darling

あなたを知りたい3(k)

 ゴールデンウィーク最終日。午前は自校開催で練習試合、午後はそのまま通常練習というメニューだ。いつもは夏に合同合宿をやる梟谷学園グループと練習試合をしているが、森然と生川は他校と練習試合、音駒はなんと宮城まで遠征に行っているのだとか。今年は珍しく梟谷学園グループとの練習試合がないゴールデンウィークとなった。音駒の黒尾と仲の良い木兎は若干不満げだったが、ぶーぶー言ってもどうしようもない。赤葦がなだめれば自然と治まった。
 体育館の準備をしつつ、俺の気持ちはそわそわと落ち着きがない。ちらっとスポドリの準備をしているの背中を盗み見る。この前はハーフパンツを穿いていたのに今日は長ズボンだ。俺のただの妄想。それが気になって仕方ない。が俺が人にあげたのと同じタオルを持っている謎。どうして本来俺が貸したタオルではないタオルを返してきたかという謎。謎が謎を呼べば呼ぶほど、俺の妄想がそれをきっちりまとめて説明してくれるのだ。あの子は、だった、と。いや、まあ、そんなドラマみたいな話があるわけないけど。昨日の昼にが教えてくれたことを思い出す。右膝の怪我の理由。は中学のときに駅の階段で転んでできたものだと言っていた。そして、そのときに助けてくれた人がいる、と。あまりにも話が一致しすぎるそれが余計に俺を動揺させる。だって、こんなの、勘違いしてしまっても、自惚れてしまっても仕方ないだろ。俺が助けた女の子も駅の階段で転んだ。俺が助けた女の子もひどい怪我をしたのは右膝だった。俺は助けた女の子に、白いタオルをあげた。あの駅はの家から近い駅で、もしかしたら中学の最寄り駅だったかもしれない。の性格だったら、あのときあげたタオルを大事に持っていてくれているかもしれない。そんなのあり得ないと思っているのに勝手に期待してしまうのだ。あのときのあの子は、なのではないか、と。

「……いや、ないって、本当。ばかか俺は」
「なんでもいいけどちょっと退いてくれる?」
「うおお?!」

 思わず大きな声が出た。体育館に響き渡ったそれにどっと笑い声が聞こえてくると、俺に声をかけた雀田は呆れた顔して「そんな驚く?」と言った。得点板を運んできたので入り口付近にいた俺が邪魔だったようだ。「すみません」と謝って道を開ける。雀田は得点板を体育館に入れつつ「あんた今日変じゃない?」と俺の顔を覗き込んだ。

「なんか考え事でもしてんの? 気色悪いんだけど」
「ひどい……」

 あまりにもあっさりした言い方が余計に心に刺さる。朝からいきなりトップギアの攻撃をかましてくる雀田は、続けざまに「なにうじうじ悩んでんの?」と追加攻撃をかましてきた。

「悩むのはいいけど、試合は頑張れよ~」
「ういっす……」
「あんたが試合でかっこ悪いと、悔しすぎて顔に出ちゃうかわいい後輩もいるんだしさ」

 どすっと背中を殴られる。「いってえ!」と思わず後ずさりすると雀田が「厄は払ってやった」と得意げに笑う。そのまま得点板をコートのほうへ運んで行ってしまった。
 そのかわいい後輩こそが悩みの種なわけですが。恐らく雀田はそれをよく分かっているからこそそう言ったのだろう。相変わらず世話を焼いてもらってばかりだな、俺。そう自分に呆れつつ一つ息を吐く。
 もし。もしもの話だけど。たとえば俺が助けた女の子がだったとする。そうだとしたら、は今までどんな気持ちだったのだろう。きれいさっぱりその子の顔を覚えていない俺は、がそのときのことを話したときにもまさか自分である可能性があるなんて思ってもみなかった。「よかったな」とか言った気がするし。あんなにも大切なことを話すような表情をしていたのだ。はきっと助けてくれた人のことを覚えているにちがいない。その相手に忘れられていると知ったとき、は何を思ったのだろうか。……まあ、ここまですべて俺の妄想の中での話なわけだが。

