※喧嘩後に一緒に住み始めてからのお話です。


「ねえよ。そもそもラブホに入ったことがない」
「マジ? さんとも?」
「そんなところに連れて行きたくない」

「エメラルド」10.朝焼けの香り より



 賢二郎が珍しく二連休ができたと言うので、わたしも上司にお願いして有休を使って二連休を作った。家でのんびり過ごせればいいやと思っていたのだけど、賢二郎がせっかくだからどこかに行こうと言い出した。呼び出しとかあるんじゃないの、と心配したらちょっと照れくさそうに「〝彼女孝行してこい〟って言われたんで」と教えてくれた。優しい上司だね。そう笑ったら「まあ、はい」とはにかんでくれた。
 二人で久しぶりに東京に遊びに来たまではよかった。天気予報はしっかり晴れマークだったし降水確率も低かった。日差しが強いので紫外線対策はしっかりしましょう、とお天気お姉さんが笑顔で注意を促していたっけ。いい天気になりそうでよかったな、なんて出発したときには思っていた。
 東京に到着したのが午前十時前。二人で事前に行きたいところの案を出し合っていたので順番に回った。わたしは買い物中心、賢二郎は観光地中心。そんな感じでバランス良く東京観光をした。気が付けば午後五時になっていた。わたしも賢二郎も元々日帰りのつもりだったのだけど、ここに来て一泊していくのもアリか、と珍しくお互いの意見が一致した。正直わたしも賢二郎もどちらかと言えば慎重派で、イレギュラーな行動はあまりしないタイプだ。行き当たりばったりで行動するなんてことは本当に珍しいことで、二人してちょっとはしゃいでるね、と笑ったものだった。
 平日だし、世間が長期連休というわけでもない。駅前なんか山のようにホテルがあるしどこにでも泊まれるだろう。そうお互い思っていたので、特にホテルを調べることなく次の目的地へ向かった。

「あのときホテルを探すべきでしたね」
「ちょっと二人してテンションがおかしかったかもね」

 深いため息をついた賢二郎がポケットからスマホを出した。ホテルを探してくれているのだ。さて、どうしてこうなってしまったものか。そんなふうに悩ましげに笑ってしまう。
 事態が急変したのは二時間前のことだった。賢二郎が行きたいと言った水族館から出ると、何やらとんでもなく空が荒れていた。土砂降りの雨と吹き荒れる暴風。水族館を二時間ほど回っているうちに一体何が。そんなふうに二人でちょっと驚いていると、近くを歩いていたカップルの声が聞こえてきた。「電車、事故で止まってるらしいよー」と。そういえば駅からほど近い水族館なのだけど、閉館時間が迫っているのにやけに人が多かった。恐らく駅に行っても無駄だ、と雨宿りをしているお客さんが多かったのだと思う。
 「どうする?」と賢二郎に言ったら「駅の近くにホテルがあるでしょうし、そこでいいですか」という返答があった。そうか、別に電車に乗らなきゃいけない理由はないしね。そんなふうにお気楽に二人で駅に向かって歩いた。びしょ濡れになりつつ。
 駅前に到着してまた驚いた。事故で電車が止まっているにしても人が多すぎる。ごった返している、というのはまさにこのこと、というくらいの人混みだった。電車に乗る用事はないが二人で呆気に取られる。異様な光景を見て、もしかして何かとんでもないことが起こっているのでは、と少し不安になったほどだった。
 で、その不安が的中することになる。突如として巻き起こった嵐と事故により電車が完全にストップ。タクシー乗り場は終わりの見えぬ大行列。帰宅難民で溢れかえった駅近くのホテルはすでに押さえられたあとだったのだ。

「今後うちの朝のニュース番組はおはようテレビからモーニング・サンにします」
「えー、おはようテレビのお天気お姉さんかわいいのになあ」
「大ハズレする天気予報なんて見てる暇ないんですよ、こっちは」

