昔からよく困らせられたものだった。 近所に住んでいる双子の兄弟。 小学校での集団登校の班が同じで、わたしが一つ上だからといつも二人を集合場所まで連れて行っていた。 これがどうしようもない悪ガキだった。 とにかく人をこばかにするし、悪ふざけばかりするし、言うことを利かない。 大人の前ではお姉ちゃんぶりたくてそこまで怒ったことはない。 けど、大人がいないところではいつも二人を怒ってばかりだった。
 とくに侑。 あいつはとにかく悪ガキだった。 頭がいいから大人に隠すのもうまいし、気付いたらわたしが勝手に一人で怒った、みたいな状況になっていたりもした。 そうしてわたしをからかって遊んでいたのだろうけど、その当時のわたしにしてみれば侑は本当にいけ好かないガキだったっけ。
 一方治はというと。 侑といっしょにいると同じようにふざけて悪ふざけばかりだった。 でも、侑がいないとそれはぴたっと止むのだ。 当時からそれが不思議でならなかったけれど、静かにしてくれるのならいいやと深く理由は追及しなかった。 それに加えて、二人がとんでもないいたずらをしたり人に迷惑をかけそうになったりして「もう二人とはいっしょに学校行かへん!」と怒ったとき。 侑は「ええで、せーせーするわあ」と笑っていた。 けれど、治は違っていた。 侑がいなくなってからこそこそとわたしに近寄ってきて、袖をぎゅっと引っ張って「ちゃん、ごめんなさい」と涙目で言う。 わたしが「ええよ」と言うまで袖を離さなかったのを今でも覚えている。









「なー、これ分からへん」

 ばさっとわたしの目の前に教科書を広げる。 それに舌打ちをかますと侑は「不良や、が不良になりよった」と茶化すように笑った。
 突然部屋に上がり込んできた例の双子はわたしの机を占領して意外にも勉強をはじめた。 なんでも小テストがあるらしく、赤点を取ると部活に参加できないのだそうだ。 そんなに成績が悪いわけでもないんだから自分でやればいいのに。 そう言ったら「なにかと便利やん」とにっこり笑われた。 うるさい侑の前で静かに問題を解き続ける治。 侑に引きずられて無理やり連れてこられたのだろう。 気の毒に。 内心そう思いつつ仕方なく侑に解き方を教えてやる。 侑は「ほーん」といかにも興味なさげに説明を聞くと「ま、分かっとったけどな」と言ってノートに問題を解き始める。 侑はそういうところが昔から変わらなくて正直面白い。
 一方治は昔に比べると性格が変わった。 急に変わったわけではなく徐々に。 一年生、二年生、三年生、四年生……そうして高校二年生。 侑と喧嘩をしはじめるとうるさいし、ノリが悪いわけではないけれど、どちらかというと大人しいほうだろうか。 はじめて出会ったころの手のかかる悪ガキなんて印象はもうない。

「俺もう行くわ」
「来るときはちゃんと連絡してからにしてな」
「はいは〜い。 治は?」
「これ解いてから帰るわ」

 侑が部屋から出て行くと途端に静かな空間になる。 治はあまり話さなくなった。 一つ上の近所に住んでいる女の幼馴染。 高校生になっても仲が良いなんていうのは無理なのかもしれない。 クラスメイトに見られたら恥ずかしいとか自分の幼少期の恥ずかしいことを知られているとか。 そういうことを思ってもなんら不思議はない。 侑は意外と平気みたいだけど治は付き合わされている感が強いし、もしかしたら今日も嫌々連れてこられたのかも。 それにしては侑といっしょに帰らなかったし。 昔から謎の多い子だ。

「……ちゃん」
「うん?」
「これ、分からへん」

 指をさしたところを覗き込む。 侑とまったく同じところだ。 思わず笑ってしまうと、治が不思議そうな顔をしたので説明する。 治はわたしの顔をぼけっと見て話を聞いていたけれど、「やっぱ双子やなあ」と笑った瞬間だった。 なぜだか少し拗ねたような顔をしたように見えた。 治は教科書の端っこを指でいじりつつ「ちゃうし」と一言呟く。 ちゃうし、と言っても双子であることに間違いはないだろうに。

「拗ねんでええやん。 ごめんて」
「……ちゃん、昔っからいっつもそうや」
「何が?」
「侑のことは侑として見るのに、俺のことは侑の双子としてしか見いひん」
「……どういう意味?」

