darling

勘違い3(k)

 朝練前、いつもどおり練習の三十分前くらいに体育館の前を通る。そのまま体育館の中に入ろうと歩いていると、少し先の水道のそばにがいるのを見つけた。今日は一番乗りだったのだろう。傍らにジャグタンクがあるので中を洗っている最中だろうか。声をかけようかと思って「おは、」と言いかけたところでが誰かと話しているのに気付いてしまった。さっと物陰に隠れてそ~っと顔を出して誰かを確認する。相手はあの例のイケメン、陸上部の加藤だった。距離があるので何を話しているのかは分からないが、とにかく加藤の顔が緩み切っていることだけはよく分かる。のことは後ろ姿しか見えないので分からないけれど。なんとなく分かることといえば「いやいや!」と言っているらしく手でジャスチャーしたり、やたら頷いたりと体が動いていることくらいだ。顔はたぶん笑っているのだろう。もやっとするのと同時に顔が緩んでいる加藤になぜだかイラッとしている自分にちょっと驚いてしまう。いや、別に俺がどうこうしたり言ったりすることじゃないし。もやもやする気持ちを抱えたまま二人を覗くことをやめ、体育館に入った。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「木兎さん今のクロスすごかったですね!」
「だろ~?! すごかっただろ~?!」

 朝練がはじまると、今日のはどうやら木兎デーらしくずっとこんな感じだ。赤葦としては助かる一方思うところもあるらしく、今日練習中に何度睨まれたか分からない。俺のせいなんだ?! 若干肩身の狭さを感じつつも鷲尾の後ろに隠れていたが、その後ろに雀田が回り込んでくる。「おい」と笑顔で拳を見せてくるあたり、俺に味方はいないらしい。が木兎と体育館の隅っこで楽しそうに話しているのを見つけると、チャンスとばかりに赤葦と雀田に囲まれた。雀田は一昨日と同じスタンスで「あんた本当に何したの?」と眉をひそめてる。赤葦はというと、一昨日と昨日など比にならないほどの形相を浮かべてただただ黙って俺を見ている。怖い。こんなにも後輩を怖く思う日が来るなんて思わなかった。雀田に罵られつつ赤葦の視線に耐える。俺、前世でどんな悪行を働いたんだろうか。

「木葉さん」
「はい?!」
「俺、昨日言いましたよね?」
「は、はい?」
「今日、自分が何をすべきか、分かってるんですよね?」
「え、怖。赤葦なんでキレてんの? 木葉あんた何したの?」

 雀田も困惑している。赤葦だけが人を殺せそうな顔をしている中、隣できゃっきゃと話していた白福と小見がこちらに混ざってきた。赤葦のこの状況を知ってか知らずか。この二人の大胆な空気の読めなさにはいつも驚かされる。

「ちょっと聞いて聞いて~私女バレ二年の子とかに木兎の彼女って思われてるんだって~」
「えっ何それ罰ゲーム?」
「ありえなくない~?」
「つーか雀田もご愁傷様な」
「なにが?」
「え、お前木葉の彼女って思われてるらしいぞ」
「はあ?! ねーよこんなヘタレ!」
「ひどい、本人目の前にいるんだけど、さすがに傷付くわ」

 げらげら笑う雀田の肩を、赤葦がぽんと叩く。顔が死んでいる。雀田が不思議そうに「なに?」と笑ったまま問いかけると、赤葦はのほうを指さしただけで一言も話さない。雀田は赤葦の指の先を見て、一瞬固まると思考を巡らせているようだ。そうして突然「あ」と声を出したのち、分かりやすく顔色が悪くなっていった。

「そういうことか……」
「そういうことです」

 え、どういうこと? 二人の妙な通じ合いに俺がはてなを飛ばしていると、なぜか白福と小見まで「あーなるほど」と苦笑いをこぼした。え、分かってないの俺だけ?

「クラスメイトにその話を聞いたそうです」
「うわー……で、なんて?」
「お似合いだって返したそうです」
「うわー……私めっちゃ悪夢じゃん……」
「ご愁傷様です」

 白福と小見も手を合わせて「ご愁傷様」と雀田に言う。一応ノリを合わせて俺も同じことをしたのだが、なぜだか思いっきり殴られた。俺、最近踏んだり蹴ったりだな? 小見がそんな俺を見て「まさかだけど」と俺の顔を見る。「お前、意味分かってないの?」と言った顔はものすごく呆れていた。ついにバレてしまったらしい。正直に「あんまりよく分かってないっス」と笑って返した瞬間に三方向から拳が飛んできた。ちなみに拳が向かった箇所を説明すると、赤葦が俺の右肩、雀田が左頬、白福が腹である。

「いいですか、木葉さん。事を整理しますよ」
「お願いします……」
「まず、友人からは木葉さんと雀田さんが付き合っているという噂を聞かされますよね」
「はい」
がどういう思考回路で処理したかは謎ですが、それを信じたわけです」
「え、信じてんの?!」
「そうとしか考えられません」

 見りゃ分かんだろ、と白福が俺の膝を蹴り飛ばす。同じく雀田が俺の脇腹を思いっきり叩いた。

「かおりと木葉が付き合ってるって勘違いして、邪魔をしないように話しかけないってこと~」

 分かった~?!と白福が俺の腹にチョップを数回かます。その隣で雀田が頭を抱えて「悪夢だわ」と呟き続けていた。俺と噂出るのってそんなに悪夢ですか?! 若干傷付きつつも状況をようやく理解できた。が急に話しかけてこなくなったわけも、話しかけてもノッてこなくなったわけも。嫌われたりとか俺が何かしてしまったりしたわけじゃないと分かって少しほっとした。

