darling

合同合宿7(k)

 夜、風呂上がりに部屋へ戻るために階段を上がっていると、烏野のマネージャーとすれ違った。小さい、星の髪留めの子。名前は確か谷地さんだったかな。あんなに急いでどこに行くんだろう。不思議に思いつつもそのまま階段を上がった。
 部屋に着くと、木兎と音駒の黒尾が腕相撲をはじめようとしている場面だった。「何してんの」と笑いつつ声をかけると、どっちがジュースを奢るかの対決なのだとか。どういう流れだよ。笑って二人の横を通りつつ自分の布団が敷いてある場所へ。鞄を開けて荷物を適当に詰めていると、バタバタと騒がしい足音が廊下から響いてきた。そして、その足音がちょうどすぐ近くで止まると同時に、ものすごい勢いでドアが開いた。

「木葉いる?!」
「うおっ、え、何? いるけど?」
「ちょっと来て! 至急!」

 雀田だった。あんまりにすごい剣幕には木兎と黒尾も「どうした?」と腕相撲の途中で顔を上げるほど。名指しされたので恐る恐る荷物を鞄の上に置いてから立ち上がる。あまりに鈍い動きだったせいで「さっさと来い!」と怒られた。マジで怖いんですけど。内心でそう呟きつつ小走りで雀田の近くへ行く。
 俺が近くに来ると、雀田が問答無用で首根っこを掴んでくる。ずるずると廊下に引きずり出されてしまい、そのままずるずると廊下を歩いて行く。何、本当に怖い。俺なんかしたっけ? ぐるぐるとやらかしたことを考えてみるが、ここ最近は怒られるようなやらかしはしていないはず。弱った。全く原因が分からない。謝りようもないし改善のしようもない。というか怒られるようなこと、普段からしてないんですが。途方に暮れていると、雀田が階段を下りはじまる前にぱっと手を離した。

「あ、あの~……何かございましたでしょうか……」
ちゃんがね」
? え、なんかあったのか?」
「お風呂でのぼせちゃったの。部屋まで運んでほしくて」

 俺を呼びに来たときより声が落ち着いているように思えたけど、表情を見れば分かる。心配そうな顔だ。二人で階段を下りながら詳しく話を聞く。梟谷三人、烏野一人、森然一人の五人で風呂に入っていたときに、が突然ぐったりしてしまったのだという。どうにかこうにか力を合わせてを風呂から上げて、体を冷やして様子を見ていたのだが、未だにしんどそうにしているという。着替えさせてからコーチに様子を診てもらうと、話せているし意識もはっきりしているから病院には行かなくていいという判断になったそうだ。しばらく休んで回復したら部屋で休むように、と指示があったらしい。マネージャーたちはこれから掃除や明日の準備が多少あるそうなのだが、の分は全員で分担してやることになった、と雀田は肩を落としながら話した。
 大事にならなくてよかったと胸を撫で下ろすと、雀田も「うん」と少しだけ笑う。意識があって話せているのなら、コーチが言うように病院に行く必要はないだろう。しっかり水分を取って休めば良くなるはずだ。合宿に入ってから、結構頑張っていたし疲労がどっと出てしまったのかもしれない。雀田はそう言うと「私たちがもう少し気を付けてあげなきゃだめだった」と呟く。さすがにそれには「いやいや」とフォローを入れておく。確かにお互いの体調を気遣うのは大切だけど、だからってが倒れたことは雀田たちの責任ではない。は子どもじゃないんだぞ、と軽く背中を叩いてやる。も体調管理を怠ったわけではないだろう。本人も気付かないうちに体力を消耗していて、それがうまく回復できなかったんだと思う。そう言うと雀田はほんの少しだけ不満げにしたが、「ありがと」と素っ気なく返してきた。
 一階の奥にある浴場の前に着くと、雀田が「ちょっと待ってて」と言って一人で中に入っていった。中から「木葉来たけど入れていい?」と他のマネージャーに確認を取っている。の声は聞こえてこない。大丈夫、なんだよな? そんなふうに少し不安が顔を出す。少し心臓が痛い。嫌な鼓動の音だ。ゆっくり瞬きをしてから、静かに深呼吸。そこに雀田が「木葉、いいよー」と声をかけてきた。一応ドアをノックしてから恐る恐る開ける。中にはマネージャーが勢揃いしていて、今更女湯側に足を踏み入れることにちょっと緊張してしまう。
 いや、でもそんな緊張は一瞬だった。脱衣所の長椅子で仰向けになっている。ぎゅっと目を瞑っているせいで眉間にしわが寄っている。そばには白福と烏野のマネージャー二人がいた。白福が「ちゃん、木葉来たよ」と明るい声で話しかけている。

