darling

ひまわりの花束(k)

 ぐっと握った手が汗をかいている。俺ってそうなんだよ。ふつうに緊張もするし、ふつうに心臓がうるさいし、ふつうに照れる。無理して背伸びしたって所詮俺は俺。隠していてもこうやって自分ではそれが嘘だとありありと分かってしまう。それが情けなくもあり、なぜだかほっとする。人間、突然変われるもんじゃないよな。そう思うのだ。
 ほんのり冷たい風が頬を撫でる。くすぐるように揺れた髪を手で払いながら呼びかけると、も同じように揺れる髪を手で払った。かわいらしい金魚柄の浴衣。目に入った瞬間にだって分かった。なぜかはよく分からない。とにかくだと分かった。夏の夜の健やかな熱で、頬がほんのり赤く染まっている。瞳がきらめくのがまるで星のようで、気付かない間に目を奪われる。これもそれも、この子が好きだからなのだと、気恥ずかしい気持ちが分かってしまう。

「木葉さん?」

 不思議そうに首を傾げる。は手に持っていたハンカチを鞄にしまいながら「どうしたんですか?」と小さく笑う。分かってる。俺はを困らせたくないし、がどれだけ真面目な子かもよく分かっている。それでも、どうしても、答えてほしいことが、俺の背中をどんどんと押して仕方ない。
 俺を見たの姿が、駅で転んで怪我をしてしまった女の子に重なった。あの子はだったのだろうか。君はあの子だったのだろうか。が言っていた助けてくれた人とは、誰だったのだろうか。俺は君に、何かしてあげられたのだろうか。いつだって元気をくれる君に、俺は、何か返せているのだろうか。たまに暗い顔をする。何かに思い悩んでいても黙ってしまう。いつも遠慮がちで、なかなか本心を教えてくれない。それを知り、一緒に悩むことを、どうか望んでほしいと、おこがましくも思う。

「俺さ」

 緊張する。でもそれが俺だから仕方ない。緊張しない俺なんていないのだから仕方ない。そう諦めたら開き直れた。
 ぐっと手を握り直す。切り忘れた爪がちくりと手のひらに刺さった感覚が、呑み込まんばかりの熱からほんの少しだけ頭を冷やしてくれる。開いた口をきゅっと閉じると、途端に言葉を見失った。ゆっくり瞬き。ゆっくり呼吸。難しいことを言おうなんて思っていないんだ、俺は。そういうの向いてないし。だから焦ることなんて、緊張することなんて本来はないんだ、どこにも。

「やっぱり、好きだ。のこと」

 ちょっとだけ声が裏返りかけた。ださい。思わず少し笑ってしまった。照れ隠しで笑うとか本当、何やっても決まらないやつだよなあ、俺。

「好きだよ」

 握った拳の中でじわりと汗がさらに滲んだのがよく分かった。風が止む。光に集まった虫たちが街灯にぶつかると、ジジッとかすかな音が立つ。祭囃子が遠くのほうで賑やかに鳴っている。の瞳が夏の夜の中で唯一光ると、その表情が一瞬で変わっていく。ばっと目を逸らされてしまった。それに苦笑いをこぼしつつ、一歩ずつ近づいていくが、それと同じくが一歩ずつ離れて行く。嫌がられている、わけではない、と思いたい。
 が後退し続け、その体が街灯にこつんとぶつかった。ずるずるとそのまましゃがみ込んだにすぐそばで同じようにしゃがみ込む。手で顔を隠されていて表情を見ることは叶わない。けれど、見えている耳は真っ赤に染まっていた。

「む……むり……むりです……」
「無理、とは?」
「むりなんです……」

 よく分からない。苦笑いしつつ顔を覗き込もうとするが、がやっぱり顔をきれいに隠してしまう。まだまだのことが分からない。何を考えて何を求めているのか。分かりたいから時間がかかってでもちゃんと言葉にしていきたいと思うけど、それすらもどうすればいいか分からない。難しいものだ、恋というものは。

「こ、木葉さんは……」
「うん」
「優しくて、かっこよくて、いつも頼もしくて」
「そんなことはないと思うけどな……」
「そっ、そんなことあるんです!」

 ようやく顔を出した。は赤い顔をしているけれど、必死な顔で俺を睨むほどの強い眼光で見つめている。きゅっと握られている拳は自分のものより小さいのに、自分のものよりいっそう力強いものに見えてしまった。

「木葉さんは、わたしをたくさん助けてくれました。この前の事件のときも、逆上がりも、閉じこめられたときも、合宿のときも…………こ、転んだ、とき、も」

 何一つ助けたわけじゃないんだけどなあ。ただ、が困っていたから、悲しそうだったから、笑ってほしくてしただけのことだった。放っておけなくて、勝手にお節介しただけのこと、だったんだよ、俺は。

「わたしはのろまで、とろくて、ドジで……なんとも情けないんですけど、本当に、木葉さんに助けられてばかりで。それなのに……お礼も、ずっと言えないままで」

 また視線を逸らされた。顔の赤らみは引いていない。けれど、の表情が、ほんの少しだけ、寂し気に見えた。

「すごく、すごく、救われて、どうしてもそのお礼が言いたくて、ここまで来てしまって」

 そんな大層なことをしたつもりなんて微塵にもない。別にふつうのことをしただけ、なんだけど。そのふつうのことをしたおかげでが梟谷に来て、バレー部に入ってくれて、俺にまた出会ってくれたのなら。どんなに驕っていると思われたとしても、俺は自分をこれでもかというほど褒めないといけなくなってしまうなあ。

「そんな、わたしなんか……そう言ってもらえるような、立派な人では、なくて」
「立派だから好きなわけじゃないよ」
「……べ、別に、美人でも、ないですし」
「美人だから好きなわけでもないよ」

