darling

きみを知らない5(k)

※主人公の家族と木葉さんの家族が喋ります。
※木葉さんの家族を捏造しています。


「あの、木葉さん」
「ん?」
「木葉さんが乗る電車、行っちゃいましたけど……」
「え、だって俺こっち方面の乗るし」
「なんでですか! 木葉さんの家あっちですよね!」
「いや、の家こっちだろ?」

 何言ってんだお前は、という表情をわざと作っておく。駅の階段を下り始めたと同時に俺が乗る方面の電車が滑り込んできた。は「あ、ちょうどですね!」と言って「お疲れさまでした、ありがとうございました」と言ったのだがとりあえずガン無視をした。が「え、出ちゃいますよ、走らないんですか?」と焦っている間に電車はホームから出ていったというわけだ。そうして冒頭の会話に至る。

って駅から家まで結構歩くんだろ?」
「結構って言っても十分くらいですよ」
「それでもこんだけ暗いと危ないだろ」
「大丈夫ですって。何かあったら親に連絡しますし」
「何かあるのが嫌なの、俺は」

 ポケットからスマホを出してメッセージアプリを開く。母親とのトーク画面を開いて「後輩送ってくから遅くなる」と一応連絡を入れておいた。いつも部活やらで遅くなると「連絡くらいしなさい」と怒るので、割とまめに連絡するようにしているのだ。夕飯の支度がどうの、お風呂がどうの、と言われると反論もできないし、悪いとは思っているし。
 俺が母親に連絡を入れている間もはぶーぶー文句を言っていたがとりあえず無視。そのうちに俺たちが乗る電車がやってきた。は焦った様子で「本当にいいですって」「ちゃんと一人で帰れますから」と引き留めようとしたが、それも無視して電車に乗り込む。も乗り込むしかなくなり俺に続いて乗り込むと小さくため息をついた。

「木葉さんってこういうとき強引ですよね」
「今頃気付いたか」
「困った先輩です」
「褒め言葉として受け取っとくわ」
「ちがいますよ!」

 はもう一つため息をついてから「今日は甘えさせてもらいます」と仕方なさそうに言った。ようやく折れてくれたらしい。「先輩に任せなさい」と笑って言うと、困ったように笑われた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 の家の最寄り駅は電車で三十分ほどの場所で、東京の中では少し寂しく感じる場所にある。が前に「夜は真っ暗で怖いんですよ~」とマネージャー陣に話していたのを覚えている。俺にもそんなふうに言ってくれればいいのに。そう思いつつも口にはしなかった。
 電車内にはちらほらではあるが人がいて、そのほとんどは仕事帰りのサラリーマンやOLだ。うるさくしないように小声で話をしているうちにあっという間に駅に到着した。電車から降りてICカードを出しているとが「あの、本当にここまででいいですよ?」と笑った。ここまで来てそれはないだろう。そう苦笑いをこぼして「甘えとけって」と言いつつ改札を出た。それと同時にスマホが震える。画面を見ると母親からだった。いま人気のキャラクターのスタンプが一つ送られてきただけだったので、恐らく「了解」の意味だろう。これで気にするものは何もなくなった。

の家どこ?」
「ほ、本当にいいですって。木葉さん駅に戻るときに道に迷うとあれですし」
「ばかにすんなよ~。俺、一回歩いた道とか覚えるの得意なんだぞ」

 にかっといつもどおり笑う。は少し迷ってはいたが俺がもう一度「どっち?」と道を指さすと、諦めたように「こっちです」と歩き始めた。少し無言で歩いてから「すみません」と謝るので頭をぐりぐりしておく。