 おはようテレビだけじゃなくてモーニング・サンも外してたと思うよ、これは。そう苦笑いをしたら賢二郎は少し考えて「確かに」と呟いた。近年の異常気象に振り回されているのはわたしたちのような市民はもちろんだけど、天気を伝えなければいけない天気予報士さんが誰よりもそうだろう。こんなの当てられるわけがない、とさじを投げているかもしれない。大雨と強風、それに加えて竜巻、雷警報も出ているらしい。何もかもがいっぺんに東京を襲っている。埼玉のほうでは突然雹が降ったという。悲惨すぎて苦笑いしか出てこない。
 移動しようにも交通機関はパンクしている。この駅近くから動くことはできない。このままずっと待っていればタクシーに乗れるかもしれないし、電車がそのうち動き出すかもしれない。全部不確定だし、現在時刻午後八時半。夏とはいえ全身ずぶ濡れで少し肌寒くなってきた。できればどこか泊まれるところがあればいいのだけど。カプセルホテルでも何でもいいから。そんなふうに考えつつわたしもホテル探しをはじめる。もっと大きな駅の近くだったらたくさんあるだろうになあ。そんなふうに思いつつ二人でそれぞれスマホと睨めっこを続ける。
 スマホを睨み続けて十分ほどが経ったとき、賢二郎が深いため息をこぼす。イライラしてるなあ。そうちょっと笑ったらくしゃみが出た。本格的に肌寒い。このままだと風邪を引いて休みが潰れるオチかもな、と肩を落としてしまう。

「…………さん」
「うん? いいとこあった?」
「いいところはないですけど」

 歯切れが悪い。いつの間にかスマホもポケットにしまっていたらしかった。賢二郎は「とりあえずコンビニで傘を買いましょう」と人でごった返している駅前をどうにかこうにかわたしの手を引いて歩いて行く。確かに移動するにしても、風がすごいとはいえ傘はほしいかも。それにしても何か良い案があるのなら有難いけど、なんでちょっと言いづらそうな顔をしたんだろう。それがよく分からなかった。
 それぞれビニール傘を一本と、わたしはあったら嬉しいと思っていた下着と化粧品を買った。買い物を終えてコンビニから出てもまだ結構な土砂降りだ。さて、ここからどうするのか。賢二郎の様子を窺っていると「とりあえず向かいます」と言う。どこに? わたしがそうクエスチョンを飛ばしても答えはない。なんで答えないの? 不思議に思ったけど、賢二郎のことだからまた変なことを気にしているのだろう。そうあまり気に留めないことにした。
 傘を差しているのが無駄に思える。横殴りの雨にひいひい言いながら、水族館を通り過ぎた。どこ行くんだろう。そう不思議に思っていると賢二郎が細い道に入っていく。こんな道よく知ってるなあ。そんなふうに隣を歩いていると、何もなさそうな道にも関わらず人が歩いていることに気が付く。様子からしてどうやらカップルが二組だ。こんな時間に何かあるのかな。そう思っていると賢二郎がぼそりと「空いてないか」と言った。

「もしかして漫画喫茶とかあった?」
「いや違います」
「何?」

 言いたくないって顔。ちょっと面白い。でもこんなびしょ濡れになる雨の中歩いてきたのだし、目的地くらい教えてほしいんだけど? そう目で訴えかけたら、ぐっ、と悔しそうな顔をされた。もう付き合って結構経つ。賢二郎が弱い表情くらいは心得ているつもりだ。じいっと賢二郎を見つめ続けて言葉を待つ。けれど、珍しく負けなかった賢二郎が「もう着くので」と目をそらした。
 同じ方向に歩いて行く二組がとある建物に入っていった。建物を見てみると「HOTEL」という文字。あ、ここか。ホテルを見つけてくれていたのならそう言ってくれたらよかったのに。なんで勿体ぶって教えてくれなかったのだろうか。そう思いつつ「見つけてくれてたんだ?」と傘を片手で押さえつつ建物を指差す。賢二郎は苦虫を噛み潰したような顔をして「まあ、はい、そうですね」とだけ言う。なんでそんな顔するの。不思議だったけど探してくれていたのだからこれ以上は何も言わないでおいた。
 建物の軒下で傘を畳む。傘袋が置かれていたのでそれに傘を入れてから傘立てへ。その間もずっと賢二郎が何となく様子が変だったけど、まあ部屋に入ってから聞けばいいか、と気にしないことにした。

「あれ、誰もいないね?」
「……あの」
「うん?」
「ここ、何か分かってます?」
「……え、ホテルじゃないの?」
「ホテルですけど」

 意味が分からない。首を傾げたら賢二郎は目を細めて小さくため息をついた。馬鹿にしたでしょ、今。そう肩を小突いておく。そんなわたしを置いてスタスタと何かの機械の前に歩いて行ってしまう。さっきから何。なんで不満げというか、なんとなく不服そうなんだろう。賢二郎についていくと、部屋の写真が貼られているらしい画面とボタンがついた機械があった。

