※未来捏造




「痛っ」

 びくっと手を引いてしまう。 じゃーっと流れ続ける水を慌てて止めて、一つため息をつく。 見事にあかぎれしてしまっている手。 ここ最近手のケアを怠っていたせいかなあ、と反省。 ハンドクリーム、ここ最近面倒でちゃんと塗ってなかったし、ゴム手袋もしてなかったっけ。 そう思いつつ棚を開けるために少ししゃがんでいると、足音が聞こえてきた。

「何してるんですか?」
「洗い物してただけだけど、あかぎれしちゃって。 手袋しようかなって」
「えっ、何? あかぎれ? どこスか?」

 すぐに近寄ってきてわたしの手を覗き込む。 心配性め。 そう内心少しおかしくなりつつ「ここ」と手を見せた。 ぱっくり割れているそこを見て、太一は分かりやすく顔をしかめる。

「食洗機買いましょう」
「いや、いいよ。 別に手で洗えばいいし」
「じゃあ俺が洗うんでさん薬塗っててください」
「大丈夫だよ、これくらい」
さん?」

 そういう顔をされると「ハイ」としか言えなくなるの、よく分かってるんだよなあ、この人。 恐らく今週中には食洗機が設置されている光景を思い浮かべて苦笑い。 心配性なのは昔からなんだよなあ、太一。
 高校の後輩で、部活ではマネージャーと選手の関係だった川西太一と結婚して一年が経った。 ちなみに高校を卒業するときに告白されて、川西ならいいか、と軽い気持ちでOKしたことは一生の秘密だ。 結婚すると当時の部活仲間たちに報告したときは驚かれたけれど、みんな一様に祝福してくれて嬉しかったものだ。
 高校時代からそうだったけれど、太一はとても心配性だ。 残業で少しでも帰りが遅いと「迎えに行こうか?」と言ってくれるし、買い物に一緒に行くと買い物袋は全部持ってくれる。 高校時代もやたら「手伝います」と言ってくれたっけ。 思い出して懐かしい気持ちになりつつ、大人しく薬を塗るために台所を離れた。
 ああ、そういえば。

「ねえ、覚えてる? バレー部の合宿のときも太一、皿洗い手伝いますって言いに来たよね」
「あ〜……? ああ、夏合宿のとき?」
「そうそう。 休みなって言っても頑なに手伝うって言うからおかしかったなあ」

 あのとき、結局皿を拭いてくれたものだから助かったけど申し訳なかったことを思い出す。 選手として長い時間バレーをしているからちゃんと休んでほしかったんだけどな。 一年生がやるはずの仕事までどうにか時間をやりくりして処理していたから、本当にかなり有難かったのは事実だけれど。 それに、一人で黙々とやるより話し相手がいてくれたほうが楽しくできたっけ。

「そういえばあのとき、一家に一人川西太一どうですかって話したよね」
「返品はお受けしておりません。あとさんの返却もお受けできません」
「あはは、しないってば」

 薬を塗り終わって、台所のほうへ歩いて行く。 洗い物をしてくれている太一の手元を覗き込みつつ「懐かしいなあ」と笑う。 太一も「懐かしいですねえ」と言いながら、手際よく皿の泡を洗い流した。
 あのとき、太一のことをいい旦那さんになりそう、と言った自分の目を褒めたい。 本当にその通り、いい夫なんだよなあ。 子どもみたいにふざけたりたまに情けなかったりするけど、そういうところも含めて。 毎日楽しく過ごせているのは全部太一のおかげなんだよなあ。 なんて、恥ずかしくて言葉になかなかできないけれど。

「心配性だよねえ、本当に」
「はい?」
「わたしが慌ただしそうにしてたから手伝うって言ってくれたんでしょ?」
「…………ソウデス」
「絶対嘘じゃん?! え、違う理由があるの?!」

 太一は分かりやすく動揺を浮かべて「えー……」と苦笑いをこぼす。 えー、とは? 特にそんなふうな反応をされる覚えがなくて首を傾げてしまう。

「ここまで来ると逆にへこむんですけど」
「なんで? どういうこと?」
「いや、だから、俺あのときも言ったじゃないですか。 もうちょっとさんと喋りたいんでって」
「……言ってたっけ?」
「うわ〜完全に冗談としか思われてなかったやつ〜へこむ〜〜」

 カレーを作った鍋を洗いながら太一が項垂れる。 そんなこと言われたら照れてるはずなんだけど。 まったく記憶にないから「嘘でしょ?」と茶化してしまう。 太一はむっとした顔でこちらを見ると、鍋をごしごししながら「さんのニブチン」と恨めしそうな声で言った。

「高校のとき、俺ずっとアピールしてたのに」
「……そうなの? 思い当たる節が全然ないんだけど……」
「傷口に塩を塗らないでください〜」
「えーごめんね?」
「かわいいんで許します」

 鍋の中にたまった水を捨てる。 太一はスポンジをきれいに洗ってから、また洗剤を付けて泡を立てる。 それでまた鍋を洗おうとして、あ、と声をもらしてからこちらを見た。

「あのときのやつ、もう一回言ってください」

 あのときのやつ、とは。 これ以上何か忘れているとなんだか申し訳なかったので、ぐるぐると頭の中のアルバムをめくりまくる。 たしかあのとき、太一が手伝うと言いに来て、いい旦那さんになるね〜ってやりとりをして……。 そのあと何か話したような……。 たしか、太一が何かノリがいいなって話を……。 そこまで思い出して、ハッと思い至る。

「ねえ太一くん、これ洗ってほしいなあ」

 とん、と肩に頭を乗せてみる。 あのときは肩を腕にぶつけただけだったけど、今はわたしの夫なんだからいいでしょ。 ちょっと恥ずかしくなりつつ、太一の顔を見つめる。

「合格?」
「…………ちょっと」
「ちょっと?」
「手が濡れてないときに……もう一回お願いします……抱きしめるんで……」

 くっ、となぜか悔しそうな顔をするものだから、おかしくて。 太一の腕に抱きついて大笑いしてしまう。 それに照れながら「仕方なくないですか、かわいいんですもん」と言って、さっきよりも強い力で鍋をごしごししはじめる。

「抱きしめてもほしいけど、できればキスもしてほしいなあ」
「そんなもんするに決まってんじゃないですか。 カレー鍋倒したあとに死ぬほどします」
「……食洗機、本当に買ってくれるの?」
「三台くらい買います?」
「一台でいいから!」


まだあのときを祝う