05

呪ってね


 昼休み、先回りして教室から出ようと思っていたのがバレていたらしい。英太が授業終わり早々に迎えに来ると、勝手にわたしのランチバッグを持った。ついでにわたしの手首を掴むと「約束しただろ」とちょっと申し訳なさそうに言った。ここまでされるとさすがに逃げ場がない。いや、逃げるつもりではなかったのだけど。
 英太に引っ張られて廊下を歩く。いろんな人に見られてるんですけど。恥ずかしいんですけど。そうちょっと抵抗してみるけど英太には効かない。昔から突っ走るところがある。相変わらず猪突猛進なんだから困る。一人でこっそり笑っておいた。
 辿り着いたのは屋上、に続く開かないドアの前。屋上は基本的に先生の許可がないと入れない。人気が少ないからとここを選んだのだろう。人気の少ないところなんて他にももってあるじゃん。なんでこんなに階段を上がらなきゃいけないのよ。そう内心文句を垂れつつ、ようやく腰を下ろせた。


「何。あーもう、これ絶対明日筋肉痛なんだけど」
「好きだ」

 恥ずかしげもなく、はっきり丁寧に言う人だった。英太は昔から。告白してくれたときもそうだったし、付き合っている間もそうだった。普通なら恥ずかしがりそうな言葉を真顔で丁寧に言ってくれる。そういうところが、ちょっとクサいけどかっこよくて好きだ。昔も、今も。
 英太は分かっていない。自分がかっこいいことも、女の子にモテることも。だからわたしなんかを平気で彼女にできるんだ。捻くれてて、かわいくなくて、どうしようもない。そんなわたしを好きだと錯覚してしまうのだ。可哀想な人。

「別れるならちゃんと理由、説明してほしいんだけど」
「しんどいって言ったでしょ。そもそもいつの話だよって感じなんだけど」
「何がしんどいかの説明はされてない」
「……いいじゃん、そんなの。しんどいものはしんどいの」

 一目惚れなんかするタイプじゃなかった、と自分で思う。どんな人なのかも分からないのに一目で好きになるわけない。そう思っていた。でも、英太とはじめて合ったあの春、わたしは一目で英太を好きになった。あれは今思えば呪いのはじまりだったのだろう。はじめは恋の魔法だったそれは、時間と共に黒ずんでいく。そうして不安や嫉妬のようなどろどろしたものに変わる。その呪いがわたしを支配して、もう、どうしようもなかったから。

「ちゃんと分からないまま別れるのは絶対に嫌なんだけど、俺」

 そっと手が伸びてきた。指先でわたしの髪を軽く撫でると「なあ、なんで?」と、寂しそうな顔をする。子犬みたいな顔。その顔、はじめてキスしたときもしてたね。したいんだけどだめか、って聞いてきたときと同じ。英太は優しいから、そういうときにも情けない、申し訳なさそうな顔をするんだ。
 英太がぎょっとした顔をした。どうしてなのかは聞かなくても分かる。勝手に出てきた涙をカーディガンの袖で拭くと、英太が「ごめん」と反射的に謝ってきた。「無理に聞こうとしてごめん、でも、どうしても知りたくて」と慌てた様子でわたしの髪から手を離す。ぐず、と鼻をすすったわたしの顔を覗き込むと「ごめん、ごめんな」と優しい声で言った。ばか、それ、好きだからやめろ。

「……英太は、さ」
「……うん」
「自分がかっこいいって、分かってる?」
「は」
「たくさん英太の彼女になりたい女の子がいるって、分かってる?」
「ちょ、ちょっと待て、何? 怖い、急になんだよ」
「わたしなんかより、かわいい子がいっぱい、英太のこと好きなんだよ」

 ぴく、と英太の指先が震えたのが分かった。ぐずぐずと鼻をすするわたしを見つめたまま、ちょっと、傷付いたような顔をした。それが分かって余計に涙が溢れた。
 こう言われて英太が傷付くのは分かっていた。だって、英太だから。人のことを見た目や肩書きで選ぶことはしない人だ。だから、わたしと付き合っていたのも、わたしが誰よりもかわいいだとか誰よりも賢いだとか、そんな理由ではないに決まっているのだ。たとえ世界一の美女が目の前にいようとも、世界一の才女が目の前にいようとも。英太はそんな付属要素には目もくれない。自分が相手のことを好きかどうか、それだけに決まっているのだ。
 でも、それを確信し切れないのが、わたしにかけられた呪い。自分に自信がないことから恋が呪いに黒ずんでしまった。それが、何より、しんどかった。

「……あの、さ」
「……なに」
「俺、が言うほど、かっこよくないんだけど……」
「うるさい馬鹿、分かってないだけじゃん、分かってないやつはすっこんでて」
「いや当事者だわ」

 英太が苦笑いをこぼした。これだから自覚のない人はだめなんだ。自分がどれだけモテているのかさえも把握していないくせに。
 英太がわたしの手をそっと握る。あたたかい。好きな体温だ。何度も何度もそう噛みしめて手を繋いでいたから、今も忘れられずにいる。これも呪い。英太の何もかもが好きになってしまう呪いに違いないのだ。でも、その呪いが、好きだった。体を蝕まれていく感覚も好きだった。英太の好きなところを見つけるたびに呪われて、どんどん苦しくなった。それでも、好きだった。呪いにかかったままでいたいと思うほどに。