darling

名探偵

※赤葦視点です。
※主人公の友人が出てきます。


 春休みも残りわずかとなった。暖かい陽気に少し眠気を感じつつ、今日も今日とて厳しい練習をこなしている。新学期がはじまるとこんなにのんびりはできないだろう。新入生が入って来るのでいろいろ教えたり指導したりしなければいけないし、そもそも新入部員の勧誘もしなければいけない。しばらくは慌ただしい日々が続くと予想される。それを思うと少し楽しみなような、気が重いような。
 試合形式の練習が一周終わるとしばしの休憩となる。先輩たちは新学期のことで監督と話をするらしく集められた。俺たち後輩はモップがけや散らばったボールを拾いつつ談笑することになる。
 がタオルを回収しながら「そこ濡れてるー」と部員にモップがけの位置を指示している。はおっちょこちょいなところが目立っているけれど、あんなふうによくいろんなことに気付く。それを純粋にすごいと思うし頼りがいがあるとも思う。本人はどうやら自分に全く自信がないようだけれど。

「赤葦さぼり?」
「いや、違うから」
「タオルもらうね」
「ありがとう」

 けらけら笑いながらは俺のタオルを回収する。今日はこのあと少しだけ練習をした後はミーティングをし、解散となっている。早めにタオルやボトルは洗っておこうというわけなのだろう。かごにタオルを入れてが持ち上げたときだった。体育館の入り口から「いる?」と女子の声が聞こえた。

「いるいる!」
「あ、ごめん練習中?」
「いまは休憩中だよ~。なに?」

 どうやらの友人だったらしい。同じ学年なのでちらっと顔を見た覚えがあるようなないような。恐らく離れたクラスの女子なのであまり知らない顔だった。に借りたいCDがあったとかでそれを明日持ってきてほしいという旨のお願いにはすぐに了承する。友人が礼を言ってから体育館の中を覗き込む。

「それにしても本当にバレー部のマネージャーやってんだね~」
「やってるよ~このとおり!」
、中学のときバレーが一番嫌いって言ってたのにね」

 その言葉にかすかな衝撃を覚える。は苦笑いをこぼしつつ「そんな時期もあったねえ」と懐かしそうに呟く。スポーツが得意ではないことは知っていたが、まさかバレーが嫌いとまで言っていたとは。もともとなぜバレー部のマネージャーになったのか不思議に思うところがあった。この話を聞いてますますがバレー部マネージャーになったことが不思議になってしまう。

「あとあれはどうなったの?」
「あれ?」
「なんだっけ、なんかお礼言いたい人がいるって言ってたじゃん」

 中学のとき、との友人が付け加える。は少しだけ間を置いてから「もう言えたよ」と穏やかに笑った。友人がけらけら笑って「よかったよかった~」と言いつつ手を振って体育館から出ていく。最後に「明日よろしく!」と言ったのち、走って部活に戻っていった。
 一つ、つながったものがある。

さ」
「うん?」
「中学のとき、木葉さんに会ってるだろ」

 木葉さんの遅刻、転んだ女の子、そのときにあげたタオル、お礼を言いたい人、白いタオル。あの話を聞いたときに感じた違和をようやく見つけることができた。木葉さんは女の子にタオルをあげたと言った。絆創膏の代わりにあげるにしてはなかなか太っ腹だと少し感心したのを覚えている。そのあとにが木葉さんがあげたタオルをさも当然のように「白いタオル」と言ったのだ。このごろ木葉さんが部活用のタオル以外に持ち込むタオルは大体青とかグレーとかで、白ではない。それなのに。まるでそれを見たかのように、は「白いタオル」と言い切ったのだ。

「ものすごくどうでもいいことなんだけどね」
「なに?」
「わたし、昔からのろまでドジばっかりしてたんだよね」
「多少おっちょこちょいだとは思うけど、そんなに?」
「周りの子たちにちょっとばかにされてたよ」

 一度持ち上げたかごをもう一度置く。の視線はまっすぐ木葉さんの後ろ姿をとらえていた。

「転んでも何かに躓いても、みんな笑うだけで助けてくれないのを寂しく思ってた時期があって」
「うん」
「恥ずかしい話だけど、そんなわたしにもいつか手を差し伸べてくれる、白馬の王子様みたいな人が現れるなんて思ってたんだよね」

 照れくさそうに笑う。子どものころ女子がそういう童話を読んで楽しそうにしていたのを思い出す。も例にもれず、ふつうの女の子だったのだろう。

「でもわたし、のろまだから」

 そんな自分に、童話に出てくるような存在は現れない。はいつしかそう諦めたのだと笑った。

「駅で転んだとき、みんながわたしをばかにして笑っているように思えて、なんだかすごく怖くて」

 膝から流血するわ、鞄はなかなか取れないわ、お気に入りのキーホルダーがぐしゃぐしゃになるわで散々だった。はそう笑い続ける。自分が不注意で転んだのが悪いんだけど、と付け加えたの横顔はなんだか寂しげだった。

「すごく自分が情けなくて惨めだったなあ。まあ、ただ転んだだけなんだけどさ」

 俺の顔を見上げてへらりと笑った。はジャージの袖を指で引っ張りながらまた前を向き直す。

「あんなふうに手を引っ張られたの、生まれてはじめてだったんだ」

 懐かしそうに、愛しそうに、の瞳がなぜだかきらきらと光って見えた。から視線を外して俺も前を見る。監督の話を真剣に聞いている木兎さんの背中を通ってから、が見ているであろう木葉さんの背中にたどり着く。少し猫背の背中。にはあの背中がどんなふうに見えているのだろうか。

「すごく、すごく、救われたんだ」

 怖くて泣きそうだったのが、嬉しくて泣きそうに変わったのだとは言った。木葉さんにとっては当然でなんでもなかったかもしれない行動が、という一人の女の子をどれほど救ったのだろうか。の立場になって考えるとどこか胸が痛むのも分かってしまった。

「だから来ちゃった」

 はは、と頬をかきながらは照れくさそうにはにかんだ。なんだか居心地悪そうに「不純な動機でごめんね」と俺の顔をまた見る。別に不純だなんて言っていないけど。むしろ、それはあまりにも純粋すぎると言っていいほどのものだ。

「タオル、返せた?」
「……うーん……返せてないんだよね」
「返さないの」
「あげるって言ってくれたし、わたしの宝物にしちゃおうかな~って」

 だめかな、と子どもっぽく笑う。ちょっとだけ情けない表情が妙にむかついて頭にチョップをかましてやると、は「痛いんですけど~」と苦笑いをもらした。「いいんじゃない」と呟くと、は少し固まってから「いいよね~!」といつもどおりの顔に戻った。