いつまでもいつまでも、彼の中でわたしは付属品≠ネのだな、と思うことがある。
 お互いの父親が中学からの幼馴染で、家族ぐるみの付き合いがあった。偶然にもほぼ同時期に子どもを授かり、数か月の差で産まれた。どこへ行くにも一緒で、性格や好きなものがとても似ている。引っ込み思案なところもよく似ていたから仲良くなるのもごく自然なことだった。だから、わたしと、幼馴染の孤爪研磨はいつも二人でいた。
 黒尾鉄朗はそこへ入り込んできた異分子≠セった。わたしは研磨以外の男の子が苦手で極力話さないようにしていた。でも、研磨の家の隣に引っ越してきた黒尾鉄朗は何かと研磨を遊びに誘うようになり、必然的にわたしと顔を合わせる機会も増える。はじめはそれが、とても嫌だったことをよく覚えている。
 研磨もはじめは少し気まずそうにしていた。でも、クロが人見知りするタイプですごく不安そうにしていたせいか、珍しく自分から声をかけたり遊びに付き合ったりしていた。わたしはそれも気に入らなかった。研磨と仲が良いのはわたしだけなのに、と。クロは割り込んできた邪魔者。そうとまで思っていた時期がある。

「あれ、。研磨どうした?」

 きょろきょろと辺りを見渡してわたしにそう聞く。うんざりする。はいはい研磨ね。研磨なら今日はゲームの発売日だからって先に帰っちゃいましたよ。そう答えるとクロは「あーなるほど。了解」と笑った。
 夕方はかなり冷え込むようになってきた。少しだけぶるっと震える体。手と手をすり合わせてから、寒さで痛みを覚えた頬に当てる。冬の訪れを感じさせる風は頭がすっきりする感覚はあるけれど、やっぱり痛く思えてしまって好きじゃない。
 クロと並んで歩きはじめる。家の方向が同じだから仕方がない。どれだけわたしがイラついていようがモヤモヤしていようが関係ない。わたしがクロについてこないで、と言わない限りは一緒に帰ることになる。
 いつもそうなのだ。クロはわたしと二人になると、研磨の話ばかりする。共通の話題がそれしかない、とでも言いたげに。

「今日そわそわしてたのはそのせいか〜。ちなみに何のやつ?」
「世界救うドラゴン系のやつ」
「あーあれか。研磨あれ気に入ってたもんな」

 ずっとこの調子。小学生のときも、中学生のときも。ずっとだ。うんざりする。だから、クロと二人になるのはあんまり好きじゃない。
 子どものころからクロはかなり変わった。人見知りをしている姿はあまり見なくなったし、むしろ自分から人に話しかけに行くようになった。変わっていないところも所々はあるけれど。端的に言えば、大人っぽくなった。年齢を重ねているのだし当たり前のことだけれど、研磨やわたしと比べると大人になるのが速かった、というか。
 それが、わたしはとても羨ましかった。いいな、わたしもそうなりたいな。そんなふうにクロを見ていた。その視線は気付けば違うものになっていく。どんどん、どんどん、クロのことばかり見るようになった。どんどん、どんどん、クロのことが、特別に見えるようになった。きっと人は、これを初恋と呼ぶのだろう。

「寒いのか?」
「いや、別に」
「黒尾さんがカーディガンを貸して差し上げよう」
「別にいいってば」
「寒いの苦手だろ。も研磨も昔からすぐ寒いって言うもんな」

 ほら、また。すぐに研磨。それに気が付いたのは割と早かったと思う。クロはわたしのことを見ていない。わたしを見るときは研磨を通して見ているのだ。そう気付いてからわたしは、クロと二人になることを避けるようになった。
 もちろんクロのそれは愛とか恋とかそういうものではない。クロにとって研磨という存在が特別なだけだと思う。幼馴染として、部活の仲間として。たぶんクロが今は部活で頭がいっぱいというのも多少関わってきていると思う。だから、バレーボールに一切関わりがないわたしは、クロの意識に入り込めないのだ。
 クロが貸してくれたカーディガンを着る。むかつくくらい暖かいそれにまたムッとする。研磨を通して見られていると気付いてから、クロを意識しないように気を付けるようになった。クロのことなんか好きじゃない。ただの幼馴染。わたしはただの付属品≠ナ、クロにとってわたしの本体は研磨でしかないんだ。そう、毎回自分に言い聞かせている。呪いみたいに。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「いや……なにそれ……そんなわけないじゃん……」

