友達の言葉に耳を疑ってしまう。慌てて「え、今なんて?」と聞き返したわたしを友達が笑って「もーちゃんと聞いてよー」と脳天気に頭を叩いてくる。いや、ちゃんと聞いてはいた。言葉は全部耳に入ってきたけれど、頭がそれをうまく咀嚼できなかったので聞き返しています。そういう意味を込めてもう一度「え、うん、なんて?」と友達に投げかけた。

「夜久、隣のクラスの子と付き合いはじめたんだって」

 びっくりだよね、と言った友達にうまく言葉を返せないままでいる。うん。びっくり。というか、驚愕です。そんなふうに喉の奥で呟くと、うまく息ができなかった。
 同じクラスの夜久とわたしは、まあ、仲が良い友達関係という感じだろうか。一年生のときに同じクラスになり、出席番号順で席が隣になった。わたしも夜久も人見知りをあまりしない性格だったため、当たり前に話すようになり、気が合ったのでそのまま仲良くなった。それだけの、どこにでもある友達の関係だ。
 飾らない性格の夜久は何を話しても大抵ちゃんと聞いてくれるし、率直な意見をくれる。うじうじ悩んでいるわたしに「筋トレしとけ」とアドバイスになっていないアドバイスをくれるので、悩んでいること自体が馬鹿馬鹿しくなって元気になれる。夜久のどうでもいい話を聞くのも嫌いじゃないし、ふざけ合ってげらげらお腹を抱える時間も嫌いじゃなかった。
 好きな子いたんかい。そんなふうに脳内で夜久にツッコミを入れる。そんな話、一回も聞いたことがない、ですけど。まあ、別に報告の義務なんかないですけれども。そんなふうに思っているわたしに友達が「、夜久と仲良いのに知らなかったのびっくりだわ」と笑われた。うん。わたしもびっくりです。本当に。

「え、ちなみに誰?」
「ちっちゃい子いるじゃん。かわいい子。たしか〜……美術部の!」

 小さくてかわいい美術部の子。そう言われてすぐにピンときた。たまに男子がこそこそかわいいと言っている子だ。わたしは関わりがないので話したことはないし、それ以上の情報は知らない。でも、かわいいと言われて何らおかしくないかわいい子だということは知っている。
 へえ、夜久ってああいうタイプの子が好きだったんだ。まあ、夜久は身長を気にしているし自分より小さい子を好きになるのは想定内。かっこいい系よりかわいい系が好きなのもなんとなく納得。でも、うーん、ああいう大人しいタイプの子が好きだったとは。明るくてノリがいいタイプのほうが好きそうだと思っていたのに。
 友達が「夜久に言ったら殺されるけど、ちっちゃい者同士でなんかかわいいよね〜」と死にに行くようなことを言った。まあ、並んでいるとコンパクトでかわいいかも。そうぼんやり返したら友達が「お似合いってやつだね〜」としみじみ言う。まあ、ちっちゃいとは言っても夜久はわたしたちより数センチは大きいのだけれど。
 ふうん。そっか。かわいくて大人しいタイプが好きだったのか。へえ。知らなかったなあ。そうぶつくさと喉の奥で呟いて、ずきっとどこかが痛く感じた。いやいや、なんで痛いのよ。夜久に彼女ができただけじゃん。彼女とどうなんですか〜ってからかってやればいいじゃん。あ、いや、ちょっと、それはできないかも。え、なんで?
 友達が「じゃ、あたし部活行くわ」と言って歩いていく。いやいや、ちょっと、置いてきぼりにしないでください。なんか心がほっぽり出されてて困るんですけど。え、なんで? 大混乱なんですけど。いや、だからなんで?
 彫刻刀みたいなものでえぐった痕って、なんか、厚塗りした絵の具みたいに見えない? 見えないか。べたべたと無駄に絵の具を厚く塗って固めたようにわたしは見えるんですけど、オーディエンスどうでしょうね。まあほぼ見えないよね。薄く一人で笑う。美術部の彼女。へえ、さぞアーティスティックなのでしょうね。夜久ってそういう感じだっけ?
 ぐりぐりとえぐるように彫刻刀で何かを彫るのは割と好きだった。わたしは美術部でもなんでもないから中学校の授業以来やっていないけれど、あの掘る感覚が好きだったことはよく覚えている。刻むようにえぐるように、掘っていく感触がとても心地良くて。でも、今はちょうど、あのときの感覚みたいにどこかをえぐられたような感じがあった。
 かわいい子。かわいい子、ね。はいはい。男子は大体好きよね、ああいう感じのかわいい子。わたしも嫌いじゃないよ。遠目に見ている分には。たぶん向こうに鬱陶しがられるから話しかけたことはないし、性格も合わないだろうから人生で関わることはないけれど。あ、なんかわたし、めっちゃ嫌なやつじゃない? 嘘嘘、今のナシ。
 何か考えるたびにどこかがえぐられる。勝手に一人で傷ついていく。いや、なんで? なんで夜久に彼女ができたら傷つくわけ? 別に良くない? 意味不明なんですけど。誰ともなく憤りつつ、鞄を肩にかける。別にどうでもいいし。だから何だってだけの話じゃん。馬鹿馬鹿しい。お幸せにどーそ。ハッピーハッピー。
 昇降口で一つため息。なんでわたしがこんな気持ちになってるの。意味不明すぎる。なんかムカついてきたな。今日はコンビニで買い食いしてやろう。そう思いつつ自分の靴を取り出していると、後ろから「あ、」と、今一番聞きたくない声が聞こえた。