「木葉ー! ミーティングー!」
「お、おう」

 ホワイトボードが立てられた体育館の奥から呼びかけられて、急ぎ足でそちらへ向かう。ひとまずこの妄想は置いておこう。今は部活に集中しなければ。

「木葉さん、ボトル渡しておきますね!」
「おっ、おう! さ、さんきゅーな!」

 は不思議そうな顔をして「あ、はい」と返事をした。挙動不審になってしまった。かなりあからさまに。いまの顔を見ると余計に考え込んでしまいそうだ。ふいっと視線を逸らして監督のほうへ目を向けた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 オンオフの切り替えはきっちりできるほうだと自負しているだけあって、試合では一切不調は出なかった。昨日とちがって他のメンバーも調子が良くなっていたし、赤葦もほっとした様子だ。木兎なんかは昨日が嘘のように絶好調だ。俺も赤葦と同じようにほっとしつつ、いつもどおりの役割をしっかり果たせた。終わってみれば試合はストレート勝ち。完勝だった。木兎は上機嫌だし、監督も満足げだ。文句のつけようのない試合だったと評価をしてくれた。
 午後の練習の前に昼食をとることになり、いくつかのグループが自然にできあがってそれぞれ好きな場所に固まって食事をはじめる。木兎たちに「外で食おうぜ~」と声をかけられたが、どうしてもこのたくさんある謎をどうにかしたくて「俺パス」と断った。木兎たちは不思議そうな顔をしたが、赤葦だけはなんとなく事情を察したようだった。赤葦は「体育館の中にいると思います」と言い残して木兎たちを引っ張って行ってくれた。赤葦に言われたとおり体育館の中を覗き込む。木兎たち以外の部員のグループの奥に、マネージャー三人でちょうど昼食をとろうとしているの姿を見つけた。一足遅かったか。若干項垂れたが、ここはもう行くしかない。二人なら赤葦同様に事情を察してくれるだろうし、何も照れることはない。自分に言い聞かせつつ体育館に入り、三人のほうへ足を進める。進み始めてすぐに白福が俺に気が付いた。「木葉もいっしょに食べる~?」と手を振られたので、とりあえずへらりと笑っておいた。三人の近くで立ち止まって、「あのですね」と何かを誤魔化すように笑いつつ声をかける。

「なに?」
「あー、その、を、借りてもいいでしょうか、お二人とも」
「いいともー」
「早っ?!」

 「いってらー」と白福がに声をかけると、は「いってきますー」と言いつつ立ち上がる。「サンキューな」と二人に言うと、「ダッツな」と予想通りの返答があった。
 といっしょに歩きつつどこに行こうか考える。は終始「なにかありました?」と質問を飛ばしてきたが、今はそれどころじゃない。のせいでそれどころではないのだ。完全に責任をなすりつけたけど、いまだけは許してほしい。絶対に情けないことになるから人気のないところがいい、とか考えていたらいい場所を思いついた。

「ちょっと歩くけどいいか?」
「いいですよ!」

 にこにこと笑うの顔は、あの日のあの子からは想像できない眩しい笑顔だ。やっぱり、俺の妄想、だよな。そう思いつつにつられて笑ってしまう。
 サッカー部が練習をしているグラウンドの横を通り過ぎて、端まで移動する。そうして校舎の側面に沿って歩いて行けば、は「ええ……」と恥ずかしそうに俺の顔を見た。北倉庫。倉庫の入口がいい感じのコンクリートになっているので座るには絶好の場所だ。ただまあ、俺とにとってはそれ以外の意味のある場所なわけだが。

「木葉さん、いじめ良くないです……」
「いじめてねーわ!」
「思い出し恥ずかしい……」
「別に恥ずかしいことじゃないだろ~」

 が前に閉じ込められてしまった倉庫。嫌がられるだろうとは思ったが、思いついたのがここしかなかった。ここなら他の誰かが来ることはまずないし、周りが静かで話しやすい。そう思っての選択だ。は渋々という感じではあったが、どうにか北倉庫の入口前に座ってくれた。今日は母親の手作り弁当を持ってきているは、お弁当のふたを丁寧に開けてから手を合わせて「いただきます」と呟く。俺も今日は母親の手作り弁当なのでと同じように「いただきます」と手を合わせてから、二人とも箸をとった。
 それからはいつもどおり楽し気に話をした。今日の試合のどこどこでの俺がよかった、とかそういう、いつもどおりの話だ。その話を俺もいつもどおり聞いているふりをしているが、内心はちがう。いつ聞こうか、なんと聞こうか。妄想だったときはなんと返そうか。現実だったときは、どんな反応をしようか。それだけが頭の中でぐるぐるとしていて、いつもどおりにできるわけがなかった。気にならないほうがおかしい。の話がほとんど頭に入って来ないまま、ひたすらに弁当を食べ続ける。タオルの出どころから聞くべきか?それともストレートにあの日のことを聞くべきか? どっちにしろ、心臓が飛び出そうなことに変わりはない。

「木葉さん」
「うお?! な、なに?」
「今日なんか変ですね」

 心配そうな目で見ないでくれ。はどうやら体調が優れないのかと思ってくれたらしい。それを否定するとは不思議そうに「なにかありましたか?」と首を傾げた。

「あー……えーっと、ですね」
「はい」
「…………あのですね」
「はい?」
「………………み、右膝さ、この前駅で転んだときのって言ってたじゃん」
「え、あ、は、はい」
「そのー…………痛くないのかな~……と思い、まして……」