「コーチには歩けそうになかったら木葉に頼むって言ってあるから、三階入っても大丈夫だよ~」
「了解です」
ちゃん、体起こせる? 木葉に運んでもらおっか」

 話せる、と聞いていたけど、全然が話さない。でも白福の言葉に頷いたり手を動かしたりして反応はしている。平気、なんだよな? また不安が顔を覗かせた瞬間、気が付いた。
 白福がの手を掴んで起こそうとしているのを止めた。「そのままでいい」と俺が言うと「え、ほんと?」と少しほっとしたような顔をする。白福がの手を離して、俺に場所を譲るように横へずれた。の前でしゃがんで「大丈夫か?」と声をかけると、小さく鼻をすすった音が聞こえてくる。
 に首に腕を回すように言ったら小さく頷いて、力なく腕が動いた。だらんと俺の首に腕をひっかけてくれたので、左腕をの肩の下に差し込んで、右手を太腿の下に回り込ませる。横抱きにするのはいろいろあって不都合なので、の体が俺のほうを向くように。そのまま体を抱き起こすと「お~」とマネージャー陣が小さく拍手をした。

「はずいからやめろって……で、の荷物は? 任せていいのか?」
「もちろん! ごめんだけど、私たちまだ仕事があるから先に行ってくれる?」
「かおりが洗濯終わったら部屋に戻るから、それまで見ててあげてね~」
「えっ、いや、俺はいいけど……えーっと、部屋にいても、大丈夫なんでしょうか……?」
「いいよ、どうせ木葉だし」
「おいやめろ、何か傷付くだろ?!」

 他校のマネージャー陣からも了承をもらい、複雑な気持ちになりつつ脱衣所を後にする。は俺にぎゅっと抱きついたまままだ話さない。体が温い。部屋に着いたら冷やすものも準備できればいいけどな。そんなことを考えつつ、軽くの背中を撫でた。それから、少し笑ってしまう。

「いや、泣くなって。風呂でのぼせるなんて誰でもあることだし、気にすんなよ」

 ぐずぐずと鼻をすする音が大きくなった。やっぱりか。脱衣所で話さなくなったのは、泣いてしまうのを堪えていたからだった。の性格上、こうして体調不良でダウンしてしまうことはかなり気にするだろうと予想はしていた。その上仕事の分担を他のマネージャーたちだけで、となれば余計に気にするに違いない。
 がしんどい思いをしているところ申し訳ないけど、ふと思い出してしまった。祭りの日もこうしてを抱えて歩いた。そのときもの顔が他のやつに見られないようにしていたな。あのときは泣いていたんじゃなくて照れていただけだったけど。
 ぐずぐずしているに「気持ち悪いとか、苦しいとかないか?」と聞いてみる。しんどそうであることに変わりはない。喉が渇いたとか気分が悪いとか、そういうことがあればすぐに言ってほしい。そう伝えていると階段に到着した。一段目に足をかけようとしたとき、が俺の首元に埋めていた顔をぱっと上げた。

「お、降ります」
「え? なんで?」
「階段は、あの、さすがに……」
「別にこれくらい余裕ですけども」
「で、でも」
「いいって。かっこつけさせてください」

 あ、余計に泣いた。そう軽く笑ってやる。は何もかもを重く受け止めすぎるところがあるから、もうちょっと俺みたいに気楽に考えないとな。そんなふうに先輩風を吹かせておく。階段を上がりながらの背中を撫でると、ちょっと苦しいくらいの腕の力が強まった。

「め、迷惑を、かけてしまって、情けないです」
「迷惑なんて誰も思ってないだろ。マネージャー全員心配してたぞ」
「やらなきゃいけないことも、わたしだけできなくて」
がやりたくないからやらないわけじゃないだろ。体調が悪いから休むだけ。元気になったらできるようになるだろ?」
「でも……」
「じゃあさ、雀田が体調不良で仕事を休んだとして、それを迷惑だって思うか?」
「……思いません」
「な? だから大丈夫だよ」

