02

笑ってね


 お風呂から上がって、ソファの上に置きっぱなしにしたスマホを見ると、一通新着メッセージが届いていた。相手は瀬見英太。もう毎日の日課のようになっている。別れた日から毎日、この時間に英太からメッセージが届く。内容はいつもバラバラ。何気ない会話のようで、わたしの近況を探るようなものばかり。それに小さく笑って、喜んでしまう自分が、とても嫌いだ。
 スマホを持ってリビングを出ようとしたら、母親から「あんまり夜更かししないでよ」と声を掛けられた。はいはい、分かってます。そんな反抗期丸出しの返事をしてしまって、リビングから出てからバツが悪くなった。最近はちょっと、調子が悪いから仕方ないんだ。なんだかいつも不満しか出てこなくて、心の余裕がないだけ。だから、今だけは許されるんだ。そんな自分ルールを今作っておいた。
 自室のドアを閉めて、ベッドの上に寝転ぶ。英太からのメッセージ。一言だけ「今電話できる?」と来ていた。英太は寮生だ。そろそろ消灯時間が迫っているというのに何の用だろう。そもそもわたしたち、もう別れてるのに。なんで電話するの。ぼんやりそんなことを考えている頭。それを無視して、指が勝手に「いいよ」と返信していた。
 ものの数秒でスマホが鳴る。絶対待機してたじゃん。スマホを握りしめていたであろう姿が容易に想像できて、ちょっとおかしかった。

「もしもし」
『お疲れ。急にごめんな』
「いや別にいいけど。何? そっち消灯時間でしょ、そろそろ」

 英太が「それは大丈夫」と言ってから、ちょっと口ごもる。言いづらいことを言おうとしているのは分かった。そうして、英太の性格上、大体何のこともかも察せられる。大方天童のことだろう。天童のことだからわたしと話した、と英太に言ったに違いない。
 思った通り、英太が言いづらそうに「天童と、山形に、バレました」と言った。それを聞いて、おや、と思う。天童からはハヤトくんとレオンくんにも寝言が聞かれていた、と言われた。英太が名前を出した人数と合わない。山形って下の名前なんだっけ。そう考えて、どう考えてもレオンではなかった、と結論付ける。英太はレオンくんには寝言を聞かれていないと思っているのだろうか。
 ま、どうでもいいか。「別にいいよ」とだけ返すと、英太が気まずそうに「ごめんな」と言った。別にいいって言ってるのに。なんで謝るの。少しだけムッとしてしまう。言葉にはせず「それだけ? 気にしてないし本当にいいから。もう切るよ」と言うと、英太が慌てて止めてきた。どうやらこれが本題ではないらしい。

『あの、さ……』
「何?」
『……しんどくなったっていうのは、どこらへんなのか、教えてもらえないかと思って』

 呟くような小さな声でも、電話でははっきり聞こえてしまう。英太の声にぴくりと指先が反応してしまって、思わず拳をぐっと握ってしまった。

「……教えたって何にもならないじゃん」
『いや、できる限り直したいなって』
「直して何になるわけ?」

 ああ、もうこれ以上話を続けたくない。嫌なことばかり言ってしまう。そうしないと、儘ならなくて。どうしてそんなことを言うの。ダサいことはしないタイプのくせに。何、ただの元カノに縋ろうとしてんの。
 隣のクラスのかわいい子と楽しそうに話していたのを見た。それは英太にとっては別に何でもないことだっただろう。話しかけられたら相手が誰であれ、それなりに楽しく会話ができる人だ。友達も多いし、人が集まってくるし。別に、何でもない日常の風景だった、はずなのに。わたしの瞳にはそれがとてもつらくて腹立たしいものに見えてしまう。所謂嫉妬というやつだ。どろどろした重苦しい感情が中でどんどん増えていく感覚。気味が悪い。笑っている英太にはこんな感情、絶対にないだろうに。そう思うとふたをするしかなくて、どんどん悪化していく。もうとっくに溢れ出ているそれをせき止める方法を未だに見つけられずにいる。
 好きなのに。大好きなのに。英太も好きだと言ってくれたのに。わたしの中にはどろどろとした呪いのような不安がいつもあった。振られたらどうしよう。よそ見されたらどうしよう。好きで好きでたまらなくて、どんどん煮詰められた恋心。それがいつか、不安を煽る呪いになっていたのだ。

「もういいじゃん、わたしのことなんか。他にもっとかわいい子見つけなよ。じゃあね」
『あ、ちょっ』

 問答無用で電話を切った。しばらくスマホの画面を見つめてしまう。わたしは本当に面倒なやつだな。そう一人で笑いをこぼすと、英太から着信が入った。もう出ないよ。出たら、溢れ出そうになるから。ぽいっとスマホを枕元に投げて知らん顔する。わたしは今から明日の予習をするので、もう電話には出られないのです。だから、着信に反応しなくて当たり前なのです。そう、自分に言い聞かせた。