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愛してね


「英太くんと付き合ってたってホント?」

 突然わたしの顔を覗き込んできたのは、同じクラスの天童覚。一年生のときに同じクラスだったからまあそれなりに話す仲、くらいの友達だ。
 天童が言った名前、英太くん、というのは瀬見英太のこと。わたしのとっては中学からの同級生で、所謂、元カレというものだ。まあ、それなりの期間付き合っていた。中学生のときからつい最近まで。ただし、そのことは中学のときも今も、ほとんど誰にも知られていない。恥ずかしいから秘密にして、とわたしが言ったからだ。
 高校三年の春。別れを告げたのはわたしのほうだった。約四年。学生からすれば結構長い期間を、恋人として過ごした英太に「別れたい」とストレートに言った。そんなわたしに英太は目を丸くして「え、なんで?」と返してきた。なんでも、なんで、なんでも、なんで。そんな押し問答を続けて、最終的にわたしは「しんどくなった」と伝えた。英太はその一言に言葉を失ったのち、わたしから視線を逸らしてから小さな声で「分かった」とだけ、言ってくれた。
 そんなことも友達にさえ話していない。それなのになぜ天童がそのことを知っているのか。まあ、情報源は英太しかいない。振られて天童に愚痴りでもしたのだろう。秘密って言ったのに。そう思っていると、天童が「英太くんがポロリしちゃってたんだよね~」と言った。ポロリ、とは。

「この前の三連休、遠征帰りのバスで寝ちゃった英太くんの寝言、聞きたい?」
「いや、あんまり聞きたくないかな」
「〝、別れたくない、俺まだ好きなんだけど〟ってさ~!」
「人の話聞いてる?」

 寝言で全部言わないでしょ、普通。そういうのってところどころは声に出ていなくて周りの人が「誰のことだろう」となるパターンなんじゃないの。隠し事が苦手な英太らしいといえばらしいけれど。ちょっと呆れていると天童が「ちなみに隼人くんと獅音くんしか聞こえてないから大丈夫」と言った。いや、大丈夫じゃない。あと二人にもバレてるじゃん。下の名前じゃ誰のことだかよく分からないけれど。
 英太のことが好きだった。同じ中学、同じクラス、隣の席になったあの四月に、わたしは英太に一目惚れをした。今でもあのときの桜の色は忘れられない。窓際の席に座っていた英太の右隣だったわたし。英太が声を掛けてくれて、顔を向けた窓の先。桜の花びらが水色の空にふわりと舞ってとてもきれいだった。でも、それ以上に、英太の笑顔は、ぶわっとわたしの血液に熱を与えるほど、印象的で。わたしはその瞬間すぐに恋に落ちた。
 少しお調子者っぽいところもあったけれど、基本的にはまっすぐな人で、人のことで真剣に悩める人。わたしの中の英太はそういう人だ。音楽とバレーボールが大好きで、自分の好きなものを人に話すことも大好き。聞いたことのないロックバンドの話をいつも楽しそうに話してくれた。どんなに興味のない話でも、英太があんまりにも楽しそうに話すから、わたしは英太の話を聞くことが何より好きだった。
 大好きだった。何よりも。誰よりも。きっとこの人以上に好きになれる人なんかいない。そう本気で思うほど、わたしは英太のことが好きだった。

「なんで別れちゃったの?」
「天童に関係ないじゃん。首突っ込んでこないで」
ちゃん、英太くんのこと好きなのに。なんで?」

 黙ってしまう。図星だったからだ。天童にもその様子は伝わってしまったようで「ほら」と笑われた。笑うな。ムカつくから。
 英太のことが、好きだ。今でも。誰よりもかっこよくて、誰よりも正直者で、誰よりも優しくて。大好きだ。あの四月の桜がきれいだった日のまま、好きなままだ。
 どこかのクラスの女の子とか後輩の女の子が、英太に気に入られようと話しかけている姿を見るのが死ぬほど嫌いだ。英太が他の女の子に優しくしているところ見るのも死ぬほど嫌い。お前も殺してわたしも死んでやるって思うくらい。笑ってしまう。わたしってやばい女だったんだな、って。それくらい、英太のことが今も好きだ。
 わたしが英太に言った「しんどくなった」。これは真だ。嘘などどこにもない。英太の彼女でいることがしんどくなってしまった。だって、英太は明るくてまっすぐで優しい、人に好かれる人だ。だから、英太に彼女がいると知らない女の子たちはアプローチしてくる。英太の周りにはいつもたくさんの友達がいる。その中で英太は、なぜわたしを選んだのか。なぜわたしを彼女にしようと思ったのか。
 つまるところ、わたしは自分に自信がなかったのだ。英太はいつかわたしじゃない誰かに惹かれて、わたしを振ってその子と付き合うんじゃないか、といつも不安だった。わたしが知らない女の子と二人で話している姿を見かけたら目が離せなかった。友達伝いにあの子は誰か、と探りをいつも入れていた。
 好きだから好きでいてもらえるわけじゃない。わたしは好きだけど、英太はそうじゃなくなる日が来るかもしれない。それが何より怖かった。振られたらわたしは冷静でいられるのか分からなかった。大してかわいくもない。何か取り柄があるわけでもない。そんなわたしがずっと英太の彼女でいられるだろうか。きっと、そんなわけはない。絶対に英太が別の人に惹かれる日が来る。この世の中には星の数ほどきれいな女の人がいるから。わたしは一番星にはなれない。だから、英太を振った。傷付くことが怖かったからだ。

「英太くんがいたらいつも見てるんだもん。すぐ分かったよ」

 そりゃ見るよ。好きなんだもん。仕方ないじゃん。
 そう言いそうになるのをぐっと堪える。ノートで天童の頭をぺしんと叩いて「だから、天童には関係ない」とだけ言って、後は無視してやる。天童はしばらく話しかけてきたけれど、チャイムが鳴ったら大人しく自分の席に戻っていった。