darling

白馬が見えた

※主人公視点です。
※過去の話がメインなので捏造まみれです。


 昔からのろまでとろかったわたしのことを、みんながおもしろがって笑っていたのを今でもたまに思い出す。あまり要領が良くなくて運動センスがない。そんなわたしはいつも何かをやらかしてはみんなに笑われ、それに笑って返すしかできなかった。本当は内心ものすごく恥ずかしくてたまらなかったし、転んだときに誰も手を差し伸べてくれないのがちょっと寂しくもあった。小学生くらいのときはとくにその思いが強くて、いつか誰かが手を差し伸べてくれると期待していたっけ。いわゆる白馬の王子様なんて童話の世界にしかいない存在を本気で待っていたのだ。
 けれど、そんな思いは中学生になって薄れていく。相変わらずの毎日。ちょっと躓いただけで「またのろまが転んでやがる」と小学校から一緒の男の子に笑われた。女の子たちは「やめなよ」と注意しつつも笑っていた。体育では「下手だから」という理由でバレーやバスケでボールを回してもらえない。あまりにも下手で恥ずかしいから教えて、と頼むと快く教えてくれるけれどずっと大笑いされる。みんなもそれを面白がって笑っていた。自分でいうのもなんだけど、別にいじめではなかった。わたしが”そういうキャラだから”、みんな笑うだけなのだ。それをわたしも分かっていたから別に怒ったりしなかったし、やめてほしいと頼んだこともない。白馬の王子様どころか心配して手を差し伸べてくれる人すらもいない。じわじわとそんなことが分かってきて、寂しい思いはあったけれど。どれもこれものろまでとろい自分が悪いのだと諦めていた。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




 中学三年生の春。中学の最寄駅で降りて階段を上がっていたときだった。この日はひどい雨天で電車が遅延したせいもあっていつもより駅にはたくさんの人がいた。あまり背が高くないわたしは人混みにもみくちゃにされながらもなんとか波に乗って、駅の階段をあがっていた。階段は歩く人々の靴や傘についている雨水のせいでびしょ濡れになり。駅員さんが「足元にお気を付けください」と注意を促していたのを覚えている。
 人混みにもみくちゃにされつつもなんとか階段をあがっていき、踊り場にたどりついた。ほっとしつつまだある階段をあがりはじめて五段目くらいに足をかけたときだった。駅員さんがあんなに注意を促していたにも関わらず、お得意のドジをかまして思いっきり滑ってしまったのだ。「ぎゃっ」と思わず声が出て、そのまま段差に思い切り膝や脛をぶつけながら踊り場まで滑り落ちてしまった。何が起こったのかよく分からず、ぽけん、と呆けていると。流れ続ける人混みから少しの笑い声や視線を感じた。肩から滑り落ちた鞄を拾おうとするのだけど、誰も足を止めてくれない。だらだらと血が流れる膝は見なかったことにして「すみません、すみません」と人波を切ってしまうことをひたすら謝った。なんとか鞄までたどり着いて拾い上げると、つけていたお気に入りの小さなぬいぐるみのストラップはぐしゃぐしゃになっていた。きっと何人かの人に踏まれてしまったのだろう。
 ため息が漏れた。もちろん誰一人立ち止まってはくれない。立ち止まる義務なんてないし、滑ったのはわたしが不注意だったから。こうして人に迷惑をかけているだけなのに、助けてもらうなんておこがましいにもほどがある。まだたくさん階段をあがっていく人たちがわたしのことをじろりと睨んでいるように思えた。「すみません」と何度も何度も謝って膝を少し払ってからまた階段をあがろうとしたときだった。

「すみません、すみません、ちょっと通ります」

 人混みの向こうからそんな声が聞こえた。男の人の声だ。わたしといっしょで滑って転んじゃったのだろうか。そうだとしたらわたしだけじゃないって少し安心するなあ。でも声の方向を見ていてもとくにそういう感じはない。その代わり、たくさんの人混みをかき分けて、わたしの目の前に真っ白なジャージを着た男の人が現れた。

「あ、いた! 大丈夫? 思いっきり転んだでしょ」

 背が高い男の人だった。目が細くて髪の毛がさらさらで、全体的に細い感じの。その人はわたしの膝を見るなり「血!」と驚いた顔をしてから「とりあえずあがりきろう」と言いながらわたしの手首をつかんだ。大きな手の人だ。驚きつつも階段をあがっていくその人に引っ張られるように階段をあがり切り、人混みを避けて端に寄る。その人はしゃがんでわたしの膝を見つつ「うわーめっちゃ血出てる」と苦笑いをこぼしてからわたしの顔を見て「大丈夫? 痛くない? ……って痛いよな」とまた苦笑いをこぼした。おもむろに大きなエナメルバッグの中から真っ白なタオルを取り出すと、何の躊躇もなく血塗れのわたしの膝にそれをあてた。驚いて「え」と声を出すとその人は「あ、大丈夫、これまだ何も使ってないから」と見当違いなことを呟いた。違う、真っ白できれいなタオルなのに、汚れるけどいいんですか、っていう意味で驚いたんです。こんなふうに親切にされたのは本当にあまりなくて、驚きすぎて声に出せないままただただその人が膝にタオルをあててくれているのを見ているしかできなかった。

