darling

涙のあと7(k)

※話の内容上、悪者になるモブ女子が数人います。苦手な方はご注意ください。
※モブ女子数人に苗字があり喋ります。同姓の方いましたらすみませんがご了承ください。
→安彦(あびこ)、島貫(しまぬき)、北長(きたなが)
※モブ女子三人が激しく嫌な人です。嫌なことをたくさん言います。ご了承ください。


ちゃーん、今日外周からになったんだけどジャグタンクとタオル頼んでもいい?」
「あ、はい! 分かりました!」
「ごめんね、私の番なのに。コーチの手伝いになっちゃって」
「いえ! 大丈夫です!」

 雀田に頼まれているは少し不安げな表情を浮かべている。また何かされるのだろうと思っているに違いない。それを横目に見つつ、木兎たちに続いて体育館を後にした。
 今日は変則的なメニューで、まずはじめが外周になっている。そのためマネージャー陣は初っ端からばたばたと忙しそうにしている。白福はタイム測定をし、雀田はコーチの手伝い、はジャグタンクとタオルの準備。この振り分けになると、恐らくまた嫌がらせされる可能性が高い。そう分かっていつつも、外周には行くしかなく。白福と雀田も不安げにを見ていたが、練習がはじまると仕事に集中するよう努めるようだった。
 朝練はは中での仕事が多い番だったため、大きなミスもなく終了した。それに朝からそんなことをやるほど熱心だったら、もっと直接的へ被害があるに違いない。いつそうなるか分からないのが怖いとこなのだが。

「外周五周なー」

 木兎の声に部員全員が返事をする。そうしてストップウォッチを持った白福の「よーい、スタート」の声で一斉に走り始めた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 外周を走りに行った、ふりをして。俺と赤葦、雀田は外部扉からこっそり体育館の中へ戻り、外の様子を窺う。ジャグタンクは入口近くに三つ置くことになっている。部員数が多いので、ルールというほどではないが暗黙的に三年生、二年生、一年生で使うジャグタンクを一応分けているのだ。赤葦や尾長はレギュラー陣といることが必然的に多くなるので三年生のところから飲むことも多いが、きっちり決まったルールではないので誰も何も言わない。
 今回の変則的なメニュー変更は木兎が監督に頼み込んだ結果得た機会だ。事情を説明してしまうとがその後気まずくなるかもしれないから、できるだけ自分たちだけで情報を共有して解決しよう。レギュラープラスマネージャー陣で話し合った結果がそれだった。まず外周に出たふりをして体育館を無人にする。もちろんレギュラー以外の選手は事情を知らないままだ。雀田はコーチの手伝いと言ってその場を離れるふりをし、体育館に戻ってくる。今日は一年生の強化メインで、と言って前をレギュラー外の一年生に走ってもらい、一番後ろに俺と赤葦が下がって次第にフェードアウト。そのまま近道に入って体育館へ戻る。俺と赤葦にしたのは赤葦からの提案だった。「普段からばかでがい声は出さない二人なので、声出しから減ってもばれないと思います」とのことだったが、その真意は謎だ。
 静かに三人一緒に外を眺めているとジャグタンクを持ったがやって来た。このことはにも話していない。つまりにもバレてはいけないということだ。重たいジャグタンクをなんとか一つ置き、また一つ持ってきては置く。それを三回繰り返してからは「ふう」と息をつき、今度はタオルの準備に向かうようだった。ジャグタンクのそばを離れるとき、一度だけ振り返った。きゅっと拳を握ってから部室棟へ駆けて行く背中はいつもより小さく見える。雀田はその背中をじっと見つめて、「ちゃんとやってくれてる……ごめんね、ちゃん」と呟いて拳を握りしめた。
 そのときだった。足音がいくつか聞こえてくる。入口近くに足音がやってくると、その姿が見えた。その瞬間に「えっ」と声をあげそうになった雀田の口を赤葦が咄嗟に手で塞いだ。

「すみません、咄嗟に」
「いや、むしろありがとう……ってか、あれって……」
「安彦と島貫じゃん。もう一人は知らないけど」
「あれ、北長ですね。隣のクラスです」

 赤葦は「一年のとき一緒のクラスでした」と付け加える。が言っていた赤葦のことが好きらしい同級生、というのはあの子のことだろうか。たまたま通りがかっただけかもしれないし、今は何とも言えない。そう考えていると赤葦が「あとの二人は知り合いなんですか」と雀田に聞く。

