darling

始まりを待ちわびる(k)

 に笑顔が戻り、部活内に流れていた妙な空気もきれいになくなった。練習の合間に仕事をしているにちょっかいをかけたり、休憩中に話しかけたり、そういう今までの日常が戻ってくる。
 木兎が「集合!!」といつも通りのでかい声で言う。今日は今週末に行われるインターハイ予選のメンバー発表があるのだ。恐らく今から発表があるのだろう。全員が集まると監督の話が合ってから、「今週末の第一試合目のスタメンの発表をする」とあり、少しだけ緊張感が走った。
 これまで練習試合に出ていたメンバーに加えて尾長が入り、無事スタメン入りを果たした。内心ほっとしていると猿杙にちょっとからかわれる。それを笑っていると、監督がふとマネージャー陣を振り返る。

「当日にコートに入るのは白福のままでいいか?」
「いいの?」
ちゃん行く?」
「いえ! 大丈夫です!」

 上で大きな声で応援していたいです、とは眩しく笑って言った。白福はそれに「そっか」と言って雀田にも確認をした。雀田もどちらかというと応援したいらしく「雪絵が良ければ任せたいんだけど」と言い、白福がコートに入るということでまとまったようだ。そんなやり取りをしている輪をぼんやり見ていただけなのに、ばちっと白福と目が合った。白福が「え~ごめんね~私で~?」とからかうように笑ってきた。何も言ってませんけども?!

ちゃん、木葉はちゃんに来てほしいって~」
「何も言ってないだろ?!」
「目が言ってた~」
「言ってませんけど~?!」

 けらけら笑う。もけらけら笑って「一番大きな声で応援してますからね!」と言った。それを聞いていた木兎がちょっと不満そうに「俺の応援もして!」と言うと、は「チーム全体をって意味ですよ?!」と焦った様子で返していた。

「それなら安心」
「木葉ばっかりずるいよな~」
「ずるいですね」
「ずりーよなー?!」
「なんで俺が悪者になってんの?」

 雀田が「あんたらはまとめて私が応援してやるよ」とかっこいいことを言って、その日の部活は無事に終了した。
 先ほどの茶番を全員でけらけら笑いながら片付けを始める。とはいっても一年生がほとんど三年や二年の仕事を取っていくのでやることがあまりない。手持無沙汰になってしまいとりあえず自分のタオルを畳んでいると、モップがけをしているが視界に入った。隅のほうを一心不乱に拭き続けているので気になってしまい、そうっと後ろから近づく。見た感じとくに汚れているとか濡れているとかそういうわけでもなさそうだ。何をそんなに一生懸命拭き続けているのだろうか。いつも通り「」と声を掛けたらが素っ頓狂な声をあげてこちらを振り返った。

「……えっと、驚かせてすみません?」
「木葉さん! びっくりするじゃないですか!!」

 割と冤罪だと思う。内心そう思いつつ「変な声出ちゃったじゃないですか!」と恥ずかしそうに怒るにもう一度謝っておく。そのの足元、先ほどから磨き続けている床をちらりと見る。別に汚れはなかった。気になったので何かこぼれていたのかを聞くとは不思議そうな顔をした。どうしてそんなことを聞くのか、といったふうな表情だ。

「ずっと同じとここすってたから」
「……え、わたしずっと同じとこやってました?」
「まさかの無自覚?! 五分くらいはそこ磨いてたけど?!」

 けらけら笑ってやる。は恥ずかしそうにしつつ「さぼっているわけではなくてですね!」と言った。きゅっとモップを握る手にまた少し力が入ったのが目に見えて分かる。また何かあったのだろうか。嫌がらせをされたとか、嫌なことがあったとか。勘ぐっているとが困ったように笑いながら「緊張しちゃって」と呟いた。

「…………え、何に?」
「だ、だって今週末じゃないですか! 予選!」

 なかなかに予想外の返答だった。試合前に顔が強張っていたりすることはあるけど、まだはじまってすらいないものへ緊張するとは思わなかった。しかも動きが停止するほどの緊張ってなんだそれ。ちょっと笑ってしまったらが「あ! 笑いましたね?!」と怒った顔を向けてきた。

「だって最後の予選大会じゃないですか、緊張もしますよ!」
「いや最後って、は来年もあるだろ?」
「……最後ですもん」
「そうなんだ?」
「……木葉さん、分かってからかってますよね」

 ちょっと意地が悪かった自覚はある。は拗ねたような顔をして「そんなことを言う木葉さんは応援しません」とそっぽを向いた。それは困る。の視線の先に顔を入れつつ「すみませんさん」と謝ったらまたそっぽを向かれた。めげずにまた視線の先に入るとは少し笑って「冗談ですよ」と言った。それにほっとしていると、またがおかしそうに笑う。
 ずいぶん暑くなってきた六月。いよいよ”高校最後の”と頭に付けられるであろう大会や行事がはじまっていく。今はまだ終わっていく実感はない。終わっていくのだと実感するのはいつになるのか分からない。ひたすらに走って行った先にある行き止まりで気付くかもしれない。走っている途中に気付いてしまってさみしい気持ちになるのかもしれない。立ち止まれないままに慌ただしく通り過ぎていくのか、振り返らずまっすぐ走り続けるのか。いずれにせよ、今の俺にできることは。

「がんばりますので何卒応援をよろしくお願い致します」
「はい、かしこまりました!」

 いつか来る終わりに目を向けず、今目の前で起こることすべてに全力で取り掛かることなのだろう。当たり前の結論にたどり着いたことに気恥ずかしさを覚える。そんな俺の顔を見ながら笑う。人の気も知らないで、とちょっとだけ憎たらしい気持ちになる。大会だけではなくて部活動に私情を持ち込むことはしない。しない、けど。ちょっとだけ、この子のために、がんばってしまってもいいでしょうか。心の中で誰ともなく聞いてみたけれどもちろん答えはない。そっと心の中にしまっておくことにした。