darling

あなたを知りたい2(k)

※木葉さんの捏造家族がしゃべります。


 朝、体育館に入りつつ「おはよー」と全員に声をかける。すでに来ているやつらから挨拶が返って来る中、離れた場所からが「あ! おはようございます!」と元気よく駆け寄ってきた。チワワかよ、と内心思いつつ笑って「おはよう」と挨拶を返すと、はすぐに「昨日はありがとうございました」と言って袋を手渡してきた。覗き込むと昨日貸した白いタオルといっしょにお菓子が入っているのが見える。

「きれいに洗いましたので!」
「おー、別に気にしなくていいのに……てか早くね?」
「うち、優秀な洗濯機と乾燥機があるので!」

 得意げに笑う。朝から元気なようで安心した。はにこにこと笑って「新作のお菓子なんで感想教えてくださいね」と言って、またマネージャーの仕事へ戻っていく。その背中を見送りつつ鞄をいつもの場所に置こうとすると、「おはようございます」と背後から挨拶された。

「うお、びびった……おはよう」
「ご機嫌ですね」
「えっ」
「顔、ゆるんでますよ」

 真顔のまま赤葦が俺の横を通り過ぎていき、他のメンバーに「おはようございます」と声をかける。取り残された俺は一人、赤いであろう顔を隠すように隅っこに蹲った。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 練習試合は無事完勝で終わり、まっすぐ帰宅した。母親がすでに夕飯を作り終えていたので、手を洗って着替えてからリビングに戻る。父親は残業だそうで遅くなるから二人で先に食べよう、と母親が言うので箸や取り皿を出すことにする。諸々の準備が整ったので二人でいつもの椅子に座って「いただきます」と手を合わせた。今日は酢豚と餃子という中華メニューだ。それを無言で食べつつソファの横においた鞄に目をやって思い出した。

「俺にいっつも渡してくるタオルってどこしまってたっけ?」
「ええ? どうして?」
「後輩に貸したやつ、今日返してくれたからしまっといて」
「はいはい、もうもらっとくわね」

 一旦食事を中断して鞄からから渡された袋を出す。その袋を見るなり母親が「あら?」とからかいモードに入ってしまった。

「ずいぶんかわいい袋じゃない」
「……昨日の後輩」
ちゃんね」
ちゃんとか言うな、マジで後輩だから勘弁して」

 袋の中からタオルだけ取り出して「ん」と母親に手渡す。母親はタオルを受け取ると「きれいに洗ってくれて、良い子じゃない」と笑った。そんなの言われなくても俺のほうが分かってるから。内心そう思いつつ「しまっといて」ともう一度言うと母親は「はいはい」とまた笑う。そのままタオルを空いている椅子に置こうとしたが、「あら?」と不思議そうな顔をした。が返してくれたタオルを広げてじいっと見ると「おかしいわね」と呟く。

「なにが?」
「昨日秋紀に渡したの、この前商店街の福引で当てたやつなのよ」
「だから?」
「これ、ちがうタオルみたいね。福引のやつはもっと安っぽかったし」
「えっ新品で返してくれたってこと?」
「でもこのタオル、どこかで見たような気がするのよね……」

 母親は首を傾げつつ「なんだったかしら」と呟く。一旦タオルを畳んで置こうとしていた場所に改めて置くと、とりあえず中断した夕飯に戻るようだった。俺には同じタオルに見えたのだが、恐るべし母親。昨日に貸したタオルとのちがいが俺には全く分からない。もともと俺の母親はきれい好きで整頓マニア、なんでもかんでもきっちりしているのが好きという人なので、タオルの管理もしっかりしている。古くなったらすぐに捨てて新しいタオルと取り換える。記憶力も半端じゃなくて、俺がいつに何の洗濯を出したかとか、そういうのを割と細かく覚えている。父親はそんな母親のことをよく褒めるが、ごくまれに面倒くさいと思ってしまうこともある。まあ、やっていただいている身からすれば、そのきっちりした家の管理には頭が下がるばかりだが。

