女子部の練習が終わるまで、こっそり体育館の陰に隠れて待っていると、女バレの水島にバレてしまった。 俺の姿を見つけるなりキッと鋭い顔をしたが、すぐにその表情のままぐっと親指を立てて視線を逸らされる。 え、そのジェスチャーはどういう意味なんでしょうか、水島さん。 よく分からなかったが迷惑がられているわけではなさそうだ。 とりあえず追い払われることもなさそうだったし、このまま隠れていることにした。
 しばらくすると女バレが続々と解散していく。 片付けはほとんど終わっているため、あとは鍵を閉める係の部員だけ少し残って点検をするようだ。 様子を窺っていると「じゃ、よろしくね〜」と珍しい水島の大きな声が聞こえてきた。 なるほど。 水島さん。 ありがとうございます。 心の中で手を合わせる。 ちょうどその俺の横を女バレ集団が通り過ぎていく。 水島が俺を見て「じゃ、ガンバ」とだけ声をかけて去って行った。 他の三年にもなんだかにやにやと見られて若干居心地が悪い。 けれども、まあ、エールとして受け取っておきますよ。
 しん、とした体育館を静かに覗き込む。 は忘れ物がないかの確認をしている途中のようだ。 視線を俯かせたまま体育館を歩いている。 一つ深呼吸をしてから、ゆっくり体育館に足を踏み入れる。 そうしてできるだけ平常心を保って、口を開いた。



 思ったよりも体育館に響いた声に俺が驚いてしまう。 そんな俺よりも驚いたが目を丸くしてこちらを見つめていた。 驚かしてしまったことに謝罪しつつ近寄ると、が慌てたように笑って「どうしたの」と聞いてきた。 その顔、あんまり、好きじゃない。 ほんの少し苦笑いがもれそうになった。 無理してる顔。 別れるちょっと前に見せるようになった表情だった。
 なんて言おうか考えていなかった上に、顔を見たら余計になんて言えばいいか分からなくなる。 まごまごと言葉に迷っている間には忘れ物チェックを終えていた。 そうして、俺の顔をまた見て笑う。

「ごめんね」
「え? 何が?」
「なんか、あの、気を遣わせて……」

 鍵がかかっていない扉が一つあったらしい。 は静かに鍵を閉めながら俺にそう言った。 その表情はなんとも言えない、申し訳なさそうでもあり気まずそうでもある顔をしている。 たぶん俺も同じ顔をしている、かもしれない。

「いや、俺もなんか……未練がましくてごめん」

 こうやって話しかけていることすら未練がましい。 何やってるんだか。 自分が情けなくなりつつも目の前にがいると思うと引きたくなくなる。 もっとちゃんと話をしたい。 の気持ちをちゃんと知りたい。 そう思えば思うほど、手放すことができなくなっていくのだ。
 二人きりの体育館は音が何もない。 静かすぎて頭がくらくらするくらいに。 の顔だけを見て突っ立っているだけ。 何の音もなし、何の特別もない。 唯一がいるだけ。 それだけで俺にとってはもう十分で。 これ以上何かもらってしまったら十分を突き破って申し訳なくなるくらいだ。 そう思った瞬間にふと花巻の声が頭の中で再生された。 こんなときに思い出すのが花巻の声かよ、と一瞬気持ちが萎えかけたが、はっきりそれを繰り返す。 でもこれってものすごく自惚れた考え方な気がする。 チーズインハンバーグのチーズ、コーヒーの砂糖。 俺の都合良く捉えてしまっているだけなんじゃ、と不安になるほど、思い至った結論は甘ったるいものだった。

「あの、本当に松川くんは何も悪くないから、気にしないで」
「気にするよ」
「……ご、ごめんなさい」
のこと、好きだから気にするよ」

 思わず笑ってしまった。 だって本当にそうなんだもんなあ。
 たしかにはじまりはあの日、俺がを助けたときだったと思う。 そのときにを好きになったことは紛れもない事実だ。 けれど、一緒にいる時間が増えていくたび、またに恋をした。 どんどん膨らんでいくそれを俺はたぶんうまく抑えられなかったんだろう。 きっと、どばどばとコーヒーに砂糖を入れ続けて、誰も飲めないような代物を作り出していたに違いない。
 もしも。 もしも、が、俺を嫌いになったわけではないのなら。 その赤くなった顔が俺の見間違いではないのなら。

「すぐにじゃなくていいから、また、告白してもいい?」

 お互い部活を引退したあとでもいい。 高校を卒業したあとでもいい。 今すぐなんて大歓迎。 そう笑ったら、もちょっと笑ってくれた。 俺が好きな顔だ。 気遣いゆえの笑みじゃない、ふつうの自然な笑み。
 は静かに話をしてくれた。 レギュラー争いで精神的に苦しくて、他のところに目を向ける余裕がないこと。 俺とは楽しい話をしたくてそれを言いたくなかったこと。 それが逆に自分の首を絞めていき、優しくしてくれる俺に申し訳なくなっていったこと。 俺が一つも知らない話ばかりで、静かに聞いていたけれど少し恥ずかしくなってしまった。 何も気付かずにいたんだな、俺。 そう反省してしまう。 同じ選手なんだから気付けただろうに、のことが好きだって気持ちばかりに意識が向いていたんだなあ。 本当、恥ずかしいやつだ。

「松川くんはわたしでいいの? こんなふうに不器用だし……」
「いいよ。 不器用ながいいんだから、俺は」

 また赤くなった。 きゅっと力の入っている小さな手は、情けないことにまだ握ったことがないままだ。 は少し下を向いて考えている。 それを静かに待っている時間は、いつまでも続いてほしいと思うほど俺の気持ちを落ち着かせる。 好きだなあ、この子のことが。 が考えている間にそんなことを再確認した。 じっとを見ていると、ようやくが顔を上げた。 そうしてまだ少し赤い顔のまま、口を開く。

「絶対試合、出るから」
「うん」
「そのあとで、あの、わ、わたしから、言いたい、です……」
「……そこは譲れないかな」
「えっ」

 ふつうに驚いた顔をしたを思わず笑うと、は「で、でも、今度はわたしが」と慌てる。 まさかそんなふうに返されるなんて思っていなかったのだろう。 その慌てっぷりがまたかわいくて、俺は余計に笑ってしまう。

「絶対に俺から言う」

 そう言うとはよりいっそう顔を赤らめる。 やっぱり好きだなあ。 気持ちがあふれて、やっぱりどばどばと砂糖を入れてしまっている気がしてならない。 甘ったるいものを飲まさせてごめんね。 そう思いつつもやめられなくて。 お願いだからとんでもない甘党になってください、なんて思ってしまったり。 反省しなさすぎだろ、俺。 呆れてしまうけれど仕方ないと思ってほしい。 好きって思ったら抑えられないよ、ふつう。 これでもかってくらいどばどばと甘ったるくしてしまうでしょ。 くどいとか、しんどいとか、言われるかもしれないって不安にはなるけど。 それで抑えられたら好きじゃないと俺は思ってしまうんだけど、は、どう思うだろうか。

「わ、わたしだって松川くんのこと好きだから、言いたいよ」

 どばどばどころじゃなく、ぼしゃんって砂糖瓶ひっくり返してるじゃん、は。 甘ったるくて仕方ないじゃん。 それでも全部飲み干すけど。 飲み干すから、甘い砂糖をこれからも注いでくれたら、うれしいなあ。

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