darling

きみを知らない3(k)

 午前の試合が終わると、各自家から持ってきたりコンビニで買った昼食をとることになる。体育館の中でそれぞれ好きなところに座って昼食を食べつつ、他愛もない話をしている。外の水道に行っていた俺は一足遅かったようで、猿杙たちの輪に突撃するか、と考えつつ鞄の中の昼食を手に持った。それとほぼ同時にが梟谷メンバーの鞄が寄せ集まっているところへやって来て「あれ、木葉さんまだ食べてないんですか?」と声をかけてきた。どうやらも一足乗り遅れたらしい。せっかくなのでそのまま近くに二人で座って昼食をとることにした。
 いつもどおり笑って俺のことを話しているをじっと見ていて、ふと気になった。右膝に怪我をしたらしい傷跡がある。ずいぶん前のものらしくほとんど消えかかっているし、じっと見ないと分からない程度のものだ。転んでできた、にしては傷跡が残り過ぎだしなにか大きな怪我でもしたのだろうか。怪我のことを聞くのは少し気が引けたが、思い切って聞いてみることにした。

「その右膝の怪我、なにしたんだ?」
「えっ」
「結構深く残ってんじゃん。大丈夫だったのか?」

 いつもどおり聞いたつもりだったので、もいつもどおり返答をしてくれると思っていたのだが。なんだかものすごく衝撃を受けたような顔をして「え、あー……」としどろもどろになってしまう。触れてはいけないものに触れてしまったのだろうか。内心焦りつつ「いや、言いたくないならいいんだけど」と続けたが、は「そういうわけでは、ないんですけど」となんだか曖昧に笑った。コンビニのおにぎりの袋を半分開けたままでは言葉を探すようにふよふよと視線を宙へそらした。あまり人に言いたくない失敗か何かの勲章なのだろうか。言いたくないことを無理やり言わせようというわけではない。話題を変えるか、と口を開こうとした俺よりもが先に言葉を見つけたようだった。

「ちゅ、中学生のときに、駅で、あの、転んで」
「え、転んでそんな深い傷になったのか?」
「えーっと……か、階段、から、落ちまして」
「えっ、マジか、大丈夫だったのか?」

 はなぜだかしどろもどろにそのときのことを話した。ひどい雨が降っていた日で、駅員が足元に気を付けるよう注意を促すほどだったという。はその日中学のときに所属していた部活の新入生勧誘の準備でいつもより早く駅についたらしい。ちょうど通勤ラッシュにかちあたってしまい、駅は多くの人でごった返していた。そうして階段をあがっていたとき、足が滑って踊り場まで膝をついたまま滑り落ちてしまったのだと苦笑いをして教えてくれた。

「大量に出血してしまいまして……」
「マジか、痛そう……」
「……で、でも、あの、骨とかは、折れてなかったので」
「折れてたら悲惨すぎるだろ……。よかったな」

 想像したらあまりにも痛そうで、笑うことすらできなかった。はそんな俺の顔をじいっと見たかと思えば、なんだか安心したように息をついた。俺がばかにして笑わなかったことに安心したのだろうか。よく分からなかったが、特に何も聞かずに見なかったふりをした。

「駅員さんとかが声かけてくれたりしたのか?」
「えっ」
「いや、だってたぶんめちゃくちゃ血出てただろ、その感じだと。友達とかいっしょにいたのか?」
「……い、なかったです、けど……」
「うん?」
「…………た、助けてくれた、人が、いて」

 視線を思い切り逸らされた。なんだか重大な告白をしているかのような顔をしているにはてなを飛ばしてしまう。
 それにしても、助けてくれた人、か。

「よかったな、その人がいてくれて」
「……はい、すごく心強かったです」
「そういうときってすげー視線感じる気がするよな~。俺も一回転びかけたことあるんだよな~」
「……わたしもそのとき、その場にいる人みんなに笑われたように思いました」
「あー分かる」
「だから、助けてもらったとき、泣きそうになったくらい嬉しかったです」

 遠い思い出話を話すようには言った。表情だけで分かる。にとってその出来事はとても大切なものなのだ。そう思うと妙に心がざわついた。俺って本当にのこと何も知らないんだな。膝の怪我だって今の今まで気が付かなかった。まあ、そんなにじっと足を見てたら気持ち悪がられるだろうし、それは仕方ないということにしておく。
 知らないことがあるなんていうのは当たり前のことで、知ることができないことがあるというのも当たり前のことだ。俺がどうがんばったって中学生ののことをぜんぶ知るのは不可能なわけで。のことをぜんぶ知るのはもっと不可能なのだ。できないことだと分かっていても、妙に寂しくなる。それがおこがましいことなのかもよく分からない。
 が半分だけ開けていたおにぎりの袋を思い出したように開け始める。丁寧に真ん中をびりびりと破ってから左右を引き抜く。やぶれてしまった海苔を指でつまんでそのまま口に入れた。はコンビニのおにぎりを買うときは高確率でシーチキンマヨだ。たまに昆布や明太子のときもある。一度も見たことがないのが梅と鮭。嫌いなのかと思っていたが、合宿の夕飯で出たときはふつうに食べていた。おにぎりの具の中ではあまり好きなほうではないのだろう。……なんていう、とてつもなくどうでもよく思えることならたくさん、盗み見てきたのだけど。俺にとってはそんなどうでもよく思えることですら、知ることができただけで大満足な内容だ。
 そうやって盗み見るようにのことを知っていくのは少しだけ気が引ける。ちゃんと面と向かって本人に聞けばいいだろうに。相変わらずヘタレな自分にはほとほと呆れてしまう。いつか面と向かってちゃんと知りたいことを教えてもらえる日は来るのだろうか。

「あれ、なんか」
「はい?」
「すげーデジャヴを感じる……なんでだ……」

 がおにぎりを一口頬張る。それから笑って「なんででしょうね」と声を弾ませた。