01

たったひとつだけ


 ずっと、もやもやしていることがある。大したことではないし、気にしなければいいだけのことだ。こんなにずっともやもやしている必要はないし、そんなことに割く意識があるなら受験勉強をちゃんとしろ、と言われるだろうと思う。
 もやもやの種の名前は白布賢二郎。高校で知り合って仲良くなった人だ。一年生のときに同じクラスになり、出席番号順の席で隣になった。少し遠くの地域から白鳥沢学園通うわたしには友達がいなくて、もう女の子でも男の子でも誰でもいいから知り合いを早く作りたくて。隣の席になった人に話しかけるのは必然だった。
 窓側の席に座っていた白布は、なんていうか、儚くて消えてしまいそうな見た目なのに、生命力が強いというか。とてもアンバランスな人だった。優しそうに見えて言葉がきつかったり、冷たそうに見えて意外と世話焼きだったり。四人兄弟の次男だから、弟たちの世話を焼かなきゃいけない場面も多いらしい。でも、兄もいるから怠けたりサボったりして上手いこと兄に仕事を押しつけることもしょっちゅうだったとか。確かに学校でも長男でもなければ末っ子でもない雰囲気を出しているな、と納得した。
 わたしが話しかけたことをきっかけに、白布とは不思議と仲良くなった。頭の良い白布に勉強を教えてもらったり、わたしの好きなお菓子を無理やり白布にも食べさせたり。白布は基本的にノリが悪かったけど、なんだかんだでいつもわたしの面倒を見てくれた。
 そんな白布とわたしは、高校二年生の夏にとても曖昧な関係になった。あれは夏休みに入る直前の金曜日のことだったと記憶している。あの日はとても暑くて、額に浮かんだ汗をハンカチで拭いつつ正門をくぐった。早く教室に行きたい、とうんざりしながら昇降口で上履きに履き替えようとしたとき、ぱさっと紙が下駄箱から落ちてきた。びっくりしてぼけっと足下に落ちた紙を見下ろす。それは紙、というよりは、手紙、というほうが良いもので。なんでこんなものがわたしの下駄箱に? そう思いながら恐る恐るそれを拾い上げた。人がいる賑やかなこの場で見るべきものではない、と思う。いそいそと誰にも見られないようにそれを鞄にしまって、なぜだか息を潜めて上履きに履き替えた。
 教室に入ってからはあの手紙のことが気になって仕方なかった。ここで見たらクラスメイトにからかわれるかもしれないし、かといって家に帰るまで我慢できる気がしない。そう悩んでいると「、辞書返せ」と白布が教室に入るなり声を掛けてきた。白布とは二年生では別のクラスになっていたけど、変わらずものの貸し借りをしたりたまに一緒にお昼を食べたりしている。昨日借りた英和辞典を取り返しに来たらしい。そういえばうっかり家に持って帰ってしまったから、今朝鞄に入れたはず。「あーごめんごめん」と挨拶もそこそこに鞄を開ける。白布がわたしの席まで近寄ってきてから「なんだこれ」と鞄を覗き込んできた。それこそ下駄箱に入っていた例の手紙。白布がそれを勝手に取り出して、勝手に開けやがったのだ。
 なんとなく思っていた通り、ラブレターというやつだった。フルネームが書いてあったけれど、正直誰かピンとこなかった。今日の放課後にちゃんと告白をしたいから校舎裏で待っている、という内容だった。
 うわ、どうしようかな。そう照れてしまうわたしを、白布はやけに冷めた目で見てきた。それから手紙をさっと鞄に戻して「どうするもこうするも、お前がこいつと付き合う気があるなら行けば良いだろ」と言った。まあ、それは分かってるけど。そう返したら、白布がこう言ったのだ。「ただ、俺は行ってほしくない」と。

ー! 勉強キリいいところー?! ご飯ー!」
「はーい」

 二階までばっちり聞こえる母親の声に、聞こえるギリギリの声量で返事をしておく。またあの日のことを思い出してしまった。何よ、俺は行ってほしくない、って。どういう意味なのそれ。未だにその真意は分からないままだ。
 白布とは、まあ、あまり変わらず仲良くはしている。三年生ではまた同じクラスになって、毎日話をするしたまにお昼も一緒に食べる。そんな様子を見ている友達からは「え、付き合ってないの?」と驚かれるほど。あの日のあのやり取りがわたしの中でもやもやしているだけで、何も変わらない。
 いや、一つだけ変わったことがある。白布がやけにわたしの交友関係を気にしてくるのだ。廊下で二年のときに同じクラスだった男子と話していたのを見たら「あれ誰?」と後で聞いてくる。隣の席の男子と話していると「あいつ最近仲良いよな」と言ってくる。相手が男子のときだけ、やたらと相手のことを聞いてくるのだ。
 なんでそういう、思わせ振りなことをするんだろうか。白布ってあざとい女子が嫌いそうなのに自分があざといというかなんというか。本当、困る。