darling

羽化する瞬間1(k)

 球技大会翌日の土曜日、バレー部はいつも通り朝からいつもと同じメニューをこなしている。雲一つない快晴。流れ落ちる汗をタオルで拭きつつ息を吐く。ボトルのキャップを開けて一口飲もうとした瞬間、バシッと背中を叩かれた。

「危ねえな!」
「あんた今度は何したの?」

 雀田が呆れ顔を向けてくる。その隣で白福までも同じような顔をしているので苦笑いをしてしまう。大体何のことかは察しが付くし、心当たりもある。

のことか?」
「それ以外に何があんのよ」

 朝会ったときからの様子がおかしかった。いつもなら元気に挨拶してくるのにちょっと控えめだったり、いつもなら気付いたら近くにいるのに今日は離れた場所にいたり。いつぞやかのよそよそしくなった勘違い事件のときと似ている。あれよりはもう少し、なんというか、気恥ずかしそうな感じだけど。

「どんなヘマしたの?」
「ヘマって決めつけないでください雀田さん」
「だって木葉ヘマばっかりだもんね~」
「ふつうに傷つく」

 笑っておく。雀田と白福がその俺の顔を見ると、呆れ顔から途端に不思議そうな顔に変わった。
 がよそよそしくなっている理由は分かっている。昨日の会話が原因だ。思い出して若干苦笑いしてしまう。昨日、球技大会終了後のことだ。タオルを探しに第三体育館へ行ったとき、に会った際の会話だ。俺のためというか、人のために動いたのことを、お恥ずかしながら、本当に、しみじみと好きだなあ、と、思った。その心の声が実際に口から出てしまったのだ。もちろんにそれを聞かれてしまったわけなのだが、このあとが問題だった。いつものなら「もうからかわないでくださいよ~!」とか元気に言うだろうに、は俺の言葉にしばらく反応しなかった。そうっと顔を見たら少し驚いたような顔をしたまま固まっていたのだが、その静かな空気に耐え切れず俺が薄笑いしつつ「どうした?」と声をかけた。その瞬間には顔を赤く染めて「え、あ、いえ」とたじろいだ。そうして最後には「ごめんなさい!」とだけ言って走り去っていったのだ。
 そのことを説明し終わると同時に、二人が俺の肩をぽんと優しく叩いた。その表情はどう見ても哀れみの表情をしている。

「どんな気持ち悪い告白したの?」
「俺の話聞いてた?」

 苦笑い。それにつられたように雀田と白福も苦笑いをこぼしたが、すぐに不思議そうな表情に戻った。二人でこそこそと何かを話したが、声が小さくて聞き取れない。何を話したんだ? 女子の内緒話ほど怖いものはないので内容を聞くことはしないが。
 というか、俺は、あれ、フラれたということでいいんだろうか。結局昨日のあれに触れるのが俺も少し怖くて聞いていないが、そういうことでいいんだろうか。そうだとしたら、ふつうに、いや、かなり、めちゃくちゃ、へこむわけなんだが。

「お二人とも」
「うん?」
「俺、フラれたんですかね」
「…………うーん」
「微妙なところだよね~」

 見事な苦笑いをやめろ。俺も同じように苦笑いをこぼしつつ「だよな~」と明るめに返しておく。最近流行りのドラマとか映画でこういうシーンを観たことがある。結構きついもんだな、こういうのって。その感情が表情に滲み出てしまったのだろうか。雀田と白福がものすごく心配そうな顔で俺のことを見ている。それにへらりと笑っておいたが、どうやら逆効果だったらしい。

「竜田揚げ奢ってあげようか?」
「お菓子食べる~?」
「お気遣いどうも……」

 これはちゃんと聞いたほうがいいのだろうか。でもちゃんと聞くとなると、またあの告白っぽいことを言わなきゃいけないってことだろ? あのときはうっかり言ってしまったから言えたけど、言おうと思うと途端に言えなくなる。俺がヘタレである証明がそれなわけだ。ため息をつきつつ、やっぱりもやもやしたままなのは嫌だ。これは、腹をくくるしか、ないのでは?



