darling

春季合宿12.5

 車窓から眺める景色の穏やかさに、切ない気持ちが芽を出した。春の訪れを告げるような柔らかな太陽の光はとても気持ちいいものなはずなのに、わたしにとっては終わりへ向かうはじまりの合図にしか思えない。去年のわたしにとってはただのはじまりの合図だったのに。話している途中で眠ってしまった木葉さんの横顔を見ると、情けなく笑ってしまった。
 今でも鮮明に思い出す。駅。人混み。タオル。心配そうにしてくれる男の人。誰も手を差し伸べてくれなかった中、ただ一人、あの人だけが手を差し伸べてくれた。その日からはじめてわたしに宝物ができたのだった。なんの変哲もないただの白いタオル。いつか返そうと思っていたのに、今でも返せないまま部屋に置かれている。
 お礼が言いたかった。あの日、言えなかったお礼を。そう思ってここに来たというのに。今日の今日までお礼を言えないままだった自分にまた笑ってしまう。情けない。恩知らずなやつめ。なんとか絞り出せた感謝の言葉は、きっと意味不明なものになったのだろう。覚えているわけない。そう思って怖くて言えなかったのが半分。お礼を言ってしまったらもうそこで終わりな気がしてさみしかったのがもう半分。
 もしあれを運命だと言っていいのなら飛び跳ねて喜んでしまう。運命。頭の中で呟くだけでどきどきするこの気持ちは、ただの恋心だと言われればそれまでだ。助けてもらったから好きになった。優しくしてもらったから好きになった。そう言われてしまえばそうなのかもしれない。でも、たしかに言える。わたし、この人のことが、本当に大好きだなあ。そう思うだけで幸せなのだからきっとこれは本物なのだ。
 あと一年。あっという間に去ってしまうであろうこの時間を、悔いなく過ごすなんて無理な話かもしれない。そうだとしても精一杯過ごそうと思うのだ。悔いのないように。この気持ちに嘘をつかないように。何よりもこの人が健やかで少しでも幸せな日々を送る姿を、応援するように。たとえそのそばに自分がいなくてもいいから、近くで見ていることだけは許してもらえるように。わたし、ちょっと危ないやつ? 自分で苦笑いをこぼした瞬間、ぱちりと目が開いた。

「……俺、寝てた?」
「ばっちり寝てましたよ!」
「マジか、まったく記憶にないわ……」
「素敵な寝顔を堪能しました」
「言い方やめなさい」

 けらけらと笑う。眠たそうにあくびを一つもらしてから伸びをした木葉さんはごきっと首の関節を鳴らした。木葉さんが頭を動かすたびにさらさらと揺れる髪がやっぱりきれいで。やっぱり強烈に印象に残るのだ。ずっと見ていたいなあ。あと一年とは言わずに。欲張りな気持ちをぐっと押さえつける。
 お礼、言えたし。わたしと木葉さんをつないでいた糸が一つきれいにまとまってわたしの手元に納まる。木葉さんはその糸があったことすら知らないままだ。これからの糸は自分で作らないと。今度はわたしから。邪魔にならない程度にくくりつけるだけ。もし木葉さんに別の糸ができたら切ればいいだけ。そう思うと心臓がきゅっとなって仕方なかった。