 治はそっぽを向いて「そのまんま」と言って余計に拗ねてしまった。 侑は侑として見るのに、治は侑の双子としてしか見ない。 うん、頭で繰り返すとこんがらがりそうだ。 侑は侑だし、治は治だ。 そう言っても治は「嘘や」と言う。 嘘も何も。 侑と治は違うのだから、治のことは治としてちゃんと見ているつもりなのだけど。 そうわたしが考えていると治はぽつりと呟く。 「侑のことばっか」と。
 集団登校の班に二人を連れて行くとき、いっしょに下校するとき。 ふさげはじめるのはいつも侑がきっかけだった。 治はつられていっしょにふざける、という感じだったからわたしはきっかけを作った侑をどちらかというときつく叱っていた。 治は言えば多少大人しくなるのであまり治に対して怒ったことはないかもしれない。 怒ると言えば侑といっしょに。 どちらかというと侑を中心に。 それは侑のほうが手がかかるから、という認識だった。 でもそれがどうやら治には「侑を贔屓している」というように見えていたようで。

「侑みたいにふざけても、俺にはあんまなんも言わへんし」
「やって侑、言うても聞かへんでなんべんも怒らなあかんかったし」
「俺のほうがちゃんと謝るのに、いっつも侑侑って言うんやもん」
「侑は謝らんからやで?」
「今も侑侑ってうっさいし」
「いや、これ治が言い出したんやけどな?」

 あ、ぶすくれた。 治はじっとわたしを睨むように見て「今日、はじめて俺の名前呼んだん、気付いた?」と言う。 言われてみれば、たしかに? 口数が多い侑と話していることが多かったし、ちょっかいをかけてくるのも相変わらず侑だったし? そう言われてみるとここ最近治の名前を声に出して呼んだ記憶はあまりなかった。
 でもなんか、そういうこと言ってくるのって、ちょっとかわいいかも? 小学生のときにこっそり涙目で謝りに来た治を思い出す。 あれもかわいいなあって思ってつい許してしまっていたっけ。

「まあ、そうなんかもしれへんけど、昔から治のほうがかわいいで」
「……」
「えっ、ご不満?」
「ご不満」

 即答だった。 治は開いていた教科書を閉じて鞄にしまい始める。 解き終わったようだ。 帰る準備を始めている。 機嫌を損ねたようなので若干気まずい。 治は無言で鞄に自分のものを詰め終わると、鞄を持たないまま立ち上がった。 勉強机の椅子に座ってそれをぼけっと眺めていると、治がわたしの目の前で立ち止まる。 そうして少し身を屈めた。 勉強机に、とん、と手をつく。 顔が近い。 じいっと瞳を覗き込まれているみたいだ。 無表情で何を考えているのか分からないけれど、話の流れからするとちょっと怒っているのだろうか。 そんなに嫌なことを言ってしまったのかな。

「……なあ」
「うん?」
「今、何も思ってへんやろ」
「何もっちゅうか、怒らせてしもうたかな〜とは思っとるよ……?」
「ちゃうし」
「え、何が?」

 苦笑いをこぼすと治は目を細めて若干苛立ちを表情に浮かべる。 いや、怒ってるじゃん。 この双子は昔から機嫌を損ねるのは簡単なのだけど、機嫌を取るのはかなり難しい。 ……ここまで考えて治の言葉を少し理解した。 本当だ、目の前にいる治に困っているはずなのに、双子というくくりで見ている自分がいる。 ちょっと悪いことをしたかな、と反省した。
 わたしがそんなふうに反省していると、治が「なんなん」と小さな声で呟いた。 そうしてぐいっと顔が近寄って来たかと思えば、唇の端っこに少し柔らかいものがぶつかった。

「こんなん、俺しかせえへんから」

 ぷいっとそっぽを向いたかと思えば顔が離れていく。 そのまま治は鞄を持って「謝らへんからな。 ちゃんのあほ」と言ってから出て行ってしまった。 放心状態で固まっていたわたしの視界の隅に白いものが映る。 そちらを見てみると机の上にプリントが忘れられていた。 置いてある位置的に治だろう。 今追いかければ間に合うかも。 そう思って放心したまま立ち上がってプリントに手を伸ばす。 その途中で気が付いた。 それはプリントじゃなくてルーズリーフで、何も書かれていないものだった。 手に取って見ても何も書いていない。 捨ててもいいだろうか。 そう思いつつ念のためひっくり返す。 裏面を見て、余計に放心した。 端っこに控えめに、消しゴムでちょっとこすったらすぐ消えるくらいの薄く。 ちゃんが好き、と書かれたそれは不思議なことに、治の声でしか再生できなかった。


ロマンス開始の密約書
Thanks 2nd Anniversary!