「俺が勝手にやってるだけだから謝る必要ないって」
「……木葉さんの世話焼き」
「最高の褒め言葉をどうも」

 けらけら笑ってやる。もようやく笑って「ありがとうございます」と言ってくれた。お礼を言われたくてやっているわけではないが、言われると嬉しいものだ。
 の進む足についていくように並んで歩いているうち、が言っていた「真っ暗で怖い」を目で確認していくような感覚があった。街灯がぽつぽつとはあるけど、東京という場所とは思えないほどに頼りない明かりだ。俺の家の周りは住宅街なので夜でも割と明るいが、の歩いていく道は家はあるのになんだか薄暗い印象だ。古い建物もあって少し不気味に思える。今の季節のように日の長い時期はまだマシだろうが、秋や冬などの日の短い季節は特に不気味だろう。
 しばらく他愛のない話をしつつ歩き続けていくと、が左に曲がる。すると「もうすぐそこなので、ここで大丈夫です」と立ち止まった。曰くここからしばらくまっすぐ行けば家なのだという。の言葉にまた苦笑いをもらす。いやいや、ここまで来たんだから最後まで送らせてくれよ。そう思いつつ「はい、行きますよ~」とまっすぐ歩き始める。は「もう!」と子どものように言ったが、大人しく隣を歩き始めた。
 の言った通りまっすぐ歩いた先に一軒家があって、がそこの前で立ち止まる。そうして俺に深々と頭を下げて「すみません、ありがとうございました」と言った。ただ家まで送っただけで感謝されすぎだろ、俺。「気にすんなって」と声をかけてから「じゃあ、また部活でな」と駅に戻ろうとしたときだった。の家のドアがガチャッと開いて「あんた連絡くらいしなさいよ~!」と女の人の声が聞こえた。思わず体が固まると、顔を覗かせたその人と目が合った。絶対の母親じゃん。顔そっくりだし。の母親らしき女性も固まって俺のことをじっと見ていたが、すぐに表情がころっと変わった。

「あら、もしかして彼氏? 送ってくれてありがとうね~」
「えっ、あっ、いや」
「お母さん!!」

 「先輩だから!」と真っ赤な顔をしたが母親らしき女性に叫ぶと、女性はにこにこと笑って「危なっかしい子だけどよろしくね~」と言いつつ玄関から出てくる。「の母です~」と言う顔は完全に勘違いしたままだ。もそれに気付いているらしく「だから!!」と母親の腕をばしばし叩いている。

「バレー部の木葉秋紀です……こんな時間まですみませんでした……」
「秋紀くんね~! 全然! いいのよ! またいつでも連れてってね」
「お母さんってば!!」
「おうちどこなの? よかったら車乗ってく?」
「い、いえ! 大丈夫っす!」

 なんだこの妙に気恥ずかしい空間は。の母親は「身長高いわね~お父さんより大きいわ、絶対」と俺のことをじいっと観察し続けている。それからのほうを振り返ると「あんたにはもったいないわ……」と言ってから俺のほうにまた視線を戻す。「こんな子でいいの? もっとかわいい子学校にいるでしょう?」とものすごく自分の娘をディスっているがいいのだろうか。はまた母親の腕をばしばしと叩きながら「だからちがうってば!」と相変わらず赤い顔のままだ。

「こんな子だけど頑張り屋なところはあるから、よかったらこれからも仲良くしてね」
「あ、は、はい、もちろん」
「木葉さん!!」
「あっ、いや、俺本当にただの部活の先輩、なんですけど」
「あらあら~大丈夫よ、お父さんには内緒にしとくから!」
「お母さん!!!」



