darling

涙のあと5(k)

――数時間前、休憩中

「言います! 言いますからあ!」

 三年生レギュラープラスマネージャー陣に囲まれた、子羊と化した尾長が必死に距離を取る。それを小見が「そんな怖がんなって~」と明るくからかえば、ほっとしたように胸をなでおろした。尾長はささっと三年生プラス赤葦の輪に戻ってきて「実は……」と少しだけ俯いて話し始める。

「昨日、さんがしまったはずの用具がしまわれてなかったじゃないですか」
「あれはちょっとびっくりしたよな」
「なー。しまう前より散らかってたし。で、それが?」
「俺、さんが用具庫にしまったの見てたんです。得点板の汚れを拭いてくれていたので、細かいところにも気が付くんだなあって思ったんです」

 昨日の試合形式の練習後のことだ。雀田はジャグタンクとタオル、白福は計測、そしては使った用具の片付けをしていた。俺たち選手は練習前に設けられたペナルティに従った数の外周へ出ていて、体育館には一人だったと思われる。尾長は体育館を一番最後に出たそうで、そのときにが得点板を用具庫へしまっている姿を見たらしかった。外周がその日の最後のメニューだったためは体育館に残された得点板、ボールカゴなど、ネット以外の一人で片付けられるものをしまってから、雀田曰く「呼ばれたので外に出ます」と言って体育館から出て行ったのだそうだ。
 一番に外周を終えたのは赤葦と鷲尾と猿杙、各学年数人だった。そのとき白福は外周のタイムや周回数を見ていて、雀田は共有の水道を掃除していた。赤葦と猿杙はそのまま外に置かれたジャグタンクから水分補給をして一息つき、鷲尾は置いていったタオルを取りに体育館へ行った。鷲尾が体育館に入ると、が片付けるはずだった得点板やボールカゴが散らかっており、選手たちが拾ったはずのボールが数個散らばっていたという。水道の掃除をしていた雀田が「どうしたの?」と顔を覗かせ、その現場を見て「ごめん、私が片付けるから休んでて」と言ってくれたがその場にいた全員で片付けをしたそうだ。そこへが戻ってきて、雀田がそのことを注意すると「すみません」と全員に謝った、というのが昨日の出来事だ。

「走って少し行ったところから体育館が見えるじゃないですか。走っているときに何気なくそっちを見たら、女子が何人か外部扉から体育館に入って行くのが見えて……」
「女子って女バレ?」
「いえ、制服だったので運動部じゃないっぽかったです」

 外部扉は体育館の両側に数個ついている扉で、休憩のときにそこの段差に座ったり風を入れるために開けっ放しにしがちだ。体育館を使っているときであれば鍵はいつも開けたままにしてある。が片付けをしていたときも開けっ放しにされていたと思う。尾長はそこから女子が数人入って行くところを偶然目撃した、というのだが。

「なんか……すごく様子を窺っているように入って行ったので、気になっていて……」

 そう言う尾長に木兎が「そいつらがやったってこと?」となんともストレートに聞く。尾長は焦った様子で「そうかもしれないな、って俺が思っただけで!」と返した。
 正直なところ、尾長の考えだと今までの不自然に思えていたことがすべて説明できる。が何度も同じミスをする違和感。が謝るばかりな違和感。が最近よく体育館にいない違和感。ただそれには確信がない。所謂嫌がらせを受けている証拠というか。今の状況だと、俺たちがどれだけ違和感を持っていたとしても、がミスをした、と言われてしまえばそれでも済んでしまうくらいの情報しかないのだ。
 木兎とマネージャー二人が尾長に質問攻めをしている中、「あの」と落ち着いた声色で赤葦が口を開いた。

「その女子たち、俺も見たかもしれません」
「マジ?!」
「木葉さんには言いましたけど、俺も外での仕事中のを見かけたことがあるんですが」
「あー、テーピング取りに行ったときって言ってたやつ?」
「はい。体育館に戻るとき、共有のキッチンスペースに制服姿の女子が入って行くのを見ました」
「……でもそれ、制服ってだけで一緒のやつか分かんないじゃん?」
「その女子たちが、恐らくですが男子バレー部のジャグタンクを持っていたんです」

