※未来捏造を含みます。
※元の短編は2018年に書いたものです。




 くすみピンクのワンピース。 先月買ったばかりなのだけど、仕事で忙しくて今日まで袖を通せずじまいだった。 ちょっとかわいすぎるかも、と不安だったけど、気に入ってしまって結局買ってしまったものだ。 何を着ていこうか考えて考えて、ようやく引っ張り出したのがこのワンピース。 今、少しだけ後悔している自分がいる。
 持っているコートの中で唯一合いそうだったグレーのコート。 いつもボタンを閉めずに着ているけど、今日はワンピースを隠すようにボタンを閉めてしまった。 やっぱりちょっと、色がかわいすぎたかもしれない。 コートの裾からちらちら見えるくすみピンクを見つつ、一つ息を吐いた。 別に、別にかわいすぎたって、いいでしょ。 ただ後輩にネクタイピンを返すだけ。 服装なんてなんだっていい。 別に、気にすることなんてない、自分が好きな服を着れば良い。 今から来る赤葦がどう思うかなんてわたしには関係ないんだ。

さん」

 下を向いていた顔を勢いよく起こす。 そんなわたしの様子を見た赤葦が小さく笑って「お疲れ様です」と言った。 わたしの前で立ち止まるとじっとこちらを見てくるものだから、なんとなく居心地が悪くて。 視線に気付かないふりをして鞄を開ける。 ポーチにちゃんと入れてあるあれを少し探しつつ「新幹線混んでた?」と当たり障りのない話題を振った。

「それなりには」
「お疲れ様。 ちょっと待ってね、たしかにここに……」
さん」
「うん?」
「とりあえずどこかに入りませんか」

 やけににこやかな顔。 どうやら逃げることは不可能らしく、「じゃあそこのカフェでいい?」とポーチを取り出すのをやめる。 赤葦はそれに満足した様子で「はい」と言い、カフェに向かって歩き始めた。 学生時代もそうだったけど、相変わらずマイペースなやつめ。 そう恨めしく思いつつ、赤葦の隣を歩く。
 休日ということもありカフェにはそれなりに混んでいる。 店員さんが「少々お待ちいただけますか」と申し訳なさそうに声をかけてくれる。 別に急いでいないので「大丈夫です」と答えれば、大急ぎで店内へ戻っていった。 外に置かれている椅子に腰を下ろし、席が空くまで待つことにする。
 先ほどすぐに取り出せなかったポーチを取り出そうと、膝の上に置いた鞄を開けようとした。 すると、わたしが鞄に手を入れるより先に赤葦がわたしの鞄のハンドルを握り、ひょいっと持ち上げてしまう。 「へっ」とまぬけな声が出つつ赤葦に顔を向けると、真顔のままじっとこちらを見ている。 何がしたいのかさっぱり分からず「なに?」と首を傾げつつ聞いてみた。

「……やっぱり後で良いです」
「え? 何が?」
「そろそろ呼ばれますよ。 一席片付けてない席があったので」
「え、あ、うん……?」

 というか、鞄、返してほしいんだけど……? 不思議に思っている間に本当に店員さんが出てきた。 席の準備が間に合っていなかったことを謝られたので「いえいえ」と二人で返す。 赤葦に鞄を持たれたまま席に案内された。
 席についてからようやく鞄を返される。 なんで持ってくれたのかはよく分からなかったけど、とりあえず「ありがとう」と言っておく。 赤葦はコートを脱ぎながら「いえ」と笑って席に着いた。 わたしも鞄を置いてからコートを脱ぎ、背もたれにかける。 ふと視線を上げると、赤葦がじいっとこちらを見ていることに気がつく。 でも目が合うわけじゃなく、どこを見ているのかいまいち分からない。 不思議に思って「なに?」とまた聞いてみると、赤葦はひたすら視線をこちらに向けたまま「いえ」と口を開いた。

さんの私服、あまり見たことがなかったのでつい気になって」
「あー、これね。 わたしも待ってる間気になってて。 ちょっとかわいらしすぎる色だなあって」
「似合ってますよ」
「は」
「かわいいですよ。 何色っていうんですか? 熟したピンクみたいな色」
「…………くすみピンクね」
「くすみピンク」

 熟したピンクって。 思わず笑ってしまうと赤葦は恥ずかしそうに「なんて言えばいいか分からなかったんです」と言った。 その反応もなんだかかわいらしくて笑いが止まらない。 そんなわたしから目をそらして、照れ隠しするように「ほら、何頼みますか」と赤葦がメニューを広げた。
 若干笑いが治まらないまま、とりあえず軽食とコーヒーを選んだ。 赤葦が店員さんを呼んで注文をしてくれたので、その間に何度か咳払いをしてようやく落ち着いてくる。 店員さんが去ったあと、赤葦が「さん?」とちょっと低い声で言うものだから「ごめんごめん」と笑ってないアピールをしておく。

「くすみピンクだかくずれピンクだか知りませんけど」
「こら、くずれだとなんか嫌でしょ」
さんがかわいいから言いたかっただけです。 笑わないでください」
「…………そういうの、言わなくて良いと思う」
「かわいいですよ」
「赤葦」
「かわいい」
「赤葦!」