「勘違いを解けばいいわけです」
「あんたのためというか私のために早く解いてこい」
「なんかすみませんね?!」

 勘違いを解けば前みたいに。と、そこまで考えて、ちょっと盛り返していた気持ちがしぼむ。前みたいに戻ったとしても、結局だめなんだろうしなあ。さっき見たばかりの楽しげに話す加藤とのことを思い出してしまう。突然黙りこくった俺の胸倉を雀田が掴み上げ「なにしてんだお前は」と睨みつけてくる。副主将とマネージャーがほとんどヤンキーみたいになってるけど、うちのバレー部は大丈夫なのだろうか。
 黙っていてもそのうちバレることなので、洗いざらい吐くことにした。陸上部の加藤がのことを好いているらしいこと。とお似合いだと俺は思うこと。ついでに俺よりどう見てもイケメンだしかっこいいやつだということ。さっき楽しそうに話をしていたこと。話し終えると珍しく雀田はきょとん、とした顔をして静かに俺の胸倉を離した。

「いいんだ?」
「はい?!」
ちゃんがあのクソみたいなイケメンの加藤と付き合っていいんだ?」
「いや、あの、いいっていうか個人の自由じゃん……?」
「へーそうなんだー」

 怖い。無表情な女子ほど怖いものはない。いつもなら熱く接してくるだけに不気味で仕方ない。雀田は俺から一歩離れると「ふ~ん」と腕組みをする。白福とこそこそ二人で何かを話してからもう一度俺のことを見ると「分かった分かった」と一人で頷いた。

「つまりちゃんのこと、かっっっる~く好きだったのね」
「え」
「チャラいわ~木葉チャラいわ~~見た目のまんまだわ~」
「引くわ~」
「ドン引きです」
「俺もドン引き」

 え、なんか俺が悪いみたいな流れになってない? のことを軽く好きだった? 言われた言葉に衝撃を受けつつ黙っていると、雀田が「だってそうじゃん」と無表情なまま言う。

「彼氏がいたんならまだしも、そうじゃないのにすぐに諦めるとか」

 「軽いの極みじゃん」と言うと赤葦が大きく頷いた。「一応あんなんでも大事な同輩なんで」とため息をつくと、「さすがに遊びでちょっかいかけるのはどうかと」と呟く。白福と小見までそんなふうに俺のことを言い始めると、さすがにちょっとムカついてきた。いつ誰が軽いとかチャラいとか、そういうのだったって言ったんだよ。だってふつうこうならない?相手が圧倒的に自分より優良物件だったら身を引くもんじゃない?そのほうがだって、いいだろう、し。

「木葉、フラれるのが怖いから身を引いてるだけじゃん」

 「ちゃんのためとか思ってるみたいだけどさ」と雀田が言う。雀田の言葉に思いっきり心臓が動揺した。まさにそのとおり、思わずそう喉の奥でそう呟いてしまった。隠していたものの奥にさらに隠していたものを一瞬で見抜かれた。俺、かっこ悪すぎるだろ。

「木葉はちゃんのこと好きなの?好きじゃないの?」
「え、あー……」
「恥ずかしがるな! ここにいる全員知ってるわ!」
「そうは言ってもな?!」
「好きなの? 好きじゃないの? どうでもいいの? 嫌いなの?」
「選択肢多いな?!」
「どれ?!」

 右隣に赤葦、左隣に小見、その向こうに白福、正面に雀田。この状況で言えと?! いくらなんでも恥ずかしすぎるだろ! 若干後ずさりかけた俺の背中を赤葦と小見ががっちりつかむと、「腹くくろうぜ、木葉」「腹くくりましょう、木葉さん」と言われてしまった。マネージャー二人組も「どうなんだよオイ」となぜかケンカ腰になっている。どういう状況だ、これは。ものすごく恥ずかしい状況なのだろうがもう逃げ道はない。あっちこっちに視線をやったあと、意を決して呟く。

「好きです……」
「ん~? なんて~?」
「好きだって言ってんだろうが!」

 ヤケクソだった。赤葦と小見が俺の背中をぽんぽん叩くと「よく言った」「見直しました先輩」と口々に言う。白福と雀田も頷いて「よく言った」と珍しく褒めてくれた。なんだよこの儀式。

「あの」
「うわあ?!」
「すみません、邪魔しちゃって」

 ほっとしたところに突然の声がして驚いてしまった。俺の背後にいたらしいはビブスを配りに来たらしかった。さっきの会話、まさか聞かれてたか?! どぎまぎしつつを見ているとビブスを赤葦と小見に配り、最後の一枚を俺に手渡す。聞かれたかもしれないという緊張感を抑え込むように無理やり笑って「さんきゅー」とに言う。俺の言葉にがにこっと笑った。聞かれていなかったらしい。ほっとしている俺の隣で赤葦だけ顔色が悪く見えるのはなぜだろうか。

「見せつけてくれますね木葉さん!」
「……はい?」
「お幸せに!」

 目にも止まらぬ速さではまた木兎のところへ帰っていった。え、なに、どういうこと? 困惑する俺の隣で赤葦は頭を抱えていた。楽し気に木兎と話すの背中に首をかしげてしまう。今度は何が起こった?そんな困惑の中、ぽつんと思ってしまった。ここ数日何もついていない、前まで通りの位置に下がったポニーテールの根元。合宿であげたときから会うときは必ずついていたあれが今日もついていない。それがなんだか寂しく思えるのは、おこがましいだろうか。