「これ何?」
「いや、俺もはじめてなんでシステムがよく分かりません」
「……ホテルなんだよね?」
「ホテルです。ここまで来たら入るしかないんで部屋選んでください」

 入り口のほうから人の話し声が聞こえてきた。男女二人組らしい。さっきの二人組もカップルだったから、この人たちもカップルかな。みんな駅前のホテルが空いてなくて、濡れながらもこっちに来たのだろう。のんびり考えていると賢二郎が「さん早くしてください」と急かしてきた。仕方なく一番普通そうな部屋を指差すと、賢二郎がすぐにその部屋のボタンを押した。カードキーを機械から取ってさっさとエレベーターのほうへ歩いて行く。早歩き。後で来る人の邪魔になるのが嫌だったのだろうか。意外と気にしいだもんね。
 指定の階で下りて部屋に向かう途中、さっきの機械にあった部屋の写真を思い出す。なんか煌びやかだったりピンクだったり変わった部屋があったな。落ち着かなさそうだったから普通の部屋にしたけど。料金表みたいなものがあったのでちらっと見たら普通のホテルよりちょっと安く感じた。建物自体が古そうだし、フロントも無人なんて珍しいから激安ホテルみたいな感じなのだろう。
 部屋のオートロックを開けながら賢二郎が、外観が古そうだったから嫌だったけど中は改装されていて安心した、と言った。確かに。外観はホテルだと思わなかったくらい古かったな。フロントも良いように言えばレトロな感じだった。鍵がちゃんとオートロックになっているし、部屋もきれいに改装されているんじゃないだろうか。賢二郎がドアを開けて「どうぞ」と言ってくれた。そそくさと部屋に入ると、思ったよりもきれいでおしゃれな雰囲気で驚いた。

「結構広いですね」
「ね、よかった…………ん?!」
「え、なんですか」
「ちょ、ちょっと、え、あの、お風呂……」

 ガラス張りなんだけど。こんなに素敵な部屋なのになんでそこは大胆にしちゃったんだろう?! そんなふうにわたしが驚いている隣で賢二郎は「そうなってる部屋が多いらしいんで諦めてください」と冷静に言った。多いらしい、って、わたしが今まで泊まってきたホテルではそんなこと一度もなかったけど。今の流行りなのかな。いいことなんか一つもないように思うけど。

「もっといいところだと夜景がバスルームからも見えるように、とかそういうことらしいです」
「ああ、高層階とかだとね。でもここ、外見えないけど……」
「バスルームから部屋が見えるようにしてあることが多いらしいですよ、ラブホテルって」
「……え、ら、ラブホテル?」
「そうですけど」
「ここ?」
「部屋を選ぶタッチパネルなんてラブホテルにしかないですよ」

 ようやく気付きましたか、とちょっと呆れられた。わたしの荷物を持つと自分のと一緒に部屋の隅に置く。それからベッドの近くに置いてあった紙に視線を落とすと「さん、ここのフロアにコインランドリーあるみたいなんで」と言った。

「な、なんか普通のホテルみたい」
「元々はビジネスホテルとかだったものを改装したのかもしれないですね」
「そっか、そうかもね」
「というわけで洗濯してくるんで、服脱いでください」
「えっ」
さんとしてもそのほうがいいんじゃないですか」
「そ、そりゃあ、洗いたいけど……」
「それに、その間にお風呂入っておいたほうがいいんじゃないですか」
「……入ります」