 閉じたメニューの角で叩いてやる。 赤葦は「はいはい」とおかしそうに笑ってメニューをわたしから取り上げて元の位置に戻した。
 赤葦もわたしも頼んだのが軽食だったので、割とすぐに料理が運ばれてきた。 コーヒーを一口飲んでからホットサンドに手を伸ばしかけ、「あ」と思い出す。 そうだ、今日赤葦に会うことになったのはネクタイピンを返すためだった。 先に用件を済ませたほうがいいかと思って「赤葦、タイピン返すね」と声をかけてから鞄を探ろうと手を伸ばす。 わたしと同じホットサンドを手に持ったままの赤葦が「後で良いです」と言ってくれるけど、ずっとわたしが持っているのもなんとなく居心地が悪い。 大事なものなんだから赤葦だって先に返してほしいだろうし。 けれど、赤葦は「さん」と困ったように笑う。

「先に返されてしまうと、さんが帰っちゃうかもしれないので最後で良いです」
「……か、帰らないよ?」
「返事をもらう前に帰られると困るので。 保険です」

 一口ホットサンドを食べる。 赤葦はもぐもぐとしっかり噛んでから飲み込み、わたしを見て「おいしいですよ」と言った。 落ち着かない気持ちのままホットサンドを手に取り口に運ぶ。 おいしい、おいしいんだけど。 赤葦のことが気になって集中できない。

「はは」
「……なんで笑うの」
「俺のことを考えてるんだろうなあと分かるので、嬉しくて」

 この前の東京駅でのことが、今日までずっと頭のどこかにあった。 赤葦と改札で別れたその瞬間からずっと。 仕事中もふとした瞬間に赤葦の顔を思い出して、そわそわして仕方なかった。 仕事終わりに週末までの日にちを数えてしまうし、週中なのに何を着ようか考えるし。 お気に入りのアクセサリーを大事に入れているケースに入れていた、赤葦のネクタイピン。 それをそっと見つめては、一人で照れたりして。
 気にならないほうがおかしいでしょ、本当。 ただの後輩だったのに、あんなこと言ってくるなんて。 あんなこと言われて気にならないほうがおかしいよ。 ホットサンドの具がこぼれないように注意しながら、じろりと赤葦を睨んでみる。 一枚食べ終えた赤葦はおしぼりで手を拭いてからコーヒーを飲んでいた。 それをこっそり見ていると、ふと気付く。 今まで気に留めたことのないところが、やけに気になる。 赤葦って指長いんだな、とか。 社会人になっても爪の手入れはしてるんだな、とか。 睫毛長いんだな、とか。 ちょっと猫背なんだな、とか。 今まで気にしたことのない一つ一つが、やけに印象に残って仕方ない。

さん、好きです」
「……も、もういいから、それ」
「熱烈な視線を向けてくださっていたので、チャンスかなと」

 最後のホットサンドを手に取りながらそう笑われる。 見てたの、ふつうにバレてる。 ちょっと恥ずかしくなりつつ「見てないよ」と誤魔化しておく。 赤葦は「そうでしたか」と楽しげに言って、くすくす笑いながら口を開けた。
 賑やかな店内で、わたしと赤葦だけが黙っているように感じてしまう。 妙にそわそわする気持ちをなんとか隠すように努める。 先に食べ終えた赤葦の視線にも負けず、落ち着かない気持ちにも負けず。 手をおしぼりで拭いてコーヒーを一口。 小さく息を吐いてカップをそうっと机に置き、思わず咳払いをしてしまった。

さん」
「なに?」
「好きです」
「わ、分かったから。 もう言わなくていいってば」
さん」
「……なんですか、赤葦くん」
「好きです。 付き合ってください」

 ドラマみたいな展開だなあ。 そんなまぬけなことを考えつつ、じっと赤葦を見つめ返す。 赤葦の黒い瞳が妙に熱っぽく見えて、きゅっと唇を噛んでしまった。
 ただの、後輩、だったのに。 話しやすくて、後輩なのにちょっと大人っぽくて、でもたまにおかしなことを言う。 そんな、仲の良い後輩だったのに。
 自分が流されやすい女なんじゃないかと不安になってしまう。 どうしてわたしの瞳には今、赤葦がとてもかっこよく見えてしまうのだろう。 彼氏がずっといなかったからだろうか。 そんなに彼氏がほしかったのかな、わたし。 告白されたからってかっこよく見えているのかな。

「ちなみに断られたら、今度は成人祝いに両親がくれた腕時計を渡します」
「え」
さんが俺を引っ叩いてフるまで諦めませんから、そのつもりで」

 静かにコーヒーを飲んで、赤葦は目を伏せた。 「どうぞ、俺のことを存分に考えてください」と言うと、窓の外に目を向ける。 余裕そうに見えていた顔と違って、耳が少しだけ赤いのが見えた。 その瞬間に、自分の顔が一気に熱くなったのが分かってしまった。


その手を取った先にあるものとは