 自分でもビビる驚愕のヘタレチキン具合に泣きそうになった。恐る恐るの顔を見ると案の定きょとんと目を丸くして固まっている。いや、正しい反応だ。意味不明なことを深刻そうに聞いて来たら誰だってそんな顔になるわ。ごめんな、と内心謝り倒しつつ、もう後には引けない。

「痛くないですよ。だって二年前の怪我ですし」
「怪我をしたその日はめちゃくちゃ痛かったんじゃないかな~、と、思いまして……」
「あんまり覚えてないんですよね、痛かったこととか」
「いやいや、階段から落ちて痛くなかったわけないだろ」
「痛かったと思いますよ。でも、それより印象に残ることがあったので忘れてしまったんです」
「……助けられたこと?」
「はい」

 明るく笑って「だから痛くなんてないのです」と少しおどけたようには言った。右膝を軽くぱしん、と叩くと「そのあと病院には行きましたけどね」と苦笑いをこぼす。

「両親にはそそっかしいっていつもみたいに呆れられて、友達にはばかだなーっていつもみたいに笑われました。でも、全部、どうでもよくなったんです。あの日から」

 吹き込んできた風で揺れた前髪を払う。も俺と同じように前髪を払いつつ、グラウンドのほうをじっと見つめた。その横顔を見つつ黙り込んでいると、が「もちろん木葉さんたちに恥ずかしいところを見られるのは嫌なんですけど」と付け足した。

「転んだりしても、落ち込んだり取り残された気持ちになったりはしなくなりました」

 俺の顔を見る。そうして胸を張って「心がですね! 強くなったんですよ!」と誇らしげに言った。それくらいにとっては嬉しかった記憶なのだと。は笑って「でも」と続ける。その顔はとても晴れ晴れとしていて、の中で何かがすっきりしたのだと分かるほどだった。

「それよりも昨日のほうが、もしかしたらわたしにとっては嬉しいことだったかもしれません」
「昨日? なんかあったのか?」
「逆上がりですよ!」

 少し拗ねたような顔をしたに首を傾げてしまう。え、逆上がりできたことがそれに勝っちゃうのか? そんなに逆上がりができないことがコンプレックスだったのか? 未だを助けたのが自分かははっきりしていないが、複雑な思いになりつつ「というと?」と聞いてみる。

「できないことができるようになるのがすごく楽しいことなんだって教えてくれたじゃないですか」
「いや~俺そんな大層なことはしてないけどなあ」
「でも、木葉さんのおかげで、できないことがたくさんあるということは楽しみがたくさんあるってことなんだ、って思えたんですよ!」

 人生の教訓にする、と言わんばかりには誇らしげに言う。そうして俺に頭を下げて「ありがとうございます」と楽しそうに言った。こっちが気恥ずかしくなるほど手放しの称賛が続いていく。いつものことで慣れてきたはずなのに、なぜだかいつもよりずっと気恥ずかしい。そんな俺に気付いたらしいが楽しそうに「照れてますか?」と俺の顔を覗き込む。ぱっと視界に入ってきたの嬉しそうな顔を見て、なんだか、もうどうでもよくなった。
 あの日のあの子がだったのかもしれない、とか。返してもらったタオルがあの日のタオルだったかもしれない、とか。そんなの全部どうでもよくなったのだ。いま俺の目の前にいるが楽しそうに、嬉しそうに、笑っているということだけで、もう、俺にとっては十分すぎるほどの答えになっている。が今、寂しい気持ちとかつらい気持ちになっていなくて、こんなにも前向きに物事を考えられて、にこにこと笑顔なのだ。もうそれ以上のことはないに違いない。
 そんなふうに考える自分が恥ずかしくて「見んなよ~」と両手で顔を覆う。は笑いながら「でも本当に感謝してるんですよ」と言った。

「それはようござんした~」
「木葉さんは照れると言葉遣いが変になるんですね」
「的確な分析やめて、マジで」

 ぱっと両手を離す。たぶん顔が熱くなっていたのは治まっただろう。一つ息を吐いてから「のためになったのなら俺としては光栄の至りですよ~」といつもの調子で言ってみる。
 ざあっと風が吹いてまた俺との髪を揺らした。前髪を払いつつ少し俯いたの髪に、ホワイトデーにあげた飾りゴムがついている。ほとんど毎日つけてくれるそれにまた気恥ずかしさを覚えつつ、今は見なかったふりをしておくことにした。今は何を見ても聞いても自惚れが過ぎる気がする。
 は乱れた髪の毛をちょいちょいと直す。それから俺のほうに視線を戻すと、いつものように笑ってくれた。