「二人とも元マネージャーだよ」
「元マネージャー?」
「私らが一年のときに辞めたんだよ。こんなにしんどいと思わなかった、って言って」

 雀田は過去の記憶を辿るように上を向いて「そういえば」と目を少し見開く。「二人とも木兎目当てで入ったってあとで聞いたような」と言ったのを聞いて、俺だけ恐ろしく大きなため息をついてしまう。二人とも不思議そうな顔をしているが、説明するのもばかばかしい。
 たしかに安彦と島貫は木兎目当てだった、という記憶が俺にもある。というか練習中の態度が露骨すぎてよく覚えている。二人で木兎にタオルやボトルを渡したり、部活中や休憩中は二人とも木兎にしか話しかけなかったり。先輩たちもその姿には苦笑いをこぼしていたっけ。
 木兎はあんな感じだけど、大体の女子が「木兎は黙ってればめちゃくちゃいいよね~」と言う。それに加えてバレー強豪校のエース。もちろん背も高ければポテンシャルも高い。一部の女子からすると素晴らしいスペックの持ち主だと見られていたのかもしれない。まあ俺もそう思う。ふつうにかっこいいと思うし、そういう女子がいるのは割と当たり前だと思っている。
 迷いに迷って北長が赤葦を好きだという噂があると話した。赤葦は「初耳ですけど」と言い、雀田は何もかもを察して「ばかじゃないの」と怒りと呆れが混ざったような表情を浮かべる。雀田の意見に「それな」と苦笑いをこぼしてしまう。赤葦はなぜ自分が好かれているのか考えているようだが、心当たりはないらしい。それを見て雀田は「誰かを好きになるなんて、なんとなく雰囲気が好きとかそういうのもあるから」と言った。赤葦はそれに納得したらしい。

「ああ、なるほど」
「なにが?」
「今年のバレンタイン、女子からおこぼれをもらったって言ったじゃないですか」
「言ってたなモテ葦くん」
「家で開けたら一つだけ手紙が入っていたんですけど、誰からか分からなかったんですよ」

 「それが北長だったのかもしれません」と言う。雀田はそれに対して「誰がどれをくれたかくらい覚えろ」と赤葦の頭を叩く。赤葦はおこぼれでくれただけだと思ったし、お返しは同じちょっとしたお菓子を渡すだけのつもりだったから、と返した。ちなみに手紙の内容は、と聞いてみると予想通りラブレターだったのだそうだ。これが罪作りなモテる男というやつなのだろうか。そんな目で赤葦を見ていると「言っときますけどラブレターなんて生まれてこの方、その一通しかもらってないですから」と呆れ顔をされてしまった。雀田が意外そうな顔をすると赤葦はなんとなく照れくさそうに「あんまり女子の友達とかいないですし」と付け加える。たしかに。赤葦が女子と話している姿はうちのマネージャーか女バレ部員か、どちらかが相手のときしか見たことがない。なんとなく落ち着いているしモテそうだと思っていただけに意外だ。
 そんな会話を小声でしながら様子を窺っていたのだが、三人に動きがあった。が所定の位置に置いたジャグタンクを、周りを見渡してから持ち上げた。持ち上げたのは島貫だった。よたよたと水道のところへ運んでいき、三人で笑いながら何かを話している。体育館内からだと距離があるのでさすがに全部は聞こえない。会話の端々に何かを卑しめるような不快感を覚える笑い声が混ざっている。恐らく、のことを話している、のだろう。
 飛び出していきそうになる雀田を赤葦と止めつつスマホを構える。こういう姑息なことをするやつらには決定的な証拠を突き付けるのが一番効くはず。猿杙からのアドバイスなのだが、スマホにその瞬間を録画してから三人を問い詰め、言い逃れできないように録画を見せる。そういう筋書きなのだが。会話の声も拾えていればなお良かったがさすがに外に出て行くわけにも行かない。歯がゆさを感じつつスマホを向け続ける。ちょうど安彦がジャグタンクの上蓋を開けているところだった。ジャグタンクをゆっくりと傾けて、捨てようとしている。

「いい加減にしてください!!」

 突然、俺たちには見えないところから声がした。の声だ。どうやら俺たちと同じことをもしていたらしい。三人がの声にびっくりしてジャグタンクを落としてしまう。まだ中身が入っていたジャグタンクがひっくり返ると意外と大きな音がし、三人の制服にスポーツドリンクが飛び散った。

「マジ最悪なんだけど。どうしてくれんのこれ」
「うわ~スカートにまで飛んでんじゃん~最悪」

 雀田の肩を握る手がぶっちゃけ限界を超えそうだ。さすがにスマホで録画している場合ではない。スマホはポケットにすぐしまって雀田の肩を離そうとした、のだが。俺の肩を強い力で赤葦が抑え込む。「まだです」と言う赤葦に反論しようと雀田も俺も口を開こうとしたが、見たことがないくらい鋭い目つきで睨み付けられ「まだです」と念を押されてしまい、雀田も俺も黙るしかできなくなる。妙な迫力は一体何で身につけたのだろうか。

「どうしてこんなことをするんですか」
「え~、むかつくから?」
「わたしがですか」
「分かってんだったら聞いてくんなって感じなんですけど」

 耳障りな声。雀田が「ちょっと本当もう無理、行っていい?」と赤葦に聞く。けれど、赤葦は「まだです」としか言わない。
 がようやく俺たちに見える場所にやってくる。三人に向かってまっすぐ歩いていく拳はきゅっと握られている。そのまま三人のもとへ、と思ったがその手前で止まっては身を屈めた。落とされてしまったジャグタンクと上蓋を拾い上げ、側面についてしまった砂を払う。再び視線を三人に向ける。その横顔が、別人のように、怒りを含んでいた。

「じゃあなんで選手の邪魔をするんですか」
「はあ? あんたの邪魔してんじゃん? 選手の邪魔なんか、」
「選手の邪魔しかしていません。水分がなければ選手は十分な練習ができません。タオルがなければ汗を拭けません。マネージャーの仕事が滞れば選手たちに負担が向きます」
「あんたがちゃんとやってりゃいい話じゃん」

 赤葦が俺と雀田の肩に置いた手にぐっと力を入れる。若干指が食い込んで痛い。雀田も俺と同じように痛いだろうに何も言わない。その代わりに睨み付けるように外の様子をじっと見ていた。

「それを邪魔しているのはあなたたちじゃないですか」
「私のせいじゃないからみんな許して~、ってかわいこぶりっこして泣きつときゃいいじゃん~? それこそ木葉とかにな~」
「あいつこんなちんちくりんに鼻の下伸ばしすぎでしょ。女なら誰でもいいんじゃん?」
「こんなやつにへらへらしてるとかダサすぎだし見る目なさすぎ。バレー部男子、バレーしかできないとかウケるわ」

 その瞬間、安彦が水道に置いてあった飲みかけのペットボトルを手に取りキャップを開ける。それをに投げつけると三人でけらけらと笑った。
 ぐっとがジャグタンクを握る手に力を入れたのがここからでも分かった。下唇をきつく噛んで一つ大きく息を吸う。ゆっくりと吐き出して、はどこか慎重に瞬きをする。

「わたしが嫌いならわたしの悪口だけ言えばいい、わたしにだけ嫌がらせすればいい。でも、部活に迷惑をかける行動や部員をばかにする発言は、許しません」
「出た~悲劇のヒロイン気取り」
「定番すぎて笑えないんですけど~」

 赤葦の手が離れた。雀田が勢いよく立ち上がって、赤葦もそのあとに続く。は俯いてきつく拳を握っている。きつく握りすぎて、ほんの少し震えているように見えた。今にも泣き出しそうなほど歪んだ顔をバッと上げ、は瞳の端っこから一筋だけ涙をこぼした。

「一生懸命にがんばっている人たちの邪魔をしないで!!」

 島貫がに蹴りを入れようと足を上げた。鬼の形相で飛び出た雀田が入口に置いてあったコーチの中履きを手に取ると、思い切り振りかぶってぶん投げる。運動神経抜群で体力テストは運動部を差し置いて三年女子のトップ5入りしているだけのことはある。ものすごい勢いで飛んでいったコーチの中履きは、見事に島貫の横腹にヒットした。三人とも驚いた様子で目を見開いてこちらを見ているが、それはも同じだった。声も出ないのかは呆然として俺たちを見つめている。と三人の間に立った雀田はかつてないほどに恐ろしく無表情だった。安彦と島貫は少しびびった様子で「な、なにしてんの雀田」と声をかけるが、雀田は答えない。じっと三人を睨み付けている。北長という二年生は恐らく今までのことがバレたと気付いたらしく顔を俯かせた。
 赤葦が雀田に「手は出さないでください」とため息をつく。雀田は無表情のまま「コーチの靴が飛んでっただけじゃん」と返すと、赤葦は「そうでしたね」と言って一歩下がる。
 俺はそっちを二人に任せての隣に行く。ジャグタンクをまだ持ったままのの手からそれを取り上げて「大丈夫か?」と聞くが、うまく言葉が出せない様子だ。投げつけられたペットボトルからこぼれた飲み物で少し服が濡れてしまっている。持っていたタオルを濡れた箇所を隠すようにかけたところで、ようやくが口を開いた。

「が、外周、は……」
「走ったよ。ちょっとだけだけど」
「ほ、他の人……」
「外周中だからいないよ。今頃木兎がコース変えようぜって無茶苦茶言って遠回りしてるだろうな」

 の手から力が抜けたようだった。それと同時にぼろぼろと涙がとめどなく流れていく。いつもならそれを抑えようと、誤魔化そうとはする。けれど、今回は我慢せずに泣いた。子どもみたいに泣きじゃくるの頭を軽く撫でると余計に泣かれてしまう。前の俺ならどうしたらいいのか分からなくて、の涙を止めたくてどうしようか考えてやめてしまっただろう。でも今は分かるのだ。の涙を止めようとしなくていいのだ。は我慢してしまう子だから、涙が流れたらそれをただ見守ればいい。今の俺にできることは、ただただの隣にいることだけだった。