「ごめん、タオルちょっと押さえてて」
「え、あ、はい」
「絆創膏持ってなかったかな~」

 鞄の中をがさがさと漁る。その人が少し頭を動かすたびに、さらさらと揺れる髪がとてもきれいだと、なぜだか強烈に印象に残った。
 「ごめん、絆創膏は持ってないわ」とその人が顔をあげる。どうしてわたしが勝手に転んで怪我をしたのに、この人が謝るんだろう。不思議に思いながら、首を横に振るとその人はにこりと笑った。

「でも骨折れたりはしてなさそうだし、よかったな」

 そう言ってわたしが押さえていたタオルを手に取る。それをとくに出血が激しい右膝にぐるぐると巻き付けてきゅっと無理やりしばった。「中学生? 学校着いたら保健室で絆創膏貼ってもらえよ」とわたしの頭をぽんぽん自然な手つきで撫でた。ゆっくり立ち上がってエナメルバッグを持ち上げると「悪いけど俺、もう行くな」と苦笑いをこぼす。なんでも今から練習試合とやらがあってもう集合時間ぎりぎりなのだという。「じゃ、ごめん」と言って駆け出そうとしたその人に「あの、タオル」とようやく声をしぼりだせた。

「あげるあげる! いらなかったら捨ててもいいから!」

 またにこりと笑って「じゃあな、気を付けろよ!」と手を振ってから、その人はものすごい速さで走り去っていった。その背中、白いジャージに書かれた学校の名前を、わたしは胸の中にしっかりしまい込んだ。



▽ ▲ ▽ ▲ ▽




「そういやさ、木葉、入部してから一発目の練習試合、遅刻してきたよな!」

 ぶーっと小見さんたち二年の先輩が一斉に吹き出す。それを聞いていた赤葦が「そうなんですか?」と木葉さんに聞くと、木葉さんはものすごく嫌そうな顔をして「なんでその話すんだよ」と木兎さんを睨んだ。

「そんときの三年がめっちゃ厳しくて木葉、一セット目やってる間ずっと正座させられてたよな!」
「マジで終わるまでずっとだったもんな。あれはきつい」
「お前ら遠くで笑ってただろ……」
「なんで遅れてきたんだっけ? 寝坊?」
「ちげーわ!」

 木葉さんは苦笑いをこぼしながら、当時を思い出して「あれは本当先輩らやりすぎ」と呟いた。五分遅刻してきた木葉さんは当時の三年生たちみんなにものすごく怒られたのち、先ほど木兎さんたちが話していたようなペナルティを課せられたのだという。

「先輩ら、理由すら聞いてくんなかったんだよな~」
「電車の遅延? あの日めちゃくちゃ雨降ってたじゃん」
「あー……」

 木葉さんが頭をかく。なんだか恥ずかしそうに「あれはなあ」と話し始めた。

「駅の階段で派手に転んだ子がいてさ」
「ほう?」
「離れた場所からのぼってる俺でも分かったのに、周りの人誰も助けてなかったから気になって」
「助けたんだ?」
「助けたっつーか、ふつうに話しかけていっしょに階段のぼっただけだけどな」
「すげ~俺できないわ……」
「いや、だって鞄とかもみくちゃにされてたし、気になるだろ」
「階段のぼったあとは?」
「ん~……あー、俺そのとき絆創膏持ってなくて、タオルあげたわ」
「太っ腹~」

 猿杙さんが「で、その子とその後は? アナザーストーリーは?」とにやにや顔を木葉さんに向けた。木葉さんはその肩を小突きながら「ねーよ」と笑う。

「でもなんか、ずっと泣きそうな顔してたからさ、あの駅行くたび気になってんだよなあ」

 大丈夫かなあ、と。木葉さんはそう少し視線を上にあげながら呟く。
 小見さんが突然わたしに視線を向けた。「的に今の話はジェラシー?」と笑って聞くと、木葉さんに思い切り頭を叩かれていた。ジェラシー、そうかもしれないなあ。その子は木葉さんに気にしてもらってるんだもん。羨ましい、とてもとても。

「ふつうに木葉さんがいい人だなって話でした!」
「たしかにな~。タオルあげちゃうって結構すげーと思う」
「そうですよ。その子には白いタオルをくれた白馬の王子様に見えたはずです」
「タオルくれる王子様って何?」

 けらけら笑った木葉さんの顔を、やっぱり好きだなあ、とまた胸の中にしっかりしまい込んだ。