04

囁いてね


、五組の橋本のこと好きって本当なの?!」
「は?」

 目が丸くなる。五組の橋本、とは。首を傾げるわたしに友達が「もう恥ずかしがっちゃって」と背中を叩いてきた。いや、恥ずかしがるも何も心当たりがないんですが。そう苦笑いをこぼすと、友達が「え、でも告白したんでしょ?」と言う。告白? そんなもの、生まれてこの方したことがないというのに、どうしてそんな話を友達が聞いたのだろうか。
 不思議に思っていると、同じクラスのサッカー部の人がにやにや笑って声を掛けてきた。五組の橋本はサッカー部所属だ。嫌な予感がしていると「残念だったな~橋本彼女いるって知らなかったのかよ~」と言ってくる。いや、だから告白してないです。そうきっぱり否定すると、友達もサッカー部の人も「え、でも聞いたよ」と首を傾げた。誰に、と聞いても「いろんな人に」としか返ってこず、明確な名前が出てこない。名前が出てきた人に聞いても同じことの繰り返し。でも、大多数の人が火のない所に煙は立たない、と思っているようで、わたしが恥ずかしがって火消しに回っている、と解釈している様子だった。
 なんだ、この状況。そもそもわたしは橋本と一年のときに同じクラスだったとはいえ、そこまで親しい間柄ではない。話すことはもちろんあるけど連絡先も知らないし、クラスが離れてからはとんと顔も合わせていない。それがどうしてこんな噂が。不思議に思っているとスマホが震えた。ポケットから取り出したスマホの通知には英太からの「告白したって本当?」というメッセージ。英太にまで噂が回ってきている。回るスピードが速すぎないだろうか。
 別にいいか、と思いそうになったけど、別にいいわけがない。橋本に悪いし、橋本に彼女がいるならその子にも申し訳ない。とりあえず誤解を解くところから、と近しい友人を中心に軽く否定しておく。必死に否定すると火消しと思われかねないからだ。友達ならわたしの表情や口ぶりで嘘じゃないと分かるはず。
 英太には「してない。ただのデマ」とだけ返しておく。本当のことだし。別に英太にそう思われたくないから否定するわけじゃない。事実無根だから否定するだけ。そっけない返事に英太は「そっか。よかった」と返してきた。よかったって何よ。ムカつく。
 結局、噂が当事者である橋本にまで回ったらしい。橋本が大慌てでわたしのところまで来て「え、俺告られたっけ?!」と聞いてきて笑ってしまった。告ってないです。そう言ったら「だよな?!」と橋本もほっとしていた。そのやり取りを見ていたサッカー部部員たちが「なんだ、デマかよ」とすっかり盛り下がり、噂はしぼんでいくように活気を失っていく。怖い怖い。高校生にとって恋愛話は餌のようなもの。食いつく速度がすごすぎる。そう実感した一日だった。



 ○



 不思議なことに、わたしに好きな人がいる、という噂が回り続けている。否定するたびに別の人の名前が挙がるので、一部の人からは「さんってすぐ好きな人変えるじゃん」と言われているらしい。不服だ。残念ながら生まれてこの方好きになった人は一人しかいない。それなのに、一体どうしてそんな噂ばかり流れるのだろうか。それもこんなに立て続けに。
 さすがに変だと気付いた友達が心配してくれた。誰かに嫌がらせされてるんじゃないの、と。そう言われてピンときた。あのクソかわいいだけの的外れな女か。なるほど。好きにしますっていうのはこういうことか。陰湿にもほどがある。じめじめしすぎてキノコも育たねーよ。思わず舌打ちがこぼれて、友達が「たまにって人格変わるよね」と笑われた。
 胸くそ悪い。英太のことが好きだの何だのは勝手にしろって話だけど、わたしを巻き込むな。迷惑すぎる。そう白けた気持ちになっていると、今日も今日とて英太がやって来た。友達が「あ、じゃあ私はこれで」と席に戻っていく。もうすっかり恒例行事みたいになっている。あのクソかわいい的外れ女のこともあって正直イライラしているから話しかけないでほしい。超当事者なのに本人はこれっぽっちもそれに気付いていないパターンなわけだし。そっとしておいてくれ。そう頭を抱えそうになっていると、英太がわたしの机の真横で立ち止まった。


「はいはい、何ですか。噂の件ならまたデマだよー」
「好きだ」

 びくっと肩が震える。教室内もしん、として一部の男子だけがはしゃいでいる声がかすかに聞こえてくる。びっくりして英太のほうに顔を向けると、なぞるように「今も好きだ。やっぱり別れたくない」ととんでもなく丁寧に言った。
 馬鹿か。なんでこんな人が見てるところで、そんなことを言うんだ。これまでそういうところは見せないように配慮してくれてたじゃん。なんで、わざわざこんな変な状況下で。
 誰かが「えっ付き合ってたんだ」と言った声が聞こえた。こそこそといろんな人がいろんなことを話し始める。は瀬見と別れた傷心でいろんなやつに声を掛けまくってるんじゃないか、とか。瀬見の気を惹きたくて自分で噂を回してたんじゃないか、とか。よりを戻すためにいろいろ必死だったんじゃないか、とか。瀬見がそれを見かねて声を掛けてやっているんじゃないか、とか。でもあの二人って恋人って感じしないよね、とか。そんなこそこそ話す声を聞いて、ほらね、と笑ってしまう。英太が付き合っていたのがまさかわたしだったとは思っていなかったからだろう。釣り合わない二人だからね、そりゃあね、分かるよ。そう自嘲をもらす。英太ならもっとかわいい子と付き合っていそうだからね、分かる。

「デマでも、が誰かを好きかもって思ったら、みっともないけど黙ってられなくて」

 そんな台詞が似合うのは、少なくとも校内では英太だけだと思う。ぼんやりそう思っていると、視界の隅っこに不快指数が上がるクソかわいい的外れ女を見つけてしまった。あーあ、かわいい顔が台無し。すごい顔してるじゃん。英太が見たらドン引きするよ。そう思いつつも、どんなに不愉快な子だったとしても、失恋をした女の子に変わりはない。なんだかバツが悪くて視界に入らないように視線を逸らした。

「うん、あの、それ、後でいい? こんなところで言わないでしょ普通」
「それはごめん」

 情けなく笑った英太が「だって、すぐ逃げるから」と言った。逃げるって、失礼な。わたしはあんたのために身を引いているだけだ。逃げてるんじゃない。内心そう言い返しておく。
 英太は情けない顔のまま「絶対逃げんなよ、もう俺本当に無理だから。昼休みな」と言ってそそくさと教室から出て行った。