金曜日の夜。地上波初放送と大々的にコマーシャルされていた映画をリアルタイムで観ている。公開される前から豪華なキャストと興味を惹くストーリーが話題になり、そのまま大ヒットしたサスペンス映画だ。観たいという気持ちはあったもののなかなか映画館へは足が遠のいていた。どうせいつかテレビで放送するから、と結局映画館では観ないままだった。
 序盤の掴みはとてもよかった。登場人物が個性的で話の流れもなめらかで分かりやすい。序盤だというのにクライマックスに持ってこられてもおかしくない秘密の一つが明かされ、派手な爆発やアクションも繰り広げられた。この先どんな展開になるのか楽しみで仕方がない。
 同じ映画を観ている恋人の木葉秋紀。わたしが「先ほどの台詞にはどんな意味があるのか」と考えている横で、序盤に恋人をとある事件で失った女性のシーンで秋紀はすでに号泣している。なかなか引かない涙を何度も袖で拭いている。それをちらりと横目で見てちょっと苦笑いをこぼしてしまう。
 秋紀ってこんなに涙もろい人だっけ。基本的に人の感情に敏感なほうではある。でも、泣くことはそんなに多くはない。これまで何度も一緒に映画を観たけれど、こんなに泣くようになったのは一緒に住みはじめてからだったように思う。

「秋紀、内容頭に入ってる?」
「ちょっと入ってないかも……」
「泣きすぎだってば〜。まだ序盤だよ?」

 テーブルの端に置いてあるティッシュを秋紀に寄せる。秋紀は二枚ほどティッシュを取って鼻をかむ。ごみ箱も近くに寄せると秋紀は「サンキュ」と鼻声で言ってティッシュを捨てた。

「そんなに? 確かに悲しいシーンではあったけど」
「だって……」
「だって?」
「自分に置き換えたらさ……」
「ああ、わたしが先に死んじゃったらってね」
「違う。俺が先に死んだら、のほう」

 ちょっと意外な回答だった。こういうときは大抵自分が置いていかれるほうを想像して泣くんじゃないだろうか。わたしもそれは一瞬頭をよぎった。秋紀が先に。そう思うときゅうっと胸が痛くなったし、泣き崩れる女性の心情を恐ろしくリアルに感じてしまって目を逸らしてしまったほどだ。秋紀のように泣くことはなかったけれど、ふとした瞬間に思い出すシーンの一つになってしまった気はする。

「俺が先に死んだらはあんなふうに泣くのかなとか、割と平気でいたら寂しいとか、そんなことにならないようにしなきゃなって思ったら涙が……」

 また溢れる涙をティッシュで拭う。秋紀は一つ息を吐いてから「落ち着いてきた」とはにかんだ。馬鹿だな、なんてこっそり思う。
 映画は中盤を迎え、仲間が増えると同時に敵も増えて悲しい別れもあった。テンポが早く展開が二転三転すると聞いていた通りのストーリーだ。これは映画館で観たかったな。こっそり後悔した。
 わたしも秋紀も、まだ死というものからは遠い気持ちで生きている。若いし、大きな病気をしたことはないし、ちゃんとした食事をしているし、なんて思っているからだ。この映画に出てくる女性のように突然大切な人がいなくなる、なんてことは日常起こりうることだというのに。

「……なんかわたしも泣けてきた」
「え?! なんかごめんな?!」

 けらけら笑いながら秋紀が両腕を広げる。そのままわたしを捕まえるように抱きしめると「ごめんな〜」と茶化すように言った。
 わたし、死ぬなら絶対に秋紀より先がいい。ぽつりとこぼしたそんな不謹慎な言葉に、秋紀は怒らずに「なんで?」と背中を撫でながら聞いてくれた。秋紀がいない人生なんて耐えられない。寂しくて後を追ってしまうから。子どもっぽい理由だ。秋紀はそれをけらけら笑って「そっかあ」と、ほんの少しだけ嬉しそうに言った。

「俺は後がいいかな」
「なんで? 寂しくないの?」
「寂しいに決まってるだろ。でも、俺が先に死んでが泣くほうが嫌」

 秋紀が腕の力を緩めてわたしの顔を覗き込む。「だから俺が寂しくないように長生きして」と笑う。わたしの涙を親指で拭ってからまたきゅっと抱きしめてくれた。
 いつも秋紀の言葉には力がある。嘘を言わない人だからだ。本当のことしか言わないし、相手のことを考えていることしかそこにはない。決して人を導いたり率いたりするものではないけれど、気持ちを高めたり不安を拭ったりしてくれる。そういう静かな力がある人なのだ。昔から、ずっと。

「最近ふとした瞬間にそういうことを考えて泣けてくるんだよなあ」
「何それ〜わたしのこと大好きかよ〜」
「そりゃ大好きだろ」

 もう映画の内容が分からなくなってしまった。今度ちゃんと観ようね。そう言ったわたしに秋紀が「今度な」と優しい声で言う。そっとわたしのおでこでキスをしてからまたぎゅっと抱きしめてくれた。

「健康第一で」
「健康第一な。も運動しろよ」
「それ言われると耳が痛い」

 運動する習慣をつけようといつも目標を立てるのに、一週間と持たずに諦めてしまう。社会人バレーを続けている秋紀には無縁の悩みだ。ジムに通おうか迷っている、と言ったら秋紀はすぐに「ジムはやめて。家でして」と珍しく真剣な声で言ってきた。賛成してくれるかと思ったのに。不思議に思って「なんで?」と顔を上げたら秋紀は拗ねたような顔をしていた。

「暑くなると薄着になるだろ」
「まあ。そもそも運動するんだから最初から薄着だね」
「そういうの、割と男って見てるんだよ。バレないようにこっそり」
「……秋紀も見るの? 他の女の子が薄着だったら」
「見ない。見ないです。いや正直一瞬は見るけどじっとは見ないです」
「一瞬は見るんだ……」
「断じて、断じて浮気とかそういうんじゃなくて。本能としてです。本能。本当です」

 じとっと秋紀を見つめる。秋紀はたじたじといった様子で「とにかく、そういうふうにを見るやつがいるかもしれないからジムはご遠慮ください」と言った。そう言われると行ってみたくなる。冗談交じりにそう言ったら「本当にやめて。また泣くから」と抱きしめられた

「浮気したら化けて出るからね」
「……それ逆のほうがいいかも」
「逆って?」
「浮気しなかったら化けて出てきて。幽霊でも会いたい」

 輪郭を確認するように両手でわたしの頬を包み込む。秋紀の大きな手にすっぽり収まってしまうわたしの頬。じっと顔を見つめたまま秋紀は、笑って「三角の白い布頭につけてさ」と言った。古典的な幽霊すぎる。さすがに現代の幽霊はつけてないでしょ。そう言って秋紀の手に自分の手を重ねながら笑う。

「怖くない? お風呂入ってるときに頭上にわ〜って出てきたりするんだよ?」
「いやそれはビビるわ。お風呂中の頭上と背後と鏡越しはやめて。あとトイレ」
「えー。出るタイミングないじゃん。車の後部座席とか?」
「めちゃくちゃ怖いだろ」
「布団の中とか?」
「それもビビるな……」
「もう〜ビビり〜」

 とんでもなく不謹慎な会話だ。それでもわたしが化けて出ていいタイミングを二人で考えるのが楽しくて。きっとお互い、いつか眠りにつくその瞬間に今日のことを思い出すだろうね。そんなふうに笑い合った。

君とただ朝を迎えてみたいだけ

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