05

どうしてだまるの


 成績が落ちた。夏休みがまるっと無駄になった気分。あーあ、もう笑うしかないね、これ。試験の結果から目を逸らしながらため息。ため息なんかついたって何の実にもならない。そんな無駄なことをしている暇があるなら自主勉強しろ。そんなふうに誰かに叱られた気持ちになってばつが悪い。
 高校三年生になってはじめて、学校をサボった。両親には「頭が痛い」と嘘を吐いた。両親は深く追求せずに「ゆっくり休みなさい」とだけ言って、二人とも出勤していった。今は家で一人。ベッドで横になって目を瞑ることなくただただぼうっとしている。枕に押しつけているみたいになっている耳。どくどくと自分の鼓動が聞こえてきて気持ちが悪い。一生懸命に生命活動をしている心臓を気持ち悪いと思うなんて。わたしはつくづく自分のことが嫌いなのだなあ。そう、むなしくなった。
 ベッドに投げ出すようにしてある手をぼけっと見つめていると、枕元のスマホが震えた。母親がご飯の心配をしてくれているのかもしれない。のそのそと手を伸ばしてスマホを手に取る。一つあくびをこぼしながら画面を見ると、白布賢二郎の名前が表示されていた。
 着信、ではなくてトークアプリの通知だ。とりあえず開いてみると、「体調悪いのか」という一言だけ。同じクラスだから休んでいることはもちろんすぐに気付かれただろうし、滅多に学校を休むタイプじゃないと白布も知っているだろうから大体体調不良が原因だと読めただろう。だからって、一限目がはじまる前に連絡するかな、普通。ただの女友達に。
 正直、気が散って仕方がないのだ。勉強中も、それ以外のときも、どんなときでも。なんでわたしが男子と話していると妙に気にしてくるの。なんで特に用事があるわけじゃないのに電話してくるの。なんでわたしのことを心配してくれるの。仲良しなのに、なんで、好きな人のこと、教えてくれないの。話してくれないの。誰なの。そんなことばかり、ずっとずっと頭に浮かぶのだ。視界の端にちらつくのだ。残り香のようにずっとどこかにまとわりついてくるのだ。もう、嫌になる。
 勘違い、自惚れ、浮かれポンチ。そういうものに当てはまっていたら本当に恥ずかしいやつになってしまう。でも、もう、だって。なんと言えばうまく伝わるのか分からないのが歯がゆいのだけど、相手が白布だから。もう全部、意味は分かるというか。白布が本当は何を言いたいのかも、本当は何を思っているのかも、わたしの頭の中には答えが一つある。それをわたしの口から言うのはあまりにも烏滸がましいし、何より外れていたときに取り返しが付かない。だから、わたしは待っていることしかできない。
 なんなの。意気地なし。こっそり誰にも聞こえないように呟く。たった一言なのに。白布は賢いからその言葉を知らないわけがないのに。なんで言わないの。言ってくれればわたし、もう少し気持ちが軽くなるのに。
 白布から追加の連絡がきた。「無視すんな」の一文。そんなことよりもっと言うことがあるでしょうが。もうすぐ一限目はじまるでしょ。それに体調不良で休んでるって分かってるくせに病人を叩き起こすな。ぶつくさ文句を言いつつ「うるさい」とだけ返しておいた。もう起きていてもムカつくから寝てしまおう。知らない。もう、何もかも知らない。



 ○



 ぱち、と目が開いたのに真っ暗。つまりはもう夜になったのだろう。のそのそと体を起こして、一つ伸び。ずいぶん眠ってしまった。いくら遮光性に優れたカーテンとはいえ、まだ外が明るかったら多少光が入り込むだろう。今何時だろう。目を擦りながら枕元に置きっぱなしにしてあったスマホに手を伸ばす。画面を付けると午後七時の表示。それと一緒にトークアプリの通知がたくさん届いていた。友達からのもの、母親からのもの、そして、白布からのもの。
 一つ一つ開いて、一つ一つ返事をしていく。そうして最後に、白布からのメッセージに辿り着く。もう、なんなの、放っておいてよ。そう思いつつトーク画面を開くと、「ちゃんと来いよ」とだけ来ていた。それは、学校に、という意味だろうか。言われなくても行くわ。一応受験生だし。今日はちょっと調子が悪かっただけだし。余計なお世話だ。そう思いつつ「はいはい」と返しておいた。
 ベッドから降りてあくびをこぼす。暗いままドアに近付いてドアノブを握る。そっと回すと、どさっと何かが落ちた音がして思わず「わっ」と声が出てしまった。ドアを開けて恐る恐る廊下を覗き込むと、紙袋が落ちていた。何これ。母親が置いていったのかな。不思議に思っていると、一階のリビングにいたらしい母親の声で「起きたー?」と声を掛けられた。
 適当に返事をしながら転がっている紙袋を拾い上げる。中を覗いてみると、ルーズリーフとプリントが数枚、わたしが好きなお菓子が二種類入っている。不思議に思っていると母親が「それ、女の子が持ってきてくれたよー」と教えてくれた。母親が帰宅後、同じクラスの子が家まで届けに来てくれたそうだ。名前を聞いたら仲良しの子で、遠回りしてわざわざ来てくれたのだと分かってちょっと申し訳ない気持ちになる。わたしが眠りこけていたから母親が代わりに受け取ってくれたそうだ。
 紙袋を片手に持って階段を下りていく。ご飯ができているようで、母親から「食べられる?」と聞かれた。なんか、心配されている。ごめん。内心そんなふうに苦笑いをこぼして「食べる」とだけ返しておいた。
 いつもの席に座ってから紙袋の中を取り出す。ルーズリーフは友達からのメッセージだったり、今日の授業の内容がしっかり書かれていたり。プリントは今日配られたものらしい。お菓子はたぶん友達何人かで選んでくれたものだろう。嬉しい。そして、なんか恥ずかしい。本当は病気でも何でもないのに。ごめんね。少し情けない気持ちになった。
 お菓子の箱を二つ出してから、紙袋の底に紙切れが落ちているのを見つけた。中に手を入れて、底に引っかかっている紙切れを爪でつまんで取り出す。二つ折りにされているそれを広げると、見覚えのある字が並んでいた。
 ちゃんと来いよ、というメッセージは、明日は学校にちゃんと来いよ、という意味ではなかったのか。紙切れをまた二つ折りにして、お菓子の箱の下に一先ず隠す。なんで手書き。これこそトークアプリで言えばいいじゃん。ぶつくさ内心文句を言いつつ、見覚えのある字はやっぱり、わたしにとっては特別だった。
 明日、放課後、図書室の前。それだけ書かれたメモは、見間違うことはない白布の字だった。