「あ、思い出した」
「なにが?」
「このタオル、原田さんが引っ越してきたときにくれたものと同じなのよ。ほら、このタグ」
「いや分かんねえわ」
「北海道から引っ越してきたんだけど、地元のタオルだって言ってたから覚えてたのよ」
「あー、本当だ。北海道の住所だな」
「うちにあったやつはあんた持って帰って来なかったのよね」
「……は? 俺? なんかあったっけ?」
「高校あがったばっかりのとき、あんた人にあげたって言ってたじゃない」

 母親は呆れたようにため息をついた。俺が? タオルをあげた? 全く身に覚えがない。はてなを飛ばしていると母親は「あれいいタオルだったからちょっとむかついたのよね~」と言いつつが返してくれたタオルを眺める。そうしては北海道出身なのか、とか、この辺りの子なのか、とか、いろいろ聞いてきた。けれど、たぶんはどこかから引っ越してきたわけではなさそうだし、家は俺の家からだと片道二時間以上かかる距離だ。その北海道から引っ越してきた原田さんとやらからタオルをもらうわけがない。
 そもそも俺が人にタオルをあげたのって、なんだ? というかあげたことあったっけ? 高校にあがったばかり。何かあったか、と記憶をめぐる。

「なんかあんた言ってたじゃない。怪我してる子にあげたんだから仕方ないだろ、って」
「怪我……? えー、マジでなんだっけ……」
「女の子が転んだの助けたって言ってなかった? だからお母さん許したのよ」

 高校にあがったばかりのころ、女の子が転んだのを助けて、タオルをあげた。

「あ」
「思い出した?」
「思い出した思い出した。あのときのタオルか」

 高校に入学してからはじめてのバレー部の練習試合。どしゃ降りの雨の日。相手校の最寄り駅の階段で、悲惨な転び方をした女の子がいた。誰も助けないのが気になってしまって人波を割っていったら、その子は両膝、とりわけ右膝から大量に血を流していたっけ。鞄も人に踏まれてしまったのか、ぐしゃぐしゃになっていた。鞄についていたストラップを悲しそうに見つめていたような気がする。手首をつかんで引っ張るように階段をあがっていって、端っこでタオルを膝にあてたんだ。そのときに「え」と驚いていたから、たぶん汗を拭いたかもしれないタオルで嫌だな、って思われたかもしれないと焦ったのをよく覚えている。だからまだ使っていないことを伝えた。その子は黙ったまま俺のことをじっと見ていた気がする。その表情がなんだか泣きそうだったから、どうにか元気づけたかったのだけど俺には何もあげられることがなかったっけ。集合時間が迫っていたし、絆創膏も持っていなかった。タオルだけ渡して逃げるようにその場を離れようとしてしまったのだ。走り去ろうとしたとき、「あの、タオル」と声をかけられたので振り返って「あげる」と言ったんだ。その顔は、まだ、泣きそう、で、?

「…………え、いやいや、それはないだろ」
「なにが?」
「いやいやいやいや、それはないわ、ないない」
「秋紀、独り言はいいけどご飯食べなさい」

 呆れた声の母親の言葉はちゃんと耳に入って来なかった。頭に浮かんだことがびっくりするくらい心臓を速めた。あの子、が、頭の中で、に見えた。に似ていた、気がした。一昨年にたった一度だけ会った子の顔なんか覚えてるはずがない。勘違いだ。自分の都合のいいように、まるで夢でも描くように記憶を上書きしてしまっているだけだ。だってそんな偶然があるわけがない。あったとしても、あの子がそのときのタオルをずっと持っているなんて、あるわけがない。あまりにも夢見がちな思考回路に笑いがもれた。
 でも、もしも。もしも、それが現実だったら。それは使い古された言葉で言えば、運命、なんてものかもしれない。そう思うだけで心臓がうるさい。ばかみたいに口元がほんの少しだけゆるんだ。ただの妄想でこれだけ幸せになれる俺って、本当おめでたいやつだな。
 「食べないならさげるわよ」と母親に言われてようやく食事に戻る。まだ落ち着かない心臓の音を聞かないように、ひたすらに餃子を食べることに専念した。