 二階に到着。そのまま三階へ上がろうとしたとき、ちょうどトイレに来ていたらしい赤葦と遭遇した。ばちっと目が合ったが、赤葦は黙ってじっとこっちを見ている。できれば話しかけてもらわないほうが助かる。はこういう姿をあまり人に見られたくないみたいだし。どうにかそれを視線で伝えると、赤葦にどうにか伝わったらしい。ぐっと親指を立ててなぜか頷いたのち、そっと部屋のほうへ歩いて行ってくれた。本当にめちゃくちゃ空気の読める後輩だな。逆に怖いわ。
 他のやつには見つかることなく三階に到着。そういえば部屋の場所、聞いてなかったな。に「部屋ってどこ?」と聞いてみると、左に曲がってすぐの教室、と教えてくれた。左に曲がってすぐ。そう頭で繰り返しながら左へ曲がり、すぐの教室の中を覗いてみる。布団が敷かれている。ここで間違いない。の布団はどれだ? それも聞こうかと思ったけど、ちょっと見たらすぐに分かった。の鞄と見たことがあるTシャツが置かれている布団だ。一応「手前から三個目のとこでいいか?」と確認すると、思った通り頷いて肯定の返事があった。
 を抱えたまま布団に近付き、ゆっくり布団の近くでしゃがむ。これ、どうやって腕を離すのが正解なんだろうか。やったことがないから正直よく分からない。この場で離す、といってもまだが離す気配がないし、このまま布団に寝かせてから離したらいいのか? とりあえずを抱えたまま体の位置を調整して、の頭が枕にいく場所で止まる。それからゆっくり身を屈めるとなぜだかがぎゅっと腕の力を強めた。落ちるのが怖いのか。そう気付いて頭を左手で支えつつ、ゆっくり頭を枕に乗せる。するりと左手を抜いて、右手も脚から離す。

「え~っと、さん? 布団に到着したので、離してもらえると助かるかな~、と……」

 無反応。未だに俺の首に抱きついたままがぴくりとも動かなくなってしまった。この体勢は、正直結構しんどい。腹筋がじわじわと疲労してくる感覚を知らんふりしながらの頭の横辺りの布団を軽く叩く。「起きてるか~?」と笑いながら話しかけるけど無視されてしまう。何が機嫌を損ねてしまったのか。少しだけ困りつつも、正直、ちょっと嬉しく思う自分がいる。
 がこんなふうに我が儘なことをできる相手になれたんだな、俺って。まあ、これが我が儘による行動なのかはまだ分からないけれど。勝手に一人で嬉しいほうに思っておくことにした。
 ふとした瞬間にぱっと手が離れた。ぐらりと体が揺れて、はた、とを見下ろす。急に離してくれたな。びっくした。そう内心呟く。の髪の毛がぐしゃぐしゃになっている。たぶん涙で顔に張り付いているせいで余計にぐしゃぐしゃに見えているのだろう。「どうしたどうした」と笑ってやりつつ、ぐしゃぐしゃの髪をかき分けて顔を出してやる。はどこか拗ねたような顔をして、視線だけ逸らしていた。

「なんか」
「はいはい?」
「……わたしばっかり、情けないところを見られている気がして、嫌です」

 もぞもぞと体を動かして、が掛け布団をたぐりよせた。それを頭から被ると「見ないでください」と小さな声で呟いた。ほんの少しだけ出ている髪の毛。掛け布団を掴む指。それ以外は布団の中に隠れてしまった。
 拗ねどころがよく分からない。声に出さないように笑っておく。情けないところ、といえば俺だって合宿中にに結構見られている気がするけど、どうやらはそう思っていないらしい。五分五分だと思うけどな、俺たち。
 廊下から足音が聞こえてきた。雀田だろう。洗濯が終わったら戻ってくると言っていたし、俺はここでお役御免だ。布団に埋まったままのの頭と思われるところをぽんぽん軽く叩く。「ゆっくり休んで明日も頑張ろうな」と声をかけた。は小さな声で「はい。ありがとうございました」とロボットみたいなトーンで言う。拗ねるなって。かわいいから。そう頭をつんつんしていると、ドアががらっと開いた。

ちゃんどう? 大丈夫?」
「まだ疲れてるっぽいけど、休んだら回復すると思う。今日いっぱい気に掛けてくれると助かります」
「言われなくても気に掛けます~。彼氏面しないでくださ~い」
「彼氏なんですけど?!」

 の頭を最後に軽く撫でてから「じゃあ。おやすみ」と言う。はもぞもぞと布団から顔を出して「おやすみなさい」と仏頂面で返してくれた。なんだよその顔。けらけら笑っていると雀田がこっちに近付いてきて「はいイチャイチャしない」と注意してくる。そのまま俺の背中をぐいぐい押す。「彼氏さんご退場くださ~い」と笑って雀田が言う。そのままドアの外へ押し出されてしまった。