赤葦さんと三度目の食事に行ったのは、二度目のときから一週間後の土曜日。 二度目の食事の最後に赤葦さんから「来週も」と言ってくれた。
 今日までの一週間、赤葦さんと電車で会うことはなかった。 電車に乗ると赤葦さんを探してしまっていたのだけど、あとで教えてもらった話だと会議や研修が立て込んでいる週だったらしく、いつもと出退勤の時間がずれていたそうだ。 電車で赤葦さんの姿を探している自分に気が付いたとき、ふと思った。 赤葦さんも二年間、こんなふうにわたしを探してくれていたのだろうか。 そう思うとおこがましいと分かっているのだけど、うれしくなってしまって一人で照れていた。
 前みたいに早く着きすぎないように、と思っていても早く着いてしまった。 二十分早く着いてしまった自分に少し照れつつ駅前に出る。 着いてしまったと連絡を入れようとスマホに視線を落とす。 すると前方から「さん」と声をかけられた。

「こんにちは。 赤葦さん、早いですね……?」
「こんにちは。 それはお互い様ですよ」

 控えめに笑った赤葦さんは「こっちです」と歩き始めた。 その顔がどこか緊張しているように見える。 それを微笑ましく思っていると、赤葦さんがそうっとわたしの顔を見て「笑わないでください」と恥ずかしそうに言った。

「あ、ごめんなさい。 なんだかかわいくて」
「……喜ぶべきか微妙なところですね」
「あはは」

 そこからお店に着くまで赤葦さんは終始照れくさそうにしていた。 たぶんずっとわたしが微笑ましそうな顔をしていたからだと思う。 ちょっと申し訳なかったかな、と反省してお店の中では堪えるようにした。 赤葦さんはその後もなんだかそわそわしているように見えて、やっぱりかわいく見えてしまった。
 話している途中で赤葦さんがふと思い出したように「赤葦さん、なんて呼ばなくていいですよ」と苦笑いした。 自分は年下だから、という意味だろう。 かといってまだ三回しか会ったことのない男性だし、気安く呼ぶのは少し抵抗がある。 馴れ馴れしく思われたくないし、なんと呼ぶのが自然だろうか。 そう考えて「赤葦くん、とかですか?」と言ってみる。 すると赤葦さんは照れた様子で「それでお願いします」と言った。 「もう少し慣れてからでもいいですか」と言ったらなんだか残念そうな顔をされてしまった。
 メッセージのやり取りをしてからはじめて会うまで、大人っぽくて落ち着いている人というイメージがあった。 でも、こうして話していくとちょっとかわいらしくてなんとなく放っておけないタイプなのかな、とイメージが変わっていく。 年上というか、落ち着いた大人な男性が好みなのだろうと自分で思っていた。 優子にもそう言われたし、他の友達にもそういう人が合っていると言われたことがある。 何の疑いもなく自分の理想のタイプはそういう人だと思っていたっけ。 たしかに理想であることに間違いはなかったのだろうけど。 でも、赤葦さんとこうして話していると、ちょっとかわいらしくてなんとなく放っておけない男性も、いっしょにいて楽しいと思えていた。

「……そんなに年下感出てますか?」
「えっ?」
「いえ、今日は会ったときから、なんというか……子どもを見るような目をしているので」
「えっ、そんな目してました?」
「はい、とても」

 恥ずかしそうな顔をする。 赤葦さんは「ちゃんと服だって大人っぽいのを選んだんですよ」と言う。 言われてみれば今までで一番大人っぽい服装に思えた。 つけている時計とか、持っている鞄とか。 そういうのも気を遣って選んでいるのがよく分かる。 でも、なんだか、逆に。

「……また微笑ましそうな顔になっていますよ」
「すみません」

 笑ってしまう。 きっとずいぶん迷ったのだろう。 その姿を思い浮かべるとどうしても微笑ましくて。 ……思い返してみれば、わたしもそうだったけれど。 そう思うと笑うのも申し訳なくてぐっとがんばって堪えた。 年下といってもたったの二歳だ。 子どもを見るような目は失礼にはちがいない。 自覚はなかったのだけど、「すみません」ともう一度謝った。

