5秒前まで何も知らなかったふたり

木葉秋紀

 ずっと好きだった木葉くんに、玉砕覚悟で告白してしまった。振られてもいいから気持ちを伝えてしまいたくて。わたしも木葉くんももう今年で卒業だから、後悔するよりは振られてへこんだほうがマシ。そう、痛いくらい自分の手を握りしめた。
 誰もいない中庭には柔らかな夕焼けのオレンジだけが転がっている。もうすぐで冬がやってくる。冷たくなってきた風がいくら吹いても、燃えるような夕焼けのオレンジは消えない。目に痛い。きっとこの色をわたしは永遠に忘れられないだろうな、なんて、一人で困ってしまった。
 木葉くんはわたしの言葉を聞いて目を丸くていた。当たり前だ。それなりに話す仲だけれど、まさかわたしが木葉くんのことが好きだとは想像さえしていなかっただろう。急でごめんね、と苦笑いをこぼしたわたしに木葉くんは、「え、マジ?」と目を逸らして恥ずかしそうにしていた。それが約六十秒前のこと。
 今度はわたしは驚く番だった。こちらに視線を戻した木葉くんは、まず、「すげー嬉しい、どうしよう」とかわいい笑顔を見せてくれた。わたしなんかが告白しても木葉くんはそんなふうに反応してくれるんだ。そう少し嬉しかった。でも、それ以上のことはないに違いない。木葉くんは優しいから、そういうふうに言ってくれるだけなんだから。曖昧に笑っているわたしに木葉くんが言ったのは「俺も」の一言だった。それが約三十秒前のこと。
 固まっているわたしを見て木葉くんがはにかむ。「聞こえた?」と少し茶化すように目の前で手を振ると、「俺も好きって言ったんだけど」と優しい声で言ってくれた。ちょっと、理解が追いつかない。木葉くんは明るくて、誰とでも仲良くなれて、誰からも好かれる、とてもすごい人だ。わたしは人見知りしてしまってなかなかたくさんの人と打ち解けられない、本当にどこにでもいる普通の人。だから、木葉くんが好きになってくれることなんて、想像したこともなくて。

「俺と付き合ってください」

 これが、約十五秒前。木葉くんの声があまりにもくすぐったくて、心臓が飛び出しそうなほど跳ねているのが分かる。少し怖いくらい。どきどきして声がうまく出るか不安だった。でも、ここで言葉を出さなくちゃ、本当に一生後悔する。そんなの目に見えている。何より、わたしに向けて言ってくれた木葉くんの言葉だ。答えないわけがなくて。
 一つ小さく呼吸をして、わたしがようやく口を開けたのが約十秒前。

「は、はい、お願いします」

 この瞬間、わたしと木葉くんは、所謂恋人というものになった。それが、今から五秒前のこと。
 まだ五秒しか経っていないのに、わたしはとっくに限界を超えていて、なんだかもう呼吸の仕方をうっかり忘れてしまいそうだった。どういう状況? 夢じゃないよね? そんなふうにわけもなく自分の腕をこっそりつねってみる。ちゃんと痛い。夢じゃない。でも、やっぱり信じられなかった。
 たった五秒。わたしを好きだと言ってくれた木葉くんと向き合っただけ。たったそれだけで、わたしは、木葉くんのことが余計に好きになっていた。
 なんだか、全然知らない人が目の前にいるみたいだ。たった一言、たった五秒で、こんなにも世界は変わってしまうんだなあ。ぽかんとして黙ってしまう。そんなわたしに少し近付いた木葉くんが顔を覗き込んでくる。木葉くんは背が高い。わたしの顔を覗き込むには背中を丸めなければいけない。いつもつらそうな体勢だなって思うのだけど、そうしてくれるのが嬉しいから何も言ったことはない。

「なんか」

 少しだけ、ぼんやりした声だった。木葉くんは笑っているような困っているような、変な顔をしている。じっとわたしの瞳の色を確認するように見つめる視線がぶつかる。それが何よりも柔らかな熱を持っていて、くすぐったくてたまらない。

「さっきまでのと、なんか違う。不思議だな」

 そう照れくさそうに笑った。その顔に夕日が強烈に映えて目が痛い。木葉くんの笑顔は、本当に、わたしにとったら何よりも凶器だ。一瞬で射貫かれてしまって困る。なんて眩しい、素敵な笑顔なんだろう。ぎゅっと自分の手を握りしめてそう思った。
 同じことを考えていた。それが嬉しくて、嬉しくて。思わず笑ってしまった。そんなわたしの顔を見た木葉くんが一瞬固まったのが分かる。変なこと言ったかな。ちょっと不安になってしまう。けれど、すぐに満面の笑みを浮かべて、「じゃあ、帰りますか」と照れくさそうに言ってくれた。