 さすがに見られるのは恥ずかしい。一緒に入るのとはちょっと違うというか、なんというか。でも、服を洗濯するなら賢二郎はどうするの、と聞いたら「仕方ないんでバスローブで行きます」と嫌そうに言った。あとでわたしが賢二郎の分を持って行こうかと提案したけど、「ラブホの廊下を一人でうろつかせたくない」と言ってくれた。優しい。ちょっと嬉しかった。
 賢二郎に背中を向けてもらって、とりあえずバスローブに着替えた。下着はコンビニで買った物があるから服だけお願いすることにした。カードキーを持って「鍵ちゃんと閉めてください」と言い残して賢二郎が出て行く。広い部屋に一人で取り残されてしまった。ちょっと寂しい。
 それにしても、まさかラブホテルだとは夢にも思わなかった。はじめて来たけど結構普通のホテルと変わらないんだな、なんてお風呂に向かいつつ思い出す。あのパネルにあった煌びやかだったりピンクっぽかったりする部屋はそういうことだったのか。ラブホテルと聞くとそういう、ちょっといかがわしい部屋のイメージだったけど、今思えばわたしが選ばなかった部屋は言われてみれば。あの時点で気付くよなあ、普通。そうちょっと情けなく思った。賢二郎、こういうところ好きじゃないって言ってたから、あんな嫌そうな顔してたんだ。懐かしいクリスマスのことを思い出して笑ってしまう。だめだ、これは絶対口にしちゃいけない。賢二郎にとっては黒歴史らしいから。
 気持ち急ぎめにお風呂に入り、そそくさとバスローブを着て部屋に戻る。帰ってくる前に出られて良かった。ほっとしつつぐるりと部屋を見渡してみる。ちょっと装飾が豪華な感じって以外は普通のホテルだなあ。ベッドが大きいなって思ったけど、そっか、ラブホテルだからか。そう思うとちょっと照れてしまった。よくよく観察してみればベッドサイドに、結構露骨に、あの、あれが置かれているし。本当にそういうことをする人向けにあるんだなあ。ちょっとどきどきしてしまった。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 賢二郎がお風呂に入っている間はスマホを見て背中を向けた。ベッドの上で縮こまるように三角座りをして大人しくしている。なんか、生々しい。一人で勝手に照れつつ息を吐くと、SNSで電車が復旧しはじめた情報を見つけた。タップして記事を読んでみると警報も続々と解除されていっているらしい。駅で待っててもよかったかも。でも、結果的に泊まれるところを見つけられたわけだし、まあいいか。そう記事を閉じた。
 バスルームのドアが開いた。賢二郎が「冷蔵庫、何が入ってますか」と聞いてきたので備え付けてある冷蔵庫を開けてみる。ペットボトルの水が二本。お金がかかるやつなのだろうか。そうじっと見ていると「これはサービスのやつなんで大丈夫ですよ」と教えてくれる。

「雨、落ち着いてきたみたいだよ」
「明日には止んでるでしょうね。帰りの心配があったんでよかったです」

 タオルで髪を拭きながら隣に座る。一つあくびをこぼしてから「まあ、結果オーライですね」と言った。わたしのスマホを覗き込むように賢二郎が体を動かすと、ギシ、とベッドが軋む。その音を妙に意識してしまって、ちょっと、どうすればいいか分からなくなってしまう。
 別にもう恥ずかしがることでもないのに。一人で呼吸を整えるように言い聞かせる。別に、もうそれなりに付き合って長いし、こういうところに来たって、気にすることじゃない。場所がいつもと違うだけでしょ。そんなふうに。二人で旅行に行って泊まったホテルとかと変わらない。気にすることなんて何もない。緊張することもどきどきすることもないのに。なんでか、やけに意識してしまう。

「……さん、先に言っておきますけど」
「あ、うん?」
「何もしないので」
「……へっ」
「さっきからそわそわしているので気にしているのかと思ったんですけど、違いますか」

 バレていた。最近思っていたけどあのクリスマスの事件以来、賢二郎はわたしの嘘とか違和感にとても敏感になった。どんなに些細なことでもすぐに気が付くし、どうでもいい嘘や誤魔化しでも徹底的に追及してくる。それがちょっと怖くもあるけど、なんか、愛されてるかも、なんてのんきに思っている。

「利用する人を否定するわけではないですけど、そういうことをするために連れ込んで、そういうことが終わったら帰る、みたいな流れが個人的に好きではないので」

 賢二郎は照れくさかったのか「以上です」と付け足して、目をそらした。そういうふうに思っていたんだ。はじめて聞いた。てっきり不衛生だとか他の人がそういうことをした部屋が嫌だとか、そんな理由かと想像していただけに驚く。こういうところを利用する人の中にはもちろん相手を思いやって、という理由の人もいるだろう。住んでいるマンションとかだと音漏れの心配があるとか、お互い同居家族がいるとか。でもそのどちらも今のところ当てはまらないから、賢二郎にとってはこういうところにわたしを連れてくるのは後ろめたいことだったのだろう。大事にしてくれてるんだなあ、なんて、自惚れてみる。