 お気に入りのゲームの続編、を中断してまで研磨がそう振り向いて言った。クロが研磨のことしか見ていなくてむかつく。長年ずっと抱えていた不満をぽつりと呟いたわたしへの抗議だ。
 研磨はゲームを再開しつつ「どう考えたらそうなるわけ……」と呆れたように言う。研磨のベッドに寝そべりつつ「だって」と呟いてから、言葉が出せなくなった。そんなわたしに研磨はため息をこぼしてから「あのさ」と独り言のように呟く。

もよく知ってると思うけど、おれって面倒くさいでしょ」
「まあ……わたしはそう思わないけど、一般的にはそうかもね」
「でも、クロはもっと面倒くさいやつだとおれは思うよ」
「……そうなの?」
「そうなの」

 回復アイテムを使った音。それからすぐ敵に向かって進んでいく勇者。研磨は瞳を爛々と光らせてゲームに集中しはじめてしまった。
 クロが面倒くさい? どこが? ちょっとむかつくところはあるけれど、基本的にはお節介なくらい面倒見が良くて、大体いつも落ち着いていて頼りになる。面倒くさいと言われるタイプではない、と思うけど。
 不思議に思っていたとき、研磨の部屋のドアが開いた。顔を上げるとクロと目が合った。わたしを見てからすぐ研磨に視線を移すと「お邪魔します、研磨くん」と笑う。はいはい。わたしのことはスルーで構いません。ごろんと寝返りを打って壁だけを見つめる。お二人でお好きにどうぞ。わたしは壁になりますので。そんな気持ち。一応わたしにも「やっぱり研磨の家にいたか」と声はかけてきた。いちゃ悪いですか。すみませんね。そう思いつつ「まあ」とだけ返しておいた。
 二人がバレーボールの話をはじめると、必然的にわたしは会話に混ざれなくなる。子どものころから、それが嫌で仕方がなかった。今となってはこうやって三人で一つの部屋にいれば当たり前に起こる現象だ。今更文句を言うことじゃない。

「というか、さん。前々から言ってるけど、女の子なんだからベッドに寝そべるのはやめなさいね〜?」
「……なに、急に。研磨がいいって言うからいいじゃん」
「だめなもんはだめなの」

 はい、起きなさい。そう言いながらクロがわたしの腕を引っ張った。力では叶わない。ぐいぐいと引っ張られるがままに体を起こし、テディベアのようにぐでんとその場に座った。ぼさぼさになったわたしの髪をクロが丁寧に直すと「眠いならおうちで寝なさいね」と言って軽く頭を撫でた。
 出ていけってことね。はいはい。了解です。思わずそう声に出してしまうと、クロがびっくりしたように「え、そんなこと言ってないだろ」と首を傾げた。

ちゃんは反抗期なのかな〜?」
「うるさい。うざい。きもい」
「普通に傷つく」

 仕方なくベッドから降りて研磨の隣に腰を下ろす。なんなの、急に。研磨のベッドに寝そべるなんて、いつものことじゃん。昔からずっとやっているのに。
 大きなあくびをこぼした研磨がゲームを中断した。「眠い」と呟いて、さっきまでわたしが寝転んでいたベッドにのそのそと上がる。珍しい。ゲームをしているときは眠気なんか忘れちゃうタイプなのに。もぞもぞと布団に潜り込んでしまった研磨の近くで話すのもなんだし、今日はお暇しようか。
 クロもわたしと同じように思ったらしい。わたしが帰り支度をはじめると同時にクロも立ち上がった。「帰るなら送るわ」と言われて眉間にしわが寄る。送るって。すぐそこなんですけど。「はいはい」と返せばクロが肩をすくめて笑ったのが見えた。
 二人で研磨の部屋を出て、リビングにいたおばちゃんに声をかけてから靴を履く。クロはその間もずっとご機嫌に部活の話をしていた。最近チームの雰囲気がとてもいいらしいとは聞いている。嬉しくて仕方がないのかもしれない。まあ、機嫌が良いクロの話を聞くのは、嫌いじゃない。むかつくけど。