「何してんだよ。お前帰宅部だろ? 居残り?」
「……夜久衛輔には関係ないことです〜」
「なんで不機嫌なんだよ」

 けらけら笑いつつ「あの仲良い子と帰れないからだろ」と言った。それも数パーセントありますけど違います〜。馬鹿かよ。そう返したら「俺に当たるな」と軽く足を蹴られた。女の子を蹴るのはどうかと思います。やめてください。そう言い返しつつ蹴り返してやる。

「というか何してんの。部活は?」
「今日は休み。つっても今から自主練行くとこだけど」
「へ〜それはそれは。精が出ますねえ」
「なんでちょっと嫌味な言い方なんだよ」

 夜久が靴を出しつつ「なんかあったのか?」と何気なく聞いてきた。この野郎。誰のせいだと。そう怒りが爆発しそうになってから、いやいや、と自分で自分をなだめる。別に夜久は関係ないし。別に夜久に彼女ができようがかわいい子が好きだろうがわたしには関係がない。イライラする原因になり得るわけがないのだ。
 へらりと笑ってやる。「聞きましたよ、夜久衛輔くん」と言うわたしに夜久が「は? 何を?」と首を傾げた。わたしがそのことを知っているとはまだ知らないはず。ぶち切れるまでからかってやる。そうにやにや笑ってやった。

「美術部の子」
「……あ〜……つーかなんでが知ってんだよ」
「情報通のお友達のタレコミ」
「あーはいはいそうですかー。ほっとけよ、関係ないし」

 カチン。関係ないですよ知ってます。でもなんだその言い方は。友達なのに。仲が良い友達にはそういうこと、自分から言ってくるもんなんじゃないですか〜。そんなふうにイライラしながら「で、どう? 毎日楽しくて仕方ないってカンジ?」と半笑いで聞いてやる。そんなわたしの顔を見て夜久が「は?」と眉間にしわを寄せた。恥ずかしがってる。夜久もやっぱこういうの照れるんだねえ。
 ぐりっ、とまたどこかをえぐられた。なんか、心臓のあたり? いやいや。なんでよ。なんか痛いのは認めるけど、別に夜久が原因じゃないです。そこは譲りません。別に、これは、夜久には、関係ないこと、です。

「よかったじゃん〜。かわいい子とお付き合いできて。毎日楽しくて仕方ないときでしょ、今。順風満帆で羨ましいわ〜。かわいくて小さくて大人しくて? 夜久がそういうの好きってなんか意外だったけど、ちっちゃい者同士でお似合いだし羨ましい〜。お幸せにね〜」

 一息でそう言って、なぜだか大ダメージを喰らいつつ靴を履いた。なんでやねん。何のダメージやねん。意味が分からなすぎて関西弁が出た。イントネーションは分からないけど。
 あ、やばい。目にゴミ入ったかも。なんか涙が出る。タイミング悪すぎでしょ。こぼれないようにどうにか堪えていると、夜久が後ろで「はあ?」と大きめの声で言ってから「お前何言ってんだ?」と呆れたようにため息をついた。

「付き合ってねーよ」
「……へ?」
「まあ、その、告白されたのはされたけど。断ったし。つーかお前、今俺のことちっちゃいって言っただろ」

 勢いよく肩を叩かれた。痛いんですけど。女の子なんで手加減しろや。そう叩き返したら「先に仕掛けてきたのそっちだろ」と文句をつけられた。いや、それよりも。

「付き合ってるんでしょ?」
「だから付き合ってないって言ってんだろ。あんま言いふらすなよ。相手の子に悪いだろ」
「…………え、本当に?」
「付き合ってない。本当に」

 大きなため息。夜久がうんざりしたように「なんか話が噛み合わないやつがいると思ったらそういうことかよ」と呟く。どうやら数人同じように勘違いしている人がいたようだ。「誰だよ間違った噂流すやつ」と腰に両手を当てて項垂れている。
 なぜかえぐられたわたしの傷と、わたしの気持ちだけがまたほっぽり出された。え、付き合ってない? 本当に? そう頭の中で繰り返すと、なぜだか、えぐられた箇所がきれいさっぱり消えていく感覚。いやいや。それもおかしいでしょ。消えるな消えるな。残り続けろ。永遠に残ってろや。なんで消える。えぐりっぱなしでいいんだよ。理由は分からないけど。

「つーか、え、俺に彼女できたら何、お前泣くの?」
「は?! 泣いてないし!」
「いやいやいやいや、泣いてた。絶対泣いてた。鼻すすってたし」
「鼻炎だわ!」
「聞いたことねーわ、が鼻炎って」

 肘でつんつんとわたしの腕をつついてくる。「かわいいとこあんじゃん?」とにやにやされて、カッと顔が赤くなった。違うわ。泣いてない。わたしは絶対、泣いてない。目にゴミが入っただけです! そう夜久の額をぺしんと叩いたら「じゃあ泣いてるだろ、それ」と大笑いされた。

「と、というか! かわいい子なのにもったいないじゃん! 振るとか馬鹿じゃん!」
「まあ、かわいい子だったけど。だから付き合うとはならないだろ」
「なんで? かわいいと思ったなら付き合えばいいのに」
「もっとかわいいやつが近くにいるから」

 ぺし、と緩い力で額を叩かれた。「すぐ泣くかわいいやつ」と夜久が笑ってから「まあ、比べるのは良くないけどな」と言いながら靴を履いた。「じゃ、俺体育館行くわ。またな。あ、さっきのやつ言いふらすなよ!」と言い残して夜久はぴゅーっと走り去っていった。すばしこいやつ。でも、顔がちょっと赤かったのは、しっかり見えてしまっていた。

傷がひまわりに見えた


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