子どものころから、憧れは少女漫画のヒロインだった。どんなにひどい状況に置かれていても、健気に頑張ればきっと幸せな出来事が待っている。きっと理解してくれる人が現れてくれる。そう希望が持てるから。
 佐久早くんの言う通りだった。やりたくないことや誰かを傷つけることをするくらいなら、わたしは一人のほうが心は痛まない。やりたくないことや誰かを傷つけることをするように言ってくる子たちとは、別に仲良くならなくてもいい。嫌われたっていい。そう、中学に入ってはじめて思えた。
 いつものグループの子たちが「サクサマジでムカつく。なんかやってやろうよ」と言い始めて、最終的にわたしがもう一度付き合ってほしいと泣いて懇願したらいい、なんて結論に落ち着いた。いつものように「、今日やって」と、命令された。
 そう。これは命令だったのだ。友達同士の相談でも何でもなく、ただの命令。わたしは彼女たちにとっては友達ではなかった。心のどこかで分かっていたけど、それをようやく思い知った気がした。
 小さく深呼吸をして、一つ間を空けてから「やりたくない」と口に出した。生まれて初めて、人を拒絶した。それに心臓がうるさく音を立てる。ぎゅっと拳を握るわたしにリーダー格の子が「は? に拒否権ないんだけど」と冷たく笑った。今日の放課後に佐久早くんが部活に行こうとしているのを引き止めてやれ、と言われて、また拳を握る。「嫌だ。やりたくない」。口に出せた。とても、心臓が痛い。殴られるかもしれない。もしかしたら嫌がらせをされるかもしれない。そんな不安が体中を駆け回ってどこが痛いのか分からないほどだった。
 あっさりとしたものだった。リーダー格の子が少し黙ってから、もう気持ちも何もこもっていない声で「あっそ」とだけ言った。それからわたしなどこの世に存在していないかのように他の子と話し始める。他の子もリーダー格の子と同じようにわたしを無視して、別の楽しい話をはじめた。そっとグループから離れて歩き始めても、振り返りもしない。これまでのわたしならとても不安に思っただろうに、なぜだかとても安心している自分がいて、泣きそうだった。



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 佐久早くんに謝罪の手紙を書いた。直接会いに行くとまた周りに面白がられて迷惑をかけるかもしれない。そう悩んだ末に手紙にしっかり謝罪を書いて、またあの嘘のラブレターのように下駄箱に入れたのだ。あのときのように読んでもらえなくてもいい。これはわたしの自己満足なのだから。
 もう休み時間にあの子たちのジュースを買いに行かなくていい。移動教室のたびに荷物を持たされなくていい。お昼休みの場所取りをしなくていい。帰り道に行きたくないゲームセンターに行かなくていい。一人で歩くのはこれまで怖かったはずなのに、とても広く感じて安心した。
 佐久早くんに告白したという噂も相まって、どこか遠巻きにこそこそとされる日々。居心地は悪いけれど嫌なことをしたり人を傷つけたりするよりはマシだと思えた。あの子たちはもうわたしに声をかけてくることはない。でも、わたしが輪に入っていたときと変わらず毎日賑やかに楽しそうにしている。その姿を見てほっとしてしまうわたしは、お人好しなのだろうか。あの子たちにとっていなくなってもどうでもいい存在だった。傷付くこともしこりを残すこともなかった。あんなにいいように使われていたのに、そう、ほっとしたのだ。
 佐久早くんとは、話すことはもちろんなかった。廊下ですれ違うことはあってももちろん声はかけないし、かけられることもない。佐久早くんがこちらを見ることもない。それが何よりわたしにとっては救いだった。


ヒロイン にせものさがし

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