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 どっと疲れた。家の最寄り駅で降りて歩き始めたのだが、とにかく疲れた。の母親はあれから「ご飯食べてく?」「家まで送ってくわよ?」とぐいぐい話しかけてくれた。いい人だな、と思いつつ「いえ悪いので!」と断ると「あら残念」と本当に残念そうな顔をされた。が恥ずかしさのあまり泣きそうになっていたのが少しかわいそうだったが、の母親がいい人だと分かってちょっと嬉しかったり。の母親はあまり背が高くなかったので、の身長はその遺伝なのだろう。顔もそっくりだったし。
 あんなに焦ったり怒ったりしているは見たことがない。思い出すと思わず笑ってしまった。今頃家の中で母親に怒っているのだろうか。その姿を想像できるようになっていて、余計に笑ってしまう。きっと大事に育ててきたんだろうなあ。それが透けて見えるかのような人だった。
 見飽きたほどに見慣れた自分の家の鍵を取り出し、これまた見飽きたドアに鍵を差し込む。そうしてドアを開けて玄関に入って「ただいま」と声をかけるとリビングから「おかえり~」と母親の声がした。リビングに入ると俺を見るなり母親が「やだっ、あんた砂まみれじゃないの!」と嫌そうな顔をする。公園でちゃんと払ったはずだったが、母親の目には汚れた息子としか映っていないらしい。ソファに座ってテレビを観ていた父親が「おかえり」と声をかけてきたので「ただいま」と返しておく。その間に母親が台所からつかつかとやって来て「お風呂!」と言って手を伸ばす。鞄を受け取ってくれる、というかそのまま床に置くなということらしい。苦笑いをこぼしつつ「ごめんて」と言うと、「もう、本当に手がかかるわ」とため息をつかれた。

「あ、そういえば」
「なに?」
「送ってきた後輩って女の子?」
「そうだけど……え、なに?」

 母親が父親を見ると、二人は視線を合わせてしばらく黙った。は?なに?その空気感に困惑していると母親が俺のほうを見て、少しだけ困ったように笑った。父親も俺の顔を見ると「秋紀」と俺に話しかけながら立ち上がる。

「よそ様の娘さんをこんな時間まで連れ回すな」
「な、なんだよ……いや、それは分かってるけど」
「親御さんには会ったのか?」
「母親には会ったけど……ちゃんと謝ったよ」
「そうか。彼女のことが好きなら今度からはちゃんと大事にしなさい」
「……は?」
「あんた彼女ができたならそれくらい言いなさいよ。なんていう子なの?」
「は?!」

 言葉で表すならまさに「微笑ましそうに」笑う両親の顔に、一瞬で顔が熱くなった。いやいやいやいや、なに勘違いしてんのこの人たち! 「いやちがうから! 後輩だって言ってんだろ!」と大きい声を出してしまう。母親は「はいはい、分かった分かった」と言いつつもまだ笑っている。俺の鞄を奪うように持っていきつつ「で、なんていう子なの?」と楽し気に聞いてくる。父親も「秋紀、高校生のうちはな……」ととんでもないことを言い始めそうになったので「だからちげーって!」と言い残してリビングをあとにした。閉めたドアの向こうから二人の「照れちゃって、まあ」という未だ微笑ましそうな声が聞こえてきたので、かき消すように足音を立てて風呂に向かう。
 なに勝手に勘違いしてんだよ、やつらは! 恥ずかしさが頂点のまま服をすべて脱いで洗濯機に放り込む。風呂場に入ってシャワーを出してすぐ「あ、部屋着出してないわ」と気が付いてしまって項垂れる。このままだと全裸で部屋まで戻らなくてはならない。家なのでいいことにはいいのだが。ものすごく嫌だったが風呂場のドアを開けて「母さん!」と声を出すと、どこか機嫌よさげに「はいはい?」と声が近付いてきた。「ごめん、部屋着取ってきて」と言えば、もうリビングに畳んであったものがあったようで「置いとくわよ」とすぐに脱衣所のドアが開く。「サンキュー」と言いつつドアを閉める。すると「秋紀」と声をかけられたので視線をそちらに向けると、浴室ドアの向こう側にしゃがんでいる母親の影が見えた。

「え、なんだよ」
「それでなんていう子なの?」
「だからちげーって言ってんじゃん!」
「なんていう子なのって聞いてるのお母さんは」
「……だけど」
「下の名前は?」
「…………
ちゃんね」
「本当頼むから変な勘違いすんなよ、後輩だからな、マジで」
「かわいい子?」
「はあ?!」
「かわいいの?」
「………かわいいけど」

 母親は笑ってから「まあ、ほどほどに頑張んなさい」と言って脱衣所から出ていった。だからちげーんだってば……。ぼそっと呟いたそれが風呂場に響くと、どうしようもなく恥ずかしくなってしまって、自然とため息が出た。