「本当に、何もしないの?」
「………………えっ」
「だって、ほら、そういうことをするために連れ込んだわけじゃない、でしょ?」
「…………」
「そっ、そんなにびっくりしなくても!」

 じっとわたしを見て目をまん丸にした賢二郎の背中を軽く叩く。賢二郎はしばらくそのまま固まっていたけど、ふとした瞬間にふいっと目をそらして深いため息を吐いた。

「なんでこういうときに限って煽るようなことを……」
「ご、ごめん、そういうつもりじゃなかったんだけど」
「とにかく、今日は何もしません」
「……もしわたしが、してって言っても?」
「…………」

 視線が戻ってきた。とんでもなく怖い顔で睨まれている。余計なことを言った自覚はあるけど、ちょっと聞いてみたかったから仕方ない。甘んじて怖い顔は受け入れることにする。賢二郎の怖い顔は次第に呆れ顔に変わって、またため息を吐きながら頭を抱えて視線をそらした。そんなに呆れなくても。ちょっと傷付く。
 賢二郎はしばらく頭を抱えて俯いていたけど、ふとした瞬間に横目でちらりとわたしを見た。濡れた前髪の隙間から賢二郎の瞳が見えて、ちょっとどきっとしてしまう。

「……して、と言われたら、しますよ、そりゃあ。正直この状況で何もしない男のほうが珍しいんですよ、分かってます?」
「うん、分かってます、ごめんなさい」

 怒られてしまった。苦笑いをこぼしつつスマホの画面を消して枕元に置く。歯磨きしようかな。大人しく寝たほうが良さそうだし。そんなふうに思いつつ賢二郎から視線を外した。

さんが言わない限りはしません」
「ご、ごめんってば」
「なので、誘うならちゃんと誘ってください」

 思わせ振りなことを言ったのはたぶん、ちょっと、期待していたところがあったからだったと思う。そんなことは賢二郎には筒抜けだったらしくて、ほんの少し照れているように光る瞳が言葉を促してくる。その瞳にわたしも、ほんの少しだけ期待が隠れているんじゃないかと、思ってしまった。
 ベッドから下りようと膝立ちしていたけど、もう一度腰を下ろす。さ、誘う、とは。あんまりそういうこと、したことがない。たまに、してほしいなって思ったときは、ちょっとくっついてみたりはするけど。
 じっと見られたままで恥ずかしい。たぶんもう顔が赤いだろうから余計に。なんか、はしたない女だって、思われてそう。少しの不安があったけれど仕方がない。そういう気分の、ときもある。男も女もそれは一緒だと思う、けど。

「……して、ほしい、です」
「…………」
「無言が一番傷付くんだけど……?」
「いや、すみません。本当に言ってくれると思わなかったので」

 控えめに手招きされた。そうっとベッドが軋まないようにゆっくり近付くと、きゅっと抱き寄せてくれる。耳元で小さなため息をついたのが聞こえてちょっとムッとしてしまう。「嫌ならしなくていい」と少し拗ねてしまった。賢二郎は「嫌じゃないですけど」と言いつつまたため息をつきつつ、わたしの背中を優しく撫でた。

「こういうところに連れてくることはないはずだったので、ちょっと、不本意というか」
「そんなに気になる?」
「なりますよ。後ろめたいというか、なんというか」

 仕方ないでしょ、泊まるところがなかったんだから。そう脳天気に笑ったら賢二郎が「お気楽で良いですね」と嫌味を言ってきた。お気楽って。脇腹をつねってやる。賢二郎だからお気楽に構えてるだけだよ。分かってないなあ、なんて笑ってしまう。

「普段大事にしてくれてるの、分かってるからだよ。場所がどこでもそれは変わらないのも分かってるから、わたしは気にならないよ」

 今日一番の深いため息が聞こえた。そこ、ため息つくところ? そんなふうに笑っているとぎゅうっと腕の力が強くなった。
 そういうことがしたいから付き合ってるわけじゃない、とか、そういう気持ちを小難しくしているんだろう。優しくて真面目だからね、賢二郎。たまにもっと雑にしてくれていいのにって思うことがある。この人だからいっか、みたいな感じでいいのに、もう。一生そうならない気がしている。まあ、そういうところが好きだから、仕方ないね。そう小さく笑ったら「何笑ってるんですか」と拗ねられた。


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