これは俺が抱えている摩訶不思議な事件である。学校の七不思議的なあれではなく、俺にだけ起こっている、とてもとても奇妙な現象。それを紐解くために毎日尽力しているのだが、いまだに解決する兆しはない。

「川西! ぼーっとしてないで外周行きなさい!」

 はっとして後ろを振り返ると、さんが怒り顔で俺を見ていた。辺りを見渡すと外周に向かう部員たちの背中。ああ、休憩時間終わったのか。そうぼんやり思って「サーセン」と軽く返しておく。さんはぷんすか怒りつつ「しっかりしなってば。もう少しで予選なのに」と言って俺に背中を向けた。
 え、やば。かわい。あ、まただ。これが、俺に起こっている奇妙な事件。何をしてもさんがかわいく見える不思議。怒られているのにかわいいと思うなんて変じゃない? なんでかわいく見えるんだろうか。あんなに怒られているのに。摩訶不思議。
 さんは、正直に言うと容姿端麗というわけではない。どこにでもいるごく普通の女子高生、という感じ。大人びているわけでも幼いわけでもなく、本当にごくごく普通の人だ。言動が特別変わっているわけでもなく、何か抜きん出たものがあるわけでもない。それなのに、俺には特別かわいい人に見えている。
 もしかしてこれは俺以外にも起きている現象なのか? そう思って先を走っている白布に追いついてから「なあ、さんってかわいい?」と聞いてみた。すると、白布はこの世の終わりかと思うほど気まずそうな顔をして「それなんて答えたら正解のやつ?」と聞き返してきた。え、思った通りに答えたら正解のやつですけど。そう返したら白布はちょっと考えてから、本人に言わないことを固く誓わせてから「普通。でもちょっと怖い」と答えた。うん。怖いのは同意。でも、そうか、かわいいわけじゃないのか。不思議だなあ。そう一人で考えていると「なんか気色悪い」と背中を叩かれた。
 あの謎にかわいく見える秘密が知りたい。さんはほとんど自分のことを話さないから余計に。三年の先輩たちとはそれなりに雑談もしているけれど、後輩としている姿はあまり見ない。もちろん仲が悪いわけじゃないし後輩とコミュニケーションも取っているけど、深く踏み込んでこないというか。なんだか、不思議な人なのだ。さんという人は。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 さんのかわいさの秘密を知りたくて、部活中できるだけさんを観察してみた。もちろん練習を疎かにしない程度に。
 分かったこと、その一。さんはよく周りを見ている。サボっているやつには容赦がなくて、頑張っているやつには積極的に励ましたり褒めたりしている。ちなみに俺はちょっと楽をしようとしたところを注意されたことしかない。なんかムカつく。
 分かったこと、その二。仕事が速い。いつの間に準備したのか分からないタオルやドリンク。俺たちが練習している間にも着実に済ませていく片付けや準備。頭がいい人だと同じクラスの大平さんが言っていたけど、要領もいい人なのだろうと自然に分かった。
 分かったこと、その三。たぶん俺に目を付けている。さんを観察しはじめてわずか五分後、さんを観察していることが速攻でバレた。「川西! 集中!」と言われて慌てて目を逸らしたのに、数分後にまた見たときもすぐバレた。怖。でも、うん、やっぱかわいいな。
 これまで気付かなかったそんなことを並べてみても、さんの謎のかわいさに関することには直結しない。不思議な話だ。妖怪の仕業か? どれだけ考えても理由が分からない。これは何かしら異質な力が働いているとしか思えない。そんなことを大真面目に考えていると、後ろからばしんっと頭を柔く叩かれた。

「川西、ぼさっとしてないで早くストレッチしなってば」

 ああ、そうだった。練習終わりのストレッチ。その途中で考え込んでしまっていた。慌てて手首を回しつつさんを振り返る。ちょっと怒った顔をしたさんと目が合う。すぐに「何?」と眉間にしわを寄せられてしまった。

さんって怒りっぽいな〜と思っただけです」
「……喧嘩売ってる?」
「いえいえ、とんでもないです」

 怒りっぽい人は好みじゃないはず。余計に不思議だ。なんでさんのことがこんなにかわいく思えるのだろうか。
 さんが腕組みをした。「なんなの、今日。やたらと見てくるし」と怒った声で言う。んー、なんでかわいく見えるのか観察していたので、とは言いにくい。余計に怒らせる気がするし隠しておこう。そう思って「特に理由はないですけど」と返しておく。