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




!」

 マネージャー三人組が着替え終わって更衣室から出てきたところに声をかけた。俺を見るなりがなんとも言えない顔をして慌てていたが、雀田と白福が「じゃあお先~」と空気を読んでくれたおかげで逃げられずに済んだ。
 駅に向かって二人で歩く。あまり俺との間に流れない沈黙に俺も少し戸惑ってしまう。は少し俯き加減のままきゅっと唇を噛んで、ほんのり頬を赤らめていた。そんな顔をされるとほんの少しだけ期待してしまう俺がいたりいなかったり。いや、正直期待していいのか落胆したほうがいいのかよく分からないけど。俺も不安定な心情のまま、俯いているが何かにぶつからないようにまっすぐ前だけ見続けている。
 なんと切り出せばいいのか。さっぱり分からない。悩みつつ言葉を探し続けてはいるが、残念なことに声に出す勇気が一つもない。そんな自分に嘲笑をもらすと、突然の視線が俺に向けられた。

「タオル!」
「ん?!」
「タオル、見つかりましたか?」
「え、あ、おう、職員室に届いてた。サンキューな」

 は無理やりにこっと笑って「それはよかったです!」と言った。いつも通りにしようとしているらしい。空回っているように見えるそれに若干つられるように俺も無理やりいつも通りを装って笑ってしまった。しばらく空回ったまま二人で無理やり明るく会話を続けていく。と話していてこんなに苦しいと思うことはあまりない。意識してしまうとやっぱりだめだ。内心情けなくなりつつちらりとの顔をまた見る。ちょうども俺の顔を見た瞬間だったため、ばちっと目が合ってしまった。逸らすのもあれだがそのままにするのも気まずい、というか照れくさい。どうしようか迷いつつ曖昧な笑顔を向けてしまう。そんな俺に向かってが口を開いた。

「と、とても大事なタオルだったんですよね、あれ!」
「……ん? なんでだ?」
「え、あ、だ、だって、その」
「うん?」
「…………す、すきだなあ、と、仰って、いたので」

 視線を逸らされた。夕日のせいなのかなんなのかは考えないようにするが、顔が真っ赤になっている。言わせちゃったよ。に言わせちゃったよ俺。本来男である俺から触れたほうがよかったであろう話題だろう。それをまさかに言わせてしまうとは、ビビりヘタレチキンに拍車がかかっている。へこみつつも、俺もにつられて顔が熱くなっている。
 いや、というか、、それ、無理やりすぎるだろ。なんだよ、タオルが好きって。突拍子もない発想に吹き出しそうになる。でもがそう言ってくれたおかげで回避ルートが出来上がった。内心それにほっとする。……ほっとしていいのか、俺。ビビりヘタレチキン。逃げ道に逃げ込んだらまたそう言われてしまうことだろう。それでいいのか、木葉秋紀。
 へらへらと誤魔化すようにが笑っている。いつも通りに戻ろうと少し必死にすら思える。の無理やりなこじつけに乗ればいつも通りに戻れる、かもしれない。はそれを望んでいるのだろう。いつもみたいに二人でどうでもいい話で楽しく話したい。をからかったりにからかわれたり。今のままで、今までのままで。

「よかったですね、お気に入りのタオルが見つかって」
「……あのさ」
「はい?」
「タオルじゃなくて」

 遮断機が下りる。カンカン、と耳障りな音が響いてはいるけれど、正直その音はいまいち耳に入ってこない。電車が目の前を通る。その風で髪が揺れて視界が少しだけ遮られた。

「好きだなあと思ったのは、それじゃなくて」

 電車が走り去った。遮断機がゆっくりと上がったが、足は進まない。も俺の隣に立ち止まったまま、たぶん俺の顔を見上げているのだろう。俺は情けなくもから視線を逸らしたまままっすぐ前だけを見ている。

が」

 嫌だと思った。今のままで、今までのままでは。嫌と言ったら語弊があるけれど、とにかくが作ってくれた逃げ道をそのまま進むのは違うと思った。

のことが、好きだなあと思って」

 たとえフラれたとしても自分のその気持ちに嘘はつきたくない。誤魔化したくなかった。まっすぐにの顔を見られた。夕日の光が瞳の中でゆらゆらときらめいている。
 好きだなあ。好きなんだなあ、俺。嘘が付けなくて、まっすぐで、いつでも真面目で、でも空回ってしまって決して器用じゃない。それでもいつも誰かを思っていて、転んでも失敗しても諦めない。たまに落ち込んだり悲しそうにしていても、それを決して悪いことだと決めつけずに受け止められる。素直に喜び、素直に楽しむ。挙げ出したらきりがない。そういうところが、そういうところを含めた全部が。

「好きだよ」