「でも、決して悪い意味で笑ってしまっているわけじゃないんです。 本当ですよ」
「……そうなんですか?」
「はい。 むしろ良い意味です」

 赤葦さんはちょっと疑うような目をする。 それに「本当ですって」と笑って言ったら、「それなら」と笑ってくれた。 そのあとで「そもそも不満を述べられる立場ではないんですけど」と苦笑いをこぼす。
 そういえば、と思い出す。 赤葦さんに好きと言ってもらえたことがうれしくて忘れていた。 わたしの気持ちはまだちゃんと伝えていなかった。 メッセージのやり取りをするうちに好きになっていったこと。 はじめて会って恋をしてしまったこと。 まだ何も伝えていなかった。
 嘘を吐かれていた。 その事実が明らかになっても、気持ちに変わりは、なかった。

「あの、赤葦さん」
「はい?」
「……えっと」

 いざ言おうとしたら言葉に詰まる。 不思議そうな顔をした赤葦さんが「どうしました?」と聞いてくる。 今思えば、自分から男性に気持ちを伝えるのは、はじめてで。 緊張してしまう。 恥ずかしいし、なんて言えばいいか分からない。 好きです、の四文字を言うだけなのにこんなにも戸惑ってしまう。 赤葦さんもそうだったのだろうか。 それなら余計に言わなければ。 ちゃんと伝えないと、ずっと、伝わらないままだ。

「……あの、わたし」
「はい」
「赤葦さんのこと、好き、なんです」
「………………え」
「メッセージのやり取りをしているときから、その、好きになっていって……赤葦さん?」

 赤葦さんは固まったまま動かない。 突然言ってしまったから驚かせただろうか。 不安になっていると赤葦さんがはっとした様子で瞬きをした。 そうして真顔のまま「本当ですか」と呟く。 恥ずかしかったけど「はい」と答えたら、赤葦さんはまた少し黙って俯いてから、ばっと顔を上げた。

「すごく、うれしいです」

 うれしそうな顔をしてくれた。 それが変にきゅっと心臓を締め付けた気がして、なんだかわけが分からなくなってしまう。 しどろもどろにはじめて会ってちゃんと好きだと自覚したことと、嘘を吐かれていたのは驚いたけどそれでも気持ちは変わらないことを伝える。 赤葦さんは終始なんだか、子どもを見るような優しい目をして相槌を打ってくれた。 それが余計に恥ずかしくて視線を逸らしてしまう。 それに対して赤葦さんは何も言わなかったけど、視界の隅にこちらをじっと見ている様子だけは窺えた。 思わず視線を戻してちょっとだけ睨んでしまう。

「あまりじっと見ないでください……」
「すみません。 恥ずかしがっている姿がかわいくて、つい」

 くつくつと笑う赤葦さんを見ていると余計に恥ずかしくなってくる。 わたしも赤葦さんにこんな視線を向けていたのだろう。 そう思うと強く言えなくて拗ねてしまいそうになる。

「すみません、ちょっとしばらく、止まらないです」
「……笑わないでください」
「すみません」

 勇気を出して言ったのに。 そう呟くと赤葦さんは笑ったまま「うれしくて」と言って一口水を飲んだ。 ふう、と息を吐くとまっすぐにわたしの目を見て、にこやかなまま瞬きをする。 その顔のままもう一度ゆっくり静かに呼吸をしたように見えた。

さん」
「……はい」
「好きです。 付き合ってください」

 まだ笑っていた、けど。 茶化すような笑顔ではなかった。 それを見た瞬間に恥ずかしいなんて気持ちはすっ飛んでいき、ああ、好きだなあ、とまた思った。
 運命なんてどこにもなかった。 出会いにも、過程にも、結論にも。 どこにもそんなものはなかった。 運命で結ばれた相手と出会えたらきっと素敵なことなんだろうと思う。 出会った瞬間に”この人だ”と思えるような人がいたら。 そう思ったこともある。 運命の赤い糸なんて、女の子なら誰しも一度は憧れたことがあるだろう。 わたしも例にもれずそうだった。 わたしの理想にぴったりな男性とばったりどこかで巡り合えたら、なんて思っていた。 けれど、わたしは思うのだ。 運命なんてどこにもなかったのに、この人と出会えたこと。 それは何よりも幸福なことで、喜ばしいことなのだろうと、心から思うのだ。 運命なんて微塵にもなくていい。 目に見えないそんなものよりも、目の前に赤葦さんがいるということだけが、わたしには大切なことだった。
 けれど、もしかしたら。 赤葦さんがわたしに嘘を吐いたとしても、出会いが偶然ではなかったとしても。 運命なんてないとわたしも赤葦さんも思っていたとしても。 もしかしたらこれも、運命の一つだったのかもしれないなんて、思ったりするのだ。

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