「嘘ばっかり。なんなの? 気に食わないところがあるなら思い切って言えば?」
「いやいや本当に。そういうわけじゃないです」
「あっそ。言う気がないならいいです」

 う〜ん、面倒くさい女子。そう思う自分がいるのは事実だ。それなのに、面倒くさいと思う以上に、かわいいなと思う自分がいる。本当に不思議な話だ。かわいい要素あったか?
 俺に背中を向けてさんはすたすたと歩いていってしまう。う〜ん、怒っていてもやっぱりかわいく見える。不思議。まあ、俺にはかわいく見えていたとしても、怒らせたままというのはまずいだろう。そろそろとさんを追いかけていくと、さんがこっちを振り返って「何か」とそれはそれは恐ろしい顔で言った。

「いや〜、怒らせてしまったので謝罪を」
「謝る気ないでしょ。というか謝られても困る。ストレッチに戻りなさい」
「元はと言えばさんが原因なんですけどね……」
「やっぱり喧嘩売ってるでしょ?」

 さんが立ち止まって、両手を腰に当てつつ怖い顔でこちらを覗き込んでくる。俺と身長差がかなりあるさんが自然と上目遣いでこっちを見ている感じだ。うわ、かわいい。いや、だからなんで?

「なんなの? ずっとこそこそ様子窺ってきて。気になって集中できないから言いたいことがあるならはっきり言いなよ」

 俺、たぶん尾行とか向いてないタイプなんだな。探偵にはなれない。自分の可能性を一つ潰しつつ、じっとさんを見つめる。
 そんな場面に気が付いた瀬見さんが慌てた様子で近寄ってきた。「おいおいなんだ、揉め事か?」と言ってさんと俺の間に割り込んできた。普通に邪魔です。そんなふうに思いつつ「喧嘩ではないです」と俺が言うと、さんが「川西がずっとこそこそ見てくるのがムカついただけ」と怒った声で言った。
 呆れた様子で白布が近付いてきた。「太一、お前早くストレッチしろ」と脚を蹴ってくる。普通に痛い。その横で瀬見さんが「とりあえずもそんなに怒るなって」とさんをなだめてくれている。助かる、けど、なんか良い気はしなかった。
 まあ、周りに迷惑をかけるのは良くない。仕方なくその場に座ってストレッチを開始。さんだけ納得していないらしく、俺のことをじっと見下ろしている。前屈をしつつ「大したことじゃないですけども」と前置きをしておいた。

「ずっとさんがやたらかわいく見えるんで、なんでかな〜って考えてただけです」

 俺の隣に立っている白布がびくっと震えたのが分かった。「え、何?」と顔を上げると、白布がとんでもないものを見るような目で俺を見下ろしている。瀬見さんも黙っているしさんも黙っている。なんでしょうか。変なことを言ったつもりはないんですけど。そう、今度は瀬見さんとさんのほうを見上げた。
 顔が赤い。さん。あとなぜか瀬見さんも。体を起こしつつ白布に視線を移して「え、俺なんか変なこと言った?」と聞いてみる。白布は冷ややかな視線を向けたまま「声かけなきゃよかった」と言った。ひどくないか?
 もう一度さんのほうを見る。うん。やっぱりかわいいな。いつも怒った顔ばかり見ていたけど、そういう顔のほうが余計に。一人で納得しつつも黙っていると、瀬見さんが「無理! 耐えられるかこんな空気!」と一人で騒ぎながら逃げていった。なんで? 続けざまに白布も「一人で勝手に木っ端微塵になれ」と俺を足蹴にしてからすたすたと歩いて逃げていく。だからなんで? というか木っ端微塵って何?
 さんは黙りこくっていた。赤い顔のまま、俺を見下ろして。ぎゅっと握られた拳が真ん丸でかわいい。謎すぎる。なんだよ拳がかわいいって。今にも殴りかかってきそうな相手に思うことじゃないだろ。
 謎すぎる。さんはなんでこんなにかわいいんだろうか。その秘密が知りたくて、その謎を解き明かしたくてたまらないはずなのに。まあ、そんなことはどうでもいいか、と思う自分もいる。不思議すぎる。学校の七不思議より不思議。やっぱり妖怪の仕業にしか思えなかった。

秘密探偵奇譚


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