「あ〜、その、なんだ。俺何かしたか?」
「は?」
「いや〜、なんかこう、ちょっと怒ってらっしゃるかな〜? と思いまして」

 なんだ、急に。今更過ぎるんですが。内心ではそう思いつつ「別に?」と半笑いで返しておく。クロは「いやいや、クレームはいつでもお受けしていますので」と手をすり合わせながらセリフっぽく言う。
 わたしの顔を覗き込んでしつこく聞いてくるから鬱陶しくなってきた。適当にあしらいつつ家に向かって歩きはじめる。クロは変わらずわたしの隣にぴったりついてくる。距離が近い。やめてほしい。言わないけれど。

「なあ、本当に何? 俺何したっけ?」
「何もしてない。うざい」
「研磨が気を遣うほどの何かがあるんだろ? 誠心誠意謝罪しますので、何卒」
「……研磨が気を遣うって何?」
「あいつ、俺とが喧嘩するとフェードアウトしようとするだろ。さっき急に寝たのはそれだと思うぞ」

 全然気が付かなかった。びっくりしているわたしの顔を見下ろして「だから、なんで」と妙に優しく笑う。子どものときは絶対にしなかった顔。それに、どきっとする自分が本当に嫌だ。
 ふいっと顔を背ける。ぽつりと「わたしのことなんか放って、研磨といればいいじゃん」と言うと、クロが「は?」と間抜けな声を出した。わたしよりも研磨と話したいことがあるんじゃないの。バレーのこととか部活のこととか。わたしとは話が合わないからつまんないでしょ。わたしとは研磨の話しかしないじゃん。一度開いた口は止まってくれない。言いたくないことまで全部出ていってしまった。
 研磨の付属品として十二分に役割を果たしたでしょう。だから、もうわたしのことは放っておいて。最後にそう吐き捨ててしまう。怖くてクロの顔を見ることができない。ぎゅっと拳を握りしめると「いやいや?! おかしくない?!」とクロが大慌てで言った。

「研磨の話をするとが喜ぶから、わざわざ研磨の話をしてるんですけども?!」
「……何の話?」
「いやいや! え?! 何? 俺いらない苦労してた感じ?」
「一人で会話を進めないで」
「だって子どものころそうだっただろ?! 俺が話しかけると嫌そうな顔してたし!」

 必死、という形相で説明してくる。子どものころにクロに話しかけられると、わたしはいつも眉間にしわを寄せていたそうだ。クロはそんなわたしを観察して、研磨の話を振ると眉間のしわが少しだけ消えることを見つける。それ以来、わたしと話すときは研磨の話をどこかに織り交ぜることが癖になったという。

「鉄朗くんなりの愛情だったんですけども?!」
「クロうざい……」
「傷つく!」

 なんでそんなにハイテンションなの。うるさい。ため息をこぼしながらそう言うと「ひどいんですけど」とクロが小さく笑った。勘弁してくれよ、みたいな感じで。
 クロは少し考えるように視線を左右に振る。あごに手を当ててから、ちらりとわたしの顔を見た。「参ったなあ」とわざとらしく呟くと、一つ伸びをした。伸ばした右手をそのままわたしの頭の上に下ろして、ぐしゃぐしゃと頭を撫でてくる。何。うざい。手を払ってから「なんなの」と少し睨んでおいた。クロは笑ったまま「いーえ、別に何も」とおかしそうに笑うだけだった。

「黒尾鉄朗の愛情は分かりにくいってことで」
「愛情って何。さっきから気持ち悪いんだけど」
「もうちょっと俺に優しくすることを覚えようか」

 クロは一つ息を吐いてから「難しいもんだな」と楽しそうに呟く。難しくて困ってるのになんで楽しそうにしてるの。むかつくんだけど。ちょっとバツが悪くて視線を逸らすと、クロの鼻歌が聞こえてきた。
 愛情って。そういうの軽々しく、口にするな、馬鹿。結局何もわたしの気持ちなんか分かっていないくせに。でも、少しだけいつもと違うクロの雰囲気になぜだか絆されるように、むかつく気持ちがほどけていく。なんだ。わたしの勘違いだったのか。理由は意味不明だけれど。
 愛情、か。むず痒い気持ちを見て見ぬ振りをしておく。その言葉に込められた愛は、どんな意味のものなのだろうか。わたしが喜べるものなのか。わたしが寂しくなるものなのか。考えれば考えるほど、答えは出てこなくて。でも、今はそれでいいかと少し笑ってしまった。

あいをてつがくしよう


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