけ照れくさそうにして「ありがとうございます」と言うと、そっと腰を下ろした。相変わらず素直でかわいい後輩の一面を垣間見る。かわいくないなんてとんでもない。不意に頭に浮かんだ同輩に笑ってしまった。
 白布がほんの少し困惑気味に背中を向けた。またテーブルに向かった姿を見て静かに瞬きをする。高校受験のときもこんな感じで勉強していたのだろうか。わたしがもう知ることのできない中学生の白布を思い描いて、きゅっとシーツを握ってしまった。
 悩みごととか弱音とか、そういうのを言わない人だ。それと同じで努力している姿もあまり人に見せない。きっとたくさん人に教えていない思いや姿があるのだろう。その一部を、見てもいい存在になれたのかな。そう思うと切ない気持ちと嬉しい気持ちが折り重なって心臓の奥のほうをきゅっと締め付けた。
 くるっと白布がこちらを振り返った。少し驚きつつ「どうしたの」と声をかける。白布はじっとわたしを見つめて、なんだか変な顔をしていた。しばらくそのまま黙っていたかと思えば一つ息をついて、開いていたノートを閉じる。ノートパソコンの電源を落として、テーブルの上を片付けはじめる。もう課題は終わったのだろうか。不思議に思っていると、白布が「今日はもう寝ます」と呟いた。

「わたしはそのほうがいいとは思うけど……いいの?」
「まあ、なんとかします」

 歯切れの悪い返事だ。あまり大丈夫ではないのだろう。なんだか大変なときにお邪魔してしまってごめんね。そう謝ると、白布がゆるく睨んできた。謝るのは悪手だったらしい。それにも謝っておく。白布はちょっと拗ねた顔のままわたしの隣に潜り込む。布団をかけ直しながら咳払いをした。それから、ちょっと控えめにわたしの頬に触れる。指の先が肌を滑るたび、じわじわと心臓が速まる。でも、心地良い体温だ。嫌だとはこれっぽっちも思わない。見つめ返してちょっと照れくさくなって笑ってしまう。白布も同じように笑ってから、そっと唇が重なった。
 高校生のときも、同室の人に気付かれないようにこっそり課題をしたり予習をしたりしていたのだろうか。こんなふうに中断することもなく、寝ている人を起こさないように暗い部屋で小さな明かりを頼りにして。誰も知らないそんな白布がきっとたくさんいたのだろう。わたしだけが、それを知っている。わたしだけがそんな白布の手を掴める。そんな特別が光る、優しい夜だった。

ひみつの銀河を解く

top