気付かなかったほうがよかったことって、日常のいろんなところに転がっていると思う。 さっき買ったお菓子はこっちのスーパーのほうが安かったとか。 仲が良いと思っていた子がどうやらわたしにだけ他人行儀だとか。 飲み終わったコップの底に虫がついていたとか。 別になーんでもないただの男友達が実はかっこよかったり、とか?

「あ、おい、動くなって」

 その声に少し驚いてしまう。 顔を上げると「あーだから動くなってば!」と、二年から同じクラスの瀬見英太は少し怒ったように言った。 ああ、そうだった。 選択授業で美術をとったわたしと瀬見は、課題である「人物を描く」をお互い協力して終わらせようということになったのだ。 授業時間の半分ずつを使ってお互いを描いている途中だ。 先ほどわたしが瀬見を描き終わったので今は瀬見の番。 五分前くらいからしゃべりつつじっとしていたのだけど、なんだか、変なのだ。 さっき瀬見の顔をじいっと見て画用紙に悪戦苦闘しながら瀬見を描いた。 気付いたのだ。 瀬見って実はかっこいいのではないか、と。
 瀬見のことをかっこいいと言う他のクラスの女友達たちを正直笑っていた。 「えー?! 瀬見だよ?!」と大笑いしたのを覚えている。 だって瀬見だよ? 今でもそう思っている。 くだらないことで馬鹿笑いするくらい笑いの沸点が低いし、制服のスカートが短いと「足寒そう、ジャージ穿いたら?」とか真顔で言うし。 およそ漫画に出てくるようなイケメンではない。 イケメンだったらそんなこと言わないしそんなことしない。 非イケメンのオンパレードなのだ。
 わたしが真剣に瀬見の顔を描いているとき、沈黙の瞬間があった。 ちょうど瀬見の目を描いているときだ。 うまく描けなくてどうしようか悩んでしまい、もう一度顔をあげて瀬見の目を見た。 ばちっと視線が交わる。 瀬見はきっちりモデルとして微動だにせずこちらを見たまま待ってくれていた。 座っているとはいえじっとしているのはしんどいはずだ。 早く描かなきゃ、と思ってじいっとよく瀬見の目を見ていたら、瀬見が「照れんだけど」と困ったように笑った。 まさにその瞬間だった。 今までただの「友達」としか見えていなかったのに。 なぜだか急に、男の人、と見えてしまったのだ。

「なー髪ほどいてって言ったら怒る?」
「……なんで?」
「輪郭がうまく描けないから」

 「ほら」と困り顔で見せてくれた絵はたしかに輪郭が歪んでいた。 何度も描き直した跡がある。 さっきからごしごしと何度も消しゴムを使っていたのはこのせいか。 別にうまく描かなくたっていいのに。 内心そう思いつつ「別にいいよ」といつも通り言って髪ゴムをほどく。 輪郭を隠したいということらしいので髪を耳にかけずに流しておく。 瀬見は満足そうに笑って「さんきゅー」と言い、また画用紙に向かった。
 少し俯いた瀬見の顔をちらりと横目で見る。 睫毛が長い。 影ができるんじゃないかってくらい。 お前は美少年かよ。 内心そうツッコみつつ観察を続ける。 鼻の筋がきれいに通っていて、唇の形がきれいだ。 目は大きいというわけではないけど目力があって、眉毛もきりっとしている。 背が高いのは元から知っていたし、周りの女友達は身長で騙されてるんだって思っていた。 けど、ちゃんと見たら、もしかしなくても瀬見って、かっこいいのかな?

「……瀬見ってさ」
「なに?」
「彼女いんの?」
「なんだよ急に……逆にいると思うのかよ……」

 いや、思ったから聞いたんですけどね。 彼女がいたら噂になっているだろうし、聞いたわたしが馬鹿なのだけど。 瀬見はぶすくれた顔をしつつ「つーか今部活で忙しいから作れないだけだし」とぶつぶつ言った。 いつもの瀬見だ。 かっこよくない。 うん、大丈夫大丈夫。 ほっとしつつ「負け犬の遠吠え」と呟くと瀬見は「お前も彼氏いねーだろうが!」と笑った。
 瀬見が持つ鉛筆がサッと軽やかな音を立てる。 何を描いているのかと横目で見てみると、どうやら髪の毛を描いているようだ。 サッ、サッ、と何度も迷いなく長い線を描く。 何度か描き直しているが、それでも何度も迷いなく線を描き続けている。 どんな絵になっているのだろう。 気になったけれど、真剣な目をしている瀬見を邪魔しちゃ悪いし。 何度も何度も線を描く瀬見の手元。 しばらく黙ってそれを続けていた瀬見が「ん〜」と顔をあげた。

「うまくいかない」
「髪なんてしゃっと描いちゃえばそれっぽくなるでしょ?」
「そうかもしんねーけどさあ」
「けど?」
って髪きれいじゃん。 なんか雑に描くの嫌だろ」

 そう言って鉛筆を握り直す。 じいっとこちらを見ると「色塗ればうまくいくのかなあ」と呟く。 これ、色塗りまでしなくていいんだよ、瀬見。 内心でそう言いつつ黙ってそっぽを向く。 すると瀬見が「おい、動くなよ」と言って椅子から立ち上がった。 先ほどの角度が見えるところに座り直そうとしているらしい。 「しんどいならその姿勢のままでいいけど」と言って椅子をずるずる引きずってきた。 そこからまた反対方向を向くと「なんでだよ!」と怒ったようにまた椅子を引きずってくる。 「こら!」と子どもを叱るようにわたしの顔を覗き込んだ。

「……俺なんかした?」
「ばか、見るな、くそ瀬見」
「ひどくね?!」

 夕日のせいにしたら、夕日は怒るだろうか。


セイクレッドシークレット
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