 ちょっと、おもしろい。思わず吹き出してしまうと、赤い顔をしたままのに睨まれてしまった。
 木葉秋紀という人間はの言葉を借りると、そんなふうに言ってもらえるほど立派な人間じゃないんだよなあ。そう笑ってしまう。ちょっと背が高いだけのふつうの人。どこにだっているふつうの男子高校生だ。そんな俺のことを手放しで褒めて、丁重に扱うのはくらいなものだ。

だから好きなんだよ」

 ぷしゅーっと空気が抜けたようにが完全に座り込んでしまった。小さく折りたたまれている手をそうっと掴んだら、びくっと震えたのがよく分かった。

「好きです、付き合ってください」

 思ったよりは緊張しなかった。むしろ、死にそうになっているを見たらちょっと笑えてしまうほどで。きゅっと握ったか弱い手は驚くほど熱い。俺よりよっぽど、のほうが緊張しているというか、本当、冗談抜きで死にそうになっている。そんなに緊張してもらえるようなイケメンでもないし、色男でもないし、ハンサムでもないんですけども。
 もう一度きゅっとその手を握り直す。祭囃子が止んだ。打上げ花火がはじまる時間が迫っているのだろう。こうしている間にずいぶん時間が経ってしまっていたらしい。きっとバレー部の誰かが連絡を入れてくれているだろうが、まあ、恥ずかしいことに部活のやつらには知られた二人だ。何も連絡が返って来ないことをそこまで気にする人はいないだろう。

「黙られちゃうと、フラれるのかなーって不安になるんですけど、木葉さん」

 いつもみたく笑ってみた。空いている手でつんつんと頬を突いてやる。は赤い顔を俯かせたまま微動だにしない。あまりに反応がないから本気で心配になって来た。知らない人から見れば完全に浴衣の女の子に声をかけている不審者でしかない状況だ。誰も来ませんように。そう祈りつつの顔を覗き込む。

「……す、すみません、あの」
「あー……ごめん。一人で突っ走って」
「いえ、あの、そうじゃなくて」
「ん?」
「…………腰が、抜けました……」
「は?!」
「た、立てそうにないです……」

 赤い顔がさらに赤くなった。恥ずかしさで埋まりたい、とでも言いたそうな顔では弱弱しく「すみません……」と呟いた。明らかに恥ずかしそうなその様子に、思い切り吹き出してしまった。一度湧き出たものは止まらない。笑いが止まらなくなった俺を、がようやく顔を上げて半泣きで睨んだ。「ひどいです!」と抗議はしてくるが、本当に力が入らないらしい。本当、いっしょにいて飽きない。そんなふうに言うとかわいそうな気もするけど、いつもいろんな形で笑顔をくれるのだから本当にすごい子だよなあ。
 の手を握ったまま立ち上がりつつ、どうしようか少し考える。というかまたうやむやにされかねない状況になってるけど、まあそれは一度置いておく。抱えるか、背負うか。浴衣でおんぶするとはだけるだろうし、抱えるほうが良さそうだ。そう一人で結論付けてを抱え上げようとするが、それに気が付いたらしいが全力で拒否してくる。重いからだの、そのうち歩けるから大丈夫だからだのと。「はいはい」と聞き流しつつぐいっと体を抱き上げると、が素っ頓狂な声をあげたので、またおかしくて笑ってしまった。

「ほ、本当に大丈夫ですってば! というか、あの、恥ずかしいので下ろしてください!」
「ちゃんと答えてくれたら下ろすかもな~」
「な、何に……?」
「よし、とりあえず雀田たちに合流するか」
「わー! やめてください待ってください!」

 俺の肩辺りをばしばし叩きながらが暴れる。それを宥めつつ、を抱えたまま立ち止まると、も静かになった。横抱き、所謂お姫様抱っこにすればよかったと心から後悔している。ふつうに抱き上げてしまったので顔が見られない。今どんな顔をしているのか見られないことを、この先一生後悔するんだろうな。そう思いつつ、静かに呼吸だけをした。

「わ、わたしは、木葉さんと一緒に、くだらないことで笑ったり、いろんなことを教えてもらったり、木葉さんが頑張っているところを見るだけで、とても、楽しくて」

 春合宿でやったかくれんぼ大会、一緒のところに隠れた俺たちは二人きりでしりとりをした。しりとりなんて大して面白い遊びではないし、終わりが見えない遊びだからだれてしまうのが当たり前だ。でも、とだと、そんなくだらない遊びでも楽しかった。二人で観た映画、普段観ない映画だったし一人では絶対に観に行かなかった。それなのにとあとで泣きながら感想を言い合うほど面白かった。とならなんだって特別だったなあと、今になってくすぐったいほど分かるのだ。
 今は、まだ。ずっとそう思い続けた。でもさ、今って、今だけじゃん。そう急に思ったのだ。今を大事にしたい、今を精一杯過ごしたい。だからこそ、の手を掴みたくなってしまったのだ、自分勝手ながら。

「それだけで、十分、幸せなのに。それ以上を欲しがる欲張りになったら、ドジなわたしは何かやらかしてしまうんじゃないかって、怖くて」

 がきゅっと俺の服を掴んだ感覚がする。一生懸命考えてくれている。なんとなく体が強張っているのが分かってしまって、口を挟むことはやめた。どんだけ自分に自信ないんだよ、って言ってやりたかったけど。

「そんな、わたしが」

 ひゅう、と空を切る音。一瞬の静寂を生んで、瞬く間に大輪の花を咲かせる。照らされた地上から、わあ、と歓声が聞こえた。

「木葉さんを、好きだと、言ってしまっても、いいんでしょうか……」

 なんだそれ! 大笑いした俺とほぼ同時に二発目が上がった。