darling

涙のあと6(k)

※話の内容上、悪者になるモブ女子が数人います。苦手な方はご注意ください。


 しばらく俺の背中で泣いていたは、突然ぱっと俺から離れて「すみません!」といつも通りの明るい声で言う。これで今日何回目のすみません、なんだろう。そう思うときゅっとまた心臓が痛くなった。ゆっくりのほうを振り返る。はまだ少しだけ恥ずかしそうな顔をして「子どもみたいですよね、すみません、ありがとうございました」と言ってへらっと笑う。そこからなんと言葉を続けていいのか迷ってようだったが、思い出したように「片付け!片付け、行かなきゃですね!」と言って俺のジャージの裾を持って「戻りましょう!」と引っ張る。その手首をがしっと掴むと、はびっくりした顔で俺を見上げる。「木葉さん?」と首を傾げるその姿をよく見れば、髪や首元まで少し濡れていた。たぶん、服だけじゃなくて顔や首にも墨がついたのだろう。

「なあ」
「は、はい?」
「誰にやられたの?」
「へっ、え、何を、」
「なんで隠すの?」

 の手首をぎゅっと握ってしまう。は俺の顔を見上げたまま呆気に取られていたが、しばらくしてまたへらりと笑った。「何のことですか~」と俺の手をほどこうとする。さらにぎゅっと握り直してじっとの目を見続ける。は次第に視線を泳がせて、最後には顔をそむけた。

「言えって。誰にやられた?」
「……い、言いません……」
「なんで?」
「言いたくないです……」
「だから、なんで?」

 が唇を噛んだのが見えた。こんなふうに問いただしたくないのに、むかむかして、つい強い口調になってしまった。そう分かっていてもの手首を握った手は緩められなかった。このまま体育館に戻ったら、または謝るばかりになる。また嫌な目に遭うかもしれない。そう思ったら離せなくて。

「頼むから、言ってくれって。頼りないかもしれないけどさ」
「そんなことないです、木葉さんにはいつも助けてもらって迷惑かけてばかりで、」
「迷惑じゃないって、本当に。むしろ頼ってくれるほうがうれしいし」

 きつく掴んでいた手をほんの少しだけ緩めた。は顔をまたこちらに向けて少し口を開けた、かと思えば閉じる。それを何度か繰り返してからはぼそりと「ずるい」と呟いた。ぽたぽたとまたいくつか涙が落ちていくと、は「そうやって言ってくれると甘えてしまうじゃないですか」と泣きながら苦笑いをした。
 ぽつぽつとは話してくれた。はじめは自分がやったと勘違いして忘れてしまっていたのかと思っていたそうだ。けれど、あまりにも頻繁に起こるので不思議になって、ジャグタンクの補充をしたあとにタオルの準備に行ったとみせかけて隠れて様子を見たという。そして、しばらくしてからジャグタンクに女子生徒三人が近付き、近くの水道に中身を捨てている姿を見つけた。はすぐにその場に駆けて行って「何してるんですか!」と注意したそうだ。すると、三人はをキッと睨み付けて「うざ、早くどっか行ってよ」と言ってさっさと逃げてしまった。その後それはエスカレートしていき、洗濯してあったタオルが泥まみれになっていたり、ジャグタンクの中に塩や砂糖を入れられたり。ときには部活外に校内ですれ違うときに聞こえるように悪口を言われたり。嫌がらせからいじめのようなものに変わっていった。しかも、その三人のうちの一人が、同じ学年の女子生徒らしく。

「……心当たりとかは?」
「ない、ですけど……でも、その二年生の子、赤葦のことが好きだって聞いたことがあります……」
「あ~~~……嫉妬ってやつ?」

 は小さく苦笑いして「分かりません」と言った。ずずっと鼻をすすって、ぽつりと「何してしまったんでしょうか」と呟く。
 墨のことを聞くと、女バレの子から「なんかそっちのコーチがビブス出しといてって言ってたって伝えてって言われたんだけど」と言われたのだという。も俺と同じようにそんなビブス使ったことないし朝に出せばいいんじゃないかと不思議には思った。けれど、自分がやらないと伝えてくれた女バレの子のせいになるかも、と不思議に思いつつも倉庫へ向かった。
 倉庫の扉を開けようとしたとき、突然後ろから目を手で隠されたそうだ。きゃっきゃと笑う声が聞こえて逃げようとしたがその前に冷たいものをかけられ、体を突き飛ばされて転んでしまった間にそいつらは逃げて行った、とは言った。その冷たいものが墨汁だったというわけだ。

「こんなこと、かおりちゃんや雪絵ちゃんに言ったら、心配させてしまうから言えなくて」
「まあそうだけど……今のほうがもっと心配させてると思うなあ、俺は」
「赤葦に相談しようかとも思ったんですけど、副将だしいろいろ大変そうだから言えなくて」
「うん」
「……木葉さんには、情けなくて、言えなくて」
「情けない、とは?」
「…………知られたくないじゃないですか、かっこ悪いところ」

 「木葉さんには」と言って少しだけ笑った。その言葉の意味に少し自惚れそうになったけれどぐっと堪える。今はそれよりも、だ。は恥ずかしそうに「一番にばれちゃいましたけどね」と言って頭をかいた。

「寂しいです、木葉さんは」
「す、すみません……」
「教えてよ、かっこ悪いとこも情けないとこも」
「ええ……嫌ですよ、かっこいいところとできるところだけ見てほしいですもん……」
「好きな子のことなら全部知りたいじゃん」
「…………」
「傷付くので黙らないでください」

 照れ隠しでの肩をつつく。は赤い顔のまま俺の肩をばしっといつも通りの強さで叩き、「そういうの、言わないでください……」と情けない声で呟いた。ずっと掴んでいたの手首を離す。少しだけ赤くなってしまった。まさかそんなに強く握ってしまっていたとは思わなくて謝ったが、は笑って「木葉さんは手が大きいですよね」とその跡を眺めながら言う。

「……かっこ悪いところとか情けないところを知っても、ばかにしませんか」

 前にが教えてくれた「黒歴史」を思い出す。が小さな失敗をするたびに、当時の同級生たちはそれをからかい、笑ったのだそうだ。いじめなんていう陰湿なものではなかったそうだが、にはそれが、ときどきひどくつらかったと言っていた。誰も心配してくれず、みんながばかしにしてきて、を指さして笑う。想像するだけで嫌な光景だと顔を歪めてしまう。
 いつかに思った。が寂しい気持ちとかつらい気持ちになっていなくて、前向きに考えて笑っていること以上のことはないと。俺にとっては本当にそれだけなのだ。過去はどうもしてやれない。やれない、というか、俺がどうにかしたいと思ってどうにかできることじゃない。だったら、それを塗り替えるような今日を作って行けばいい。明日は今日よりももっと、その次はもっともっと。の明日を塗り替えていきたい。本当におこがましいことなのだけれど、そう思うくらい、のことで頭がいっぱいな、ばかな男なのだ。木葉秋紀というやつは。

「ばかにしないし、もっと好きになる自信ならあるよ」