 「ちらっと横目で見ただけなのでたしかではないですが」と付け足し、赤葦は少し下を見てため息をついた。「声、かけとけばよかったですね」と呟いて。各運動部がそれぞれ準備したジャグタンクは、共有のキッチンスペースで間違えてしまわないようにそれぞれ工夫してある。色を奇抜なものにしたり、大きく部活名を書いたりしている。男子バレー部が使っているのはよくあるジャグタンクなのだが、黒ペンで大きく「梟谷学園男子バレー部」と書いてある。もし他の部活のマネージャーだったとしても間違えるわけがないし、マネージャーや選手だったとしたら制服を着ているのはおかしい時間帯だ。部室棟近くにある共有のキッチンスペースは、キッチンスペースとは言っても扉もないただ水道とシンク、簡易冷蔵庫があるだけの場所のことだ。運動部じゃない生徒は恐らく寄り付かない場所なのだが。赤葦は遠目からだったこともあり、見間違いだと思って特に声はかけずにその場を去ったのだという。変に疑念を持たせるのも悪いと思い、俺にもそのことを言わなかったと言った。そのとき選手は体育館内で個人練習中だったり休憩中だった。はそのあとのメニューに外周があったため、外に置くジャグタンクの補充を終えてタオルの準備をしていたと思われる。

が補充を忘れたときはその付近に女子生徒が数人、が用具をしまい忘れたときにも女子生徒が数人いたってことです」
「何それ……ちゃんが嫌がらせされてるってこと?!」
「雀田、どうどう」
「だって! それに気付かず、私、ちゃんに注意しちゃってたってことじゃん……!」
「私も……」

 ひどく落ち込んだマネージャー二人を猿杙が「そんなの誰も分かんないって。そんなことするやつがいるとか思わないだろ」と励ます。それでもマネージャー二人は俯いたまま「どうしたらいいんだろう」と呟いた。外仕事をにやらせなければいいのでは、と小見が提案したが恐らくそれはが気まずい気持ちになってしまう。かといっての仕事に誰かがくっついていくわけにもいかないし、そのまま放置しておけば事情を知らない他の部員がに何か言うかもしれない。全員に説明して回れば、それもが気まずい気持ちになるだろう。一番いいのは嫌がらせをしているであろう女子生徒にやめさせることなのだが。
 ひとまずが戻ってきてしまいそうだったので、どうするかはがいない場を設けて考えることにして全員そのうち再開される練習に集中することにした。

「木葉~」
「なに?」
「ごめんね」
「……なんで俺?」
「顔やばいよ」

 「怖いってか、泣きそう」と白福は苦笑いして言った。そう言われてはじめて全身に力が入っていることに気が付く。けど、当然のことだと思う。だって、こんなの、悔しいし、情けないに決まっている。がいろいろなことを考えて、俺たち選手のことを考えて、マネージャー二人のことを考えて、一生懸命にやっているのに。それを知っていながら、違和感を抱えていながら、結局はそれに気が付けなかった。が仕事のミスを指摘されて「すみません」とだけ言うのはどうしてなのだろう。事情を説明してくれれば一緒に解決方法を探せたのに。手を差し伸べられたのに。そんなふうに思って気が付く。はそれを避けたくて何も言わなかったのだ、と。きっとはそれが俺たちにとって邪魔になると思ったのだろう。それが分かってしまう。だって、はそういう子だから。それを知っていたのにこちらからなかなか手を差し伸べられなかった自分が、あまりにも情けない。

「でもさ、なんでちゃんに嫌がらせするんだろうね」
「バレー部に嫌がらせするなら私らのときもやるよね、ふつう」
「たしかに」

 なんでだろう、と首を傾げるマネージャー二人に同意したと同時にが戻ってきた。肩で息をしている姿から、重たいジャグタンクを両手に持ったまま走ってきたようだった。息も絶え絶えなまま「すみません、お待たせしました!」と体育館内に響く声で言うと、ジャグタンクをいつもの位置に置く。近くにいた木兎に何度も頭を下げるが、木兎は不自然に「いや、だいじょうぶ、だから、な?!」と返している。隣にいる赤葦もなんとなく気まずそうな顔をしつつ「コップもらっていい?」と優しい声でに話しかける。赤葦にコップを手渡しながらは「ごめんなさい」と言うが、赤葦は「いや、大丈夫、全然大丈夫だから。ありがとう」と木兎と同